12.熱しやすく冷めやすい人心

 勇者は魔王を倒していない――そんな噂が広まった。地方から徐々に中央へ伝わり、王侯貴族の耳に入る。倒したと吹聴したのは、勇者一行だ。証拠品だと言って様々な宝飾品を持ち帰ったが、魔王の首はなかった。


 魔王城が半壊したのは事実だが、実際は両ツノの魔王は生きて力を蓄えている。負った傷を癒しているのではないか。そのため魔族の結束は乱れず、今も戦いは終わらないのだ。力説する吟遊詩人に、人々はゆっくり洗脳され始めた。


 こういった潜入は危険だが、複数の種族が特技を組み合わせれば可能だ。夢魔が事前に不安を増大させ、セイレーンの血を引く青年が人々の思考を誘導する。吟遊詩人として広めた旋律は、禍歌まがうたと呼ばれる秘技だった。


 心を揺らして誘い出す。それ以外に大きな能力のないセイレーン一族だが、今回は最大限活用できた。彼らは先代魔王ナベルスに庇護された恩を忘れていない。当代の魔王ガブリエルが先代に傾倒していたこと、セイレーン一族を保護し続けていること。それは何より確かな絆となった。


 魔族の存亡を懸けた戦いに参加できると聞き、彼や彼女らは己の能力に感謝した。足りない、もっと強く。求め続けた魔力がなくとも、役に立てるのだと。誇らしく思った。だから危険を冒しても人族の間で歌を広める。


 やがて、人族の吟遊詩人が歌を継承した。そっくり教えて覚えさせ、自分達は撤退する。人族の情報伝達手段は、魔族に比べて遅れていた。英雄の活躍は吟遊詩人が伝え、王侯貴族への報告ですら早馬が精々だ。鳥や魔法を使う魔族の伝達に比べたら、数倍の時間が必要だった。


 情報は鮮度が重要だ。新しく正しい情報をどれだけ集められるか。国家の命運や戦いの勝敗に影響する。外堀を埋めるガブリエルの作戦に、当初は反対意見もあった。だが今になれば、誰も反対しない。


 目に見える形で結果が出ているからだ。ささやかな能力であっても、弱い種族であっても、復讐に参加できた。その上、強い種族も見せ場がある。魔族が一丸となって団結するなど、何世代ぶりだろうか。


「魔王様は恐ろしい人だ」


「ああ、魔力なんかじゃなく……先を読んで動くのがすげぇ」


「あの人に従っていれば、負けねえよ」


 今度こそ人族を押し退け、奪われた領地と誇りを取り戻そう。魔族の間に広がる希望以上の早さで、噂は勇者達の評判を蝕んだ。過去の栄光は嘘だと断定され、疑いの眼差しが鋭く突き刺さる。


 人々の気持ちが離反した状況を、国王が見逃すはずはなかった。ずっと待っていた。己の地位を揺るがしかねない勇者という存在、彼への信頼が民から消えたいま……王の暴挙を阻む者はいなかった。


「国を騙した詐欺師を排除せよ」


 捕獲ではない、直接殺害を命じもしない。王はただ「排除」と告げた。人により言葉の捉え方は違う。罪人として牢へぶちこめと受け取った兵士もいれば、存在自体を抹消せよと感じた領主もいる。


 眠るたびに増大する不安、街で奏でられる禍歌、勇者に裏切られたという怒り。熱しやすく冷めやすい国民は、国王の無慈悲な判断を支持した。考えることをやめた民は、ただの暴力の塊となって救世主へ牙を剥く。暗闇でにたりと笑う魔王は、静かに時を数えた。


 自分達を救った英雄の首を刎ね、献上するがいい。

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