瑠狼弐騒動⑨

 鳴海の一撃が巨大“亜人”の片目を斬り裂く。

ようやく通った攻撃に鳴海の息も漏れた。


「硬いな」


 先刻から幾度となく斬りつけている攻撃も硬すぎる皮膚に阻まれ続けている。

どうにかこうして急所を狙うがそれもジリ貧と言えるだろう。

 ふと後ろで咀嚼を終えて嚥下する勇仁に視線を向ける。


「野苺。コンクリートは食べ終えたか?」

「オス! もう平気っす!」


 勇仁の周りには不自然に削れたコンクリートの跡が目立った。

 勇仁のバグ、【無限消化腑】は食べた物をその身に吸収して力に変える。

それが例え鉄筋やコンクリートであってもだ。

そしてその吸収力が最も力を発揮するのは食べた直後。

その数十秒の間は皮膚の全面に吸収した物の力が現れる。

食べた物次第では鋼鉄すら破壊する一撃も出せる程だ。

 鳴海は一度深く息を吸って吐く。

次の勇仁の一撃で倒す為には鳴海の撹乱が重要だ。

敵はデカイ分スピードはそこまでではない。

その為鳴海としてはトドメの一撃こそ難しいが脅威と呼ぶ程ではないのだ。

 鳴海と勇仁は次の一撃の為に呼吸を整える。

すると巨大“亜人”が大きく叫びながら向かってきた。

巨体のスピードに合わせて二人も二手に分散して迎え撃つ。

 巨大“亜人”の叫び声はまるで慟哭。

鳴海達は刃で示した。


「ぐがあああああああああ!」


 目の前に見据える微かな人影。

最早人としての意識が無い縁田が朦朧とした意識の中で思い出すのはたった一人。

頼羽拳心の事だった。












 自分が最強だと思っていた。

喧嘩は売っても売られても負けた事はない。

相手が暴走族でも、有名な喧嘩屋でも。絶対に負けない自信があった。

けどその自信は一人の男に破られた。

 地についた背中は初めての感覚。

ボロボロになった身体も体感した事のない衝撃。

痛い。初めてそう感じた。

天下無敵を自称する縁田雪の名はたった一人の男に破られてしまったのだ。

 天下無敵を倒した本当の無敵の男は全く傷のついていない綺麗な顔でいたずらに笑った。


「お前、楽しんでっか?」


 いたずらに笑う顔に少し苛ついた。

 殴られたのに楽しんでいる訳がない。

その筈なのに何故だかこの男が大きく見えた。

自分をボコボコにした危険な男。

何故こんな男が気になるんだ。

そんな無茶苦茶な精神状態の中、男は顔を近づけて胸ぐらを掴んできた。


「楽しんでねぇなら一緒に来いや。このクソッタレの世の中楽しまなきゃ生まれた意味ねぇぞ」


 無茶苦茶な事を言ってきた。

だけど俺はこの男に着いていくと決めた。

男の名前は頼羽拳心。

俺の最も憧れの男。

だから例えその憧れの男が暴走族を去ると言っても止めはしない。

代わりにこのチームを存続するだけだ。


「お前なら任せられるぜ。まぁ待っとけ。すぐにテレビも新聞もこの俺でいっぱいになるからよ」

「はい! 拳心さんなら余裕っすよ!」


 絶対にこのチームを無くさない。

そう決めた。そして頼羽拳心に命を託すと。

だからあの人の為なら例え人でなくなっても構わない。

だから必ず勝つ。勝たなきゃ。

カタナきゃ。あれ?

 視線が揺らいで動かなくなる。

目前には視界の半分が池面。

もう半分は良くわからない。

身体はまるで電池の切れたラジコンの様にピクリとも動かない。

微かに聞こえるのは耳慣れない男の声。


「お前にも何か強い意思があったのだろう。だがすまない。俺は“亜人”は必ず倒すと決めているんだ」


 瞼は閉じないのにゆっくりと意識が遠のいていく。

いつもと違う大き過ぎる肢体の感覚が気持ち悪く感じる。いや、それすらももう感じ得ない。

そんな最早意識のない中でも思い出すのは世界を変えてくれた憧れの男。


「けん……しん……さん───………」


 プツリと電源が切れた様に、巨大“亜人”の縁田雪は動かなくなった。













 初めて出逢ったのはいつだったか。

確か私がまだ小学六年生の時だった筈だ。

 私は親から虐待を受けていた。

色んな理由で叩かれ続ける毎日。

今思えばどの理由もまともな理由じゃなかった。

ただストレスを解消していただけだったのだろう。

だけど両親から怒られながら叩かれて私は謝り続けていた。

ごめんなさい。ごめんなさい。

無茶苦茶な理由でも幼い頃の私には私が悪いんだとしか思えなかった。

お母さんは殴った後決まって同じ事を言った。


「あなたの為を思ってやってるのよ。あなたを愛しているからやってるの」


 愛している。なら殴られるのは私が悪いのか。

本気でそう思っていて私は謝り続けた。

ごめんなさい。ごめんなさい。

 だけどある日その限界がきた。

私はボロボロの服にボサボサの髪のまま橋に向かって歩いていた。

多分途中に大人とは何度もすれ違った。

だけど誰も声をかけてきたりはしない。

だから私は誰にも止められる事なく橋に辿り着けてしまった。

 ここから飛び降りてしまえばどれほど楽になれるだろうか。

もう痛くなくなるだろうか。

私はこの橋の下が優しい天国に見えた。

そうして飛び降りてしまおうと決意して私の足は橋の手すりに掛かった。

だけど強い力で引きずり降ろされた。

 あ、お母さん来ちゃったかも。

最初にそう思った。

また殴られるかな。叩かれるかな。痛いのやだな。

たった一瞬なのにそれだけが浮かんだ。

無感情で目線を向けるとそこには同年代くらいの見知らぬ少年が大事そうに私を抱えていた。

誰だろう。私は不思議そうに少年を見た。

だが少年は怒り気味に私の両頬を鷲掴みにして言った。


「自殺なんて一番つまんねえ死に方選ぶんじゃねぇよ!」


 私はポカンだった。

必死に「死ぬな」と言う少年。こんな人間見た事ない。

だって私は毎日母に殺されそうになっている。

そんな私に「死ぬな」。

私には理解ができなかった。

 頭の働かない私を見て少年は無理矢理私の頬を横に引っ張って自分も大袈裟な笑顔で笑った。


「いいか。こんなゴミみてぇな世界なんざ楽しんだ奴の勝ちなんだよ。お前、何か好きな事ねぇの?」

「…………ない」


 何で私は答えたのだろう。

分からない。だけど答えた事は嫌じゃなかった。

 少年はニカッと太陽の様に笑った。


「死にてぇぐらい何もねぇなら俺と来い。捨てるぐらいならお前の命俺が貰ってやる!」


 それがケンちゃんとの出逢いだったんだ。












 「私はどん底だった。本気で心から死のうと思ってたんだ! それを助けてくれたのはケンちゃんだけだった! 私にはケンちゃんしかいないんだ!」


 力一杯の拳が地面にヒビを入れる。

まるで怒りそのものが力を持っているかの様に凄まじい威力を発揮する。

 いや、もしかしたら本当にその通りなのかも知れない。

頼羽拳心の恋人、八上薫が出しているパワーはどう見ても人から出るであろう膂力を遥かに上回っていた。

だが見た目に大きな変化はない。

つまりは先刻鳴海が会敵していた二代目“瑠狼弐”総長の縁田雪の様な謎の“強制亜人化”とは違うと思われる。

だとすれば導き出される答えはこの力は薫の持つ“不具合バグ”という事になるだろう。

 あの十五年前の“血の雨の日”以降、警察は同日外にいたであろう人間を片っ端から調査した。

調査自体は単純なモノである。

“血の雨の日”に病院を受診した人間を調べたのだ。

どう考えても異常事態である“血の雨”などというモノを浴びたとあれば大抵の人間は病院に受診する。

事実その読みは正しく、その日は例年稀に見る程の受診患者が記録されていた。

そのお陰で警察、及び特亜課は英雄や麦、空悟達の所在を知る事ができたのだ。

 だがそれも完璧ではない。

特亜課の特務長、紫村直登は“世界一の頭脳”という“不具合バグ”を持つ。

それは本来人類が辿り着くのに百年単位で掛かる発想を常時装備で持つ頭脳。

そんな紫村ですら“血の雨”を浴びた人間を全て探し出すのは不可能であると判断した。

その為中には知らず知らずの内に力を持つ者もいるのは当然なのだ。

 実を言うと、まだ英雄達が会っていない特亜課“中位”四席の池田和登イケダカズトという刑事。この男は“血の雨”の日から七年後に自らに特殊な力があると知った。

本人が病院嫌いであった事。

そして“尋常でない音量の声を出す事ができる”というバグは普通に生活していて気づく事はなかった。

 警察組織内ですら気づくのに時間の掛かった人間がいるのだ。

当然一般人の中にも特亜課に知られる事なく力を持つ者達はいる。

 薫がまさしくそれだった。

 幼い頃家を飛び出して拳心の家に転がり込んだが両親は捜索願いを出さなかった。

その後正式に拳心の母が身元保証人となったがその前までは虐待を受けて生きてきた薫。

当然病院など一度として受診した事はない。

 薫が自らの特殊な力に気づいたのはほんの二年前の事なのだ。

 薫のバグは【憤怒変換フンドヘンカン】いわゆる身体バグに類する。

その名の通り怒りを身体能力に変換する事ができる力だ。

怒れば怒る程に強くなる。

時間が経つ毎に破壊されていくこの場がまさしく薫の怒りを示していた。


「ケンちゃんは意識を無くすその時まで戦い続ける。お前達に邪魔はさせない」


 薫の言葉からも表情からも、そして醸し出す雰囲気からも本気である事は伝わってきた。

 だが麦は悲しげに薫を見つめる。

それは確信ではないただの勘に近い感覚。

何となく、ただ何となく薫が“嘘”をついている気がしたのだ。

麦にではなく薫自身に。

麦は敢えて銃弾を外して薫の足を止める。


「八上薫……私は頼羽を知らない。だから何も分からないと言われたら言い返すすべはないけど……」


 麦は薫の目を面と向かって逸らす事なく言葉にした。


「頼羽の願いはもう充分貴女から聞いたわ。じゃあ貴女は? 貴女が今本当に望んでいる事はこんな事なの?」


 麦の言葉に薫の顔が固まる。

薫自身は認めないだろうが、図星だったのだろう。

 畳み掛ける様に麦は詰め寄っていく。


「貴女は何がしたいの!? 頼羽は恐らく今戦ってるわ! 貴女の言う様に最後の時間を掛けて!」


 麦の瞳には薫もたじろいでしまう。


「貴女はここにいていいの? ここで時間を稼ぐだけでいいの?」

「う…うるさい! うるさいうるさいうるさい!」


 鈍い音を立てて麦の頬を拳が捉えた。

だが先程までのパワーは出ておらず麦はグッと堪える様に耐える。


「聞かせて! 私は貴女に後悔をしてほしくないの!」


 薫はもう一発、二発と拳を振り抜く。

だがやはりパワーは出ない。

薫には理由が分からなかった。

それ以上に麦の顔と本気が伝わってきてしまうのだ。


 何故バグが発動しないか。

その理由はまだ特務長である紫村直登の仮説でしかない為数名にしか伝えられていなかった。

理由は単純。エネルギーの問題だ。

E=mc²。アインシュタインが特殊相対性理論から導いた世界で一番有名な数式。

これは「ほんのわずかな物質にも膨大なエネルギーが秘められている」という事を表す。

つまりは無から有の物を創り出す事はできない。という話だ。

 だが“不具合バグ”は本来存在しない場所に物質、物体を創り出す事ができる。

その原理は未だ解析されておらず現時点ではバグのみは無から有のエネルギーを生み出す事が可能という説が最も語られている。

だが紫村は違うと考えた。

バグにも何かしらのエネルギー源があると考えるのだ。

それはバグ毎に違い、それぞれがそれぞれのエネルギー源を消費するという。

 事実、紫村はあまりに優れた脳を常にフル回転させている為人よりも何倍も睡眠時間を必要としている。

この事から紫村は「超人的な脳のエネルギーは睡眠時間である」と仮説を立てていた。

 そして実を言うとこれは正解だった。

バグとはあくまで人間の・・・不具合。

特殊相対性理論の枠組みから出る事はない。

その為バグを持つ人それぞれにエネルギー源となるモノが消費されている。

 空悟は周りのスピードを吸収して走る為エネルギー源は辺りから取っているが代わりに体力を尋常でない速度で消費する。

そしていわゆる“構築バグ”。これはすべからく脂質を元に物体を創り出している。

その為戦闘後は異常に空腹になるのだ。

中でも特殊なのが“異能バグ”。これも同じくあるモノ・・・・を消費しているのだが、それはまだ紫村ですら仮説を立てる事はできない。


 そして件の薫のバグはその名の通り“怒り”をエネルギーとしている。

先程までの薫はまさしく怒りの化身と言える状態だった。

だからこその圧倒的戦闘能力を誇っていたのだ。

だが今の薫は少し違った。

殺そうとしている筈の麦が本気で薫に伝えようとしている。

薫が本心であるが故に麦の本心も心から伝わってしまうのだ。

そしてそれが薫の中で仕舞っていたモノを表に出してしまう。


「だ……黙れ! お前に私の何が分かるんだよ!」


 薫は麦の胸ぐらを掴み倒れ込む様に上から被さる。

この状態は本来なら躱し様のない攻撃が繰り出される為麦の負けが決まってしまう。

だが薫の拳は出なかった。

もしかしたら待っていたのかも知れない。背中を押して貰える瞬間を。


「聞かせて。このままじゃあ頼羽は最愛の人に看取られず死んでしまうかも知れないわ」


 麦は真っ直ぐと薫の瞳を見つめて頬を優しく触る。


「薫。貴女は頼羽に何をしてあげたい?」


 一筋。一滴の冷たい感覚が麦の頬にこぼれ落ちた。

だがその後は留まる事なく流れ出てきて麦の頬を濡らす。


「………ケンちゃんに会いたい。ケンちゃんと最後にちゃんと話がしたい…!」


 それは隠し通すと決めていた本音。

誰にも言わないと誓った本心。

何でこんな初対面の奴に。そう考える自分もいる。

だが不思議と溢した言葉は怒りを落ち着かせてしまった。

だって仕方がない。好きなのだから。愛しているのだから。

だから助からないのだとしてもせめて最後にもう一度顔を合わせて話がしたい。

それが薫の本心。本当にしたい事なのだ。

 麦はゆっくりと起き上がりもう一度薫の瞳を真正面から見つめる。


「気持ちは分かった。だけど時間はきっともう殆ど無い筈よ。急ぎましょう! せめて貴女は後悔しちゃいけない…!」

「……分かった!」


 今日初めて会った。つい先程まで拳を握り銃を向けていた。

だけど一つだけ重なるところがある。

曲げられないところがある。

一度した後悔は決して消えないという事だ。

 麦は薫の手を引いて拳心の元へと走り出した。

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