23.魔物さえ報復を望む

 ガブリエルが翼を広げる。まだ幼いと表現すべき黒竜は、その身に魔神の祝福を受けて王となった。圧倒的な魔力量と民を慈しむ心、敵に対する容赦のない作戦。老齢な戦術家のように戦う魔王が、ふわりと浮き上がった。


 魔力の余波を利用し、翼を持つ種族が続く。不安を煽られた都市を一つ、闇の中に沈めるのだ。夜の闇に覆われた空は黒く、今日は星の明かりもない。真っ暗な空と対照的に、地表は光に満ちていた。


「敵はあの光だ。一つも取りこぼすな!」


 ガブリエルの命令に、応じる声が沸き起こった。人族は自然や世界の理に正面から反発してきた。暗い夜を明るくし、美しい森を焼き払う。曲がりくねった川を堰き止め、崖を崩して道を通す。その結果、魔族も動物も……魔物すらも被害を被ってきた。


 魔力を持つ動物である魔物は、魔族ではない。理性も言葉も持たぬ彼らだが、森の中で魔族と共存してきた。その魔物の怒りは限界に近い。生きる糧ではなく同族を殺され、生活の場である森を荒らされた。追い詰められた魔物は、人族が築いた壁に憎悪を向ける。


 人族は集落を壁で囲う。魔族から見れば、自ら狭い領域に閉じこもる奇妙な行為だった。これは臆病さの表れだ。他種族の権利や生活を侵害し、その仕返しを恐れた愚か者の証である。


 前進した黒竜は、光の境界線で動きを止めた。ここは森と人族の都の境だ。築かれた壁を覆うように、魔物が詰めかけていた。彼らの魔力と光る瞳が、不気味に存在を示す。魔力を高めたガブリエルは、足元の境界線へブレスを放った。


「ぐぁああ! 襲撃だ」


「何かいるぞ」


 人族の目は夜に弱い。暗闇の中に溶け込む黒竜を見落とし、星のない空を見上げて騒いだ。手にした松明が、彼らの視力を奪う。


「愚か者が」


 吐き捨てたガブリエルは急降下し、矢が届く手前で急上昇に転じた。その際、尻尾で壁や門を破壊する。石造りであろうと、頑丈な丸太の扉であろうと関係なかった。鉄を使った枠もひしゃげて転がる。


 聞くに耐えない醜い音が都に響き渡った。魔物達は興奮状態で、都に傾れ込んでいく。誰も止めることはできなかった。


 魔物が半狂乱になった理由も、人族にあった。魔族との対立が顕になった時点で、人族は愚かな自滅行為に走った。森に火を放ち、都の周囲を炭と灰で覆ったのだ。見晴らしをよくする意味なのか、牽制だったのか。その行為は魔物達の怒りを買った。


 住処を焼かれ、仲間を殺され、興奮状態がピークに達したのだ。同族以外を殺し尽くす雪崩となり、魔物は都に入り込む。ガブリエルが開いた門の亀裂から、崩れた壁の上から。狂暴な魔物は、女子どもの区別をしない。金持ちも貧乏人も差別しなかった。


 悲鳴が聞こえ、地上の光がいくつも消える。随行した魔族が、油の入った袋を投下し始めた。直接火をつけずとも、油に濡れた屋根や道は火の粉に反応する。やがて火の手が上がり、都は炎に包まれた。自ら築いた壁に阻まれ、逃げ道もない人族が倒れていく。


 残酷な絵図を眺めながら、ガブリエルはぐるりと旋回した。


 心が晴れることはない。それでも人族の悲鳴は心地よかった。大切な人達を失い渇いた心に、ぽつりと水滴が落ちるように吸い込まれた。


「ナベルス様、父上……」


 声に出さず唇だけを動かす。黒い鱗に覆われた頬を、一筋の涙が濡らした。

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