38.奴に幸せなど無用だ

 卵を温めるガブリエルに、情報は一切隠さない。協定のように取り決めたルールに従い、デカラビアは翼手族の届けた話を聞かせた。


 ブレンダという女戦士と共に傭兵になる。勇者ゼルクの決断に、ガブリエルの目に怒りが浮かんだ。その程度の温もりで、愛情で、逃れるつもりなのか。吐き出した声は震えていた。


「許す気はない。それでいいじゃねえか。魔王様の決断に俺らは従う」


 捕まえた獲物を届けながら立ち寄った、狼獣人のバラムは肩をすくめた。魔王ガブリエルの恨みは、どの魔族より深く黒い。復讐のために父親を吸収した。膨大な知識や魔力に、自我を押し潰され……苦しみの中から這い上がった。だからこそ得た力だ。


 父の遺体を葬ることより、復讐を選んだ。ガブリエルの悲しみや怒りが癒える日は遠いだろう。下手すれば、死ぬまで血を流し続ける心を抱いて生きてくのだ。バラムはその痛みを理解できない。だから否定はしなかった。


 抱えて生きる覚悟を決めた者に、外部が何を言っても届かないのだから。バラムにできることは、ガブリエルが無為に命を捨てないよう守ること。辛さから逃れる術を見つけた時、全力で応援することだ。今のように、卵の孵化で動けない状況もその一つだった。


「まだ早い、そうだろ?」


「ああ……早い」


 幼いと表現できる竜族の子どもが、経験を積んだ老齢の竜のように己を抑え込む。悲しいほど早く大人になろうとするガブリエルに、吸血種の長デカラビアは進言した。


「傭兵達を襲撃するのは控え、束の間の休息を与えるのはどうか。彼らが馴染んだところで奪う方が、効果的だ」


 効果的、その単語にガブリエルは眉を寄せる。がしゃりと鱗が音を立て、ふっと力が抜けた。ガブリエルは体を起こして、卵の向きを入れ替える。淡々と日課を終えると、また卵の上に身を預けた。


「監視はしっかり頼む。勇者の絶望を深めるため、傭兵達を操れないか?」


 うーんと考えるデカラビアは、禍歌の利用を渋った。というのも、人を操る意味で使いやすいが、多用しすぎると効果が薄れる。何より、現場に出るセイレーンの危険が高まった。


「傭兵を操るより、周囲に噂を撒く方が確実だ」


 デカラビアは別の案を提示する。傭兵達が孤立し、勇者へ依存するように。民を利用してけしかける方法だ。セイレーンを使わず、夢魔に囁かせるだけでいい。魔族の安全第一のガブリエルはその案を採用した。


 勇者を受け入れたがゆえに、苦境に追い込まれる傭兵。原因を知らない彼らは結束するだろう。そこへ原因が勇者だったと打ち明けたら? 人の脆い感情は何を吐き出すのか。にたりと笑うガブリエルは、満足げに卵へ頬を寄せた。

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