瑠狼弐騒動④

 走る。走る。一切スピードを緩める事無く。

何故ならまだ己の目で見ていないから。

信ずるにはその辺の不良の言葉など信頼に値しないから。

英雄は走る。走る。

 ふと無理矢理腕を掴まれて動きを止められた。


「待てて!ヒデオくん一旦落ち着き!」


 無理に腕を引っ張って空悟は英雄の視線を固定させる。

しかし英雄はまだ冷静さを取り戻さない。


「待てるかよ!あのバカが言ってたろぉが!」


 信用できる発言とも言えない初対面の不良の言葉。

だが嘘を言っているという確信もない。

 英雄は力一杯腕を振りほどく。


「アイツァ言った!「ケンシンさんの肌は最近何か赤いんすよねぇ」って!それって……落ち着いてられるか!」


 拳心の肌が赤い。

“亜人”案件に絡んでいる以上ただの日焼けや風呂上がりじゃないと頭が働く。

 英雄は知っている。

肌が赤くなり隆々と筋力が跳ね上がる存在を。

他の“亜人”を生身で倒す程の力を持つその存在を。


「それって………それってよぉ……」

「“鬼”だろうな」


 まるで言いたくないと固く閉ざしていた鍵を代わりに抉じ開けたかの様に。鳴海は淡々と英雄の前に立った。


「鳴海さん……」

「言わん方が認めるのに時間が掛かる。言葉にした方がいい」


 それは経験故の事なのか。

しかし英雄には重くのしかかる事実。


「前に………レイランが戦ってる“鬼”を見た事がある………あれはまさしく“亜人”。人であり人ではないモノだった………」

「ああ。それが“鬼”。“血の雨の日”から最も多く確認され最も多く討伐されてきた存在だ」


 全身が赤く紅く隆々としていて額には角と評するべく鋭い角質。

そして何よりもその巨体。

その見た目は人間に近くも遠い存在。

そして人間よりも遥かに強い存在。

“亜人”すら倒せる存在なのだ。


「最大の疑問点だった“亜人”の討伐方法がこれでしっくり来た。奴本人が“亜人”なら可能だ」


 敢えて淡々と話す事で事実を事実として理解させる。

それが命を預かる身であり上司の務めなのだ。

何より英雄も鳴海の意図は分かっている。

だから認め難いのだ

 しかし現実というものは何故だか常に畳み掛ける様に押し寄せてくる。

それも嫌な現実程に、だ。


「すみません! 鳴海四席! 今よろしいでしょうか!」


 刑事部の若い刑事が一人腰低めに英雄達の前に現れる。

何かを言おうとしているのなど考えなくても分かる為すぐに鳴海は意識を向け直した。


「なんだ?手短に頼むぞ」

「はい! 先程先行していた機動隊からの連絡で“瑠狼弐”の総長、頼羽拳心と見られる男を目撃したとの情報が入っています!」

「「!!」」


 突然の情報に全員が目を丸くする。

そしてすぐに英雄は鳴海と目を合わせて頷き合った。


「了承した。機動隊には滝澤さん以外の戦闘は禁ずると伝えておけ。我々もすぐに向かう」


 鳴海は連絡役の刑事に要件を伝えるとすぐに車に乗り込む。

英雄達三人も準備は出来ていたと言わんばかりに席について前を向いた。


「ケンシン…!」


 あるかも分からない一縷の望みに掛けて英雄は鳴海の運転する車で拳心の元へと向かうのだった。










 機動隊と暴走族はどちらも引かず“抗争”と呼べるものとなっていた。

最早誰がどこにいるのか分からず遠目で何となく目立っているのが滝澤なのだと確認できる程度か。

丸香はどこにいるかすら分からない。

しかし到着と同時に英雄は走り出した。

まるでどこに目的の存在がいるか分かるかの様に。


「渦巻! どこへいく!」


 鳴海の質問には答えずに英雄は人混みの中に消えていく。

この人混みだ。一度見失えばそう簡単に探し得る事など至難の業だ。

だがそんな中麦は英雄を探す事は一旦止めて視界に入った一人の少女の腕を掴んだ。


「マルカちゃん!」

「え?ムギちゃん!?」


 引っ張りつつも人混みに飲まれそうになる麦の反対側の腕を空悟は引いて引っ張り出す。


「無茶やてムギちゃん! どないしてん?」


 意味までは理解出来なかったが麦が無駄な行動は取らないと考える空悟は少し拓けた場所で麦と丸香と向かい合う。

突然引っ張り出されて頭をポカンとさせる丸香の両肩を麦は勢い良く掴んだ。


「マルカちゃん! “千里眼”で渦巻くんの場所を探してほしいの! 恐らくそこに頼羽拳心がいるわ!」

「え!」


 麦は確信を持った瞳で丸香を見つめる。


「アイツは恐らく何かしらの確信を持って走っていった。多分何か思い当たる節があるんだと思うわ」

「ほならさっさと行かんと何が起きるか分かったもんとちゃうな」


 完璧に麦の発言の意図を理解した訳では無い。

だが前に英雄が言っていた「ムギの方が頭が良い」という言葉は空悟に絶対の信頼をもたらしていたのだ。

麦と空悟の信頼を丸香は真面目な視線で答える。


「分かった! ヒデオくん探してみる!」


丸香の瞳に十字の線が入り異質に変容した。

麦は後は祈るだけだ。

 英雄が友と想う男との邂逅は出来れば避けたい。

何故ならもし相手が本当に“亜人”なら。“鬼”ならそれはきっと良い結果をもたらさないからだ。


「渦巻くん……!」


 丸香は瞳を凝らすのだった。









 お前なら違うと、そう思っていた。

何故ならこの渦巻英雄が認めた唯一のライバル。

数試合しかしていない試合でもその数少ない試合が実に至福と言える名試合だった。

次は負けてしまうのではないだろうか。

次はどんな事をしてくるだろうか。

それを考えるだけでも楽しかった。

麗蘭にイジられる様に言われた事がある。


「まるで片想いだ」


 だがすぐに否定した。

この感情はそんなモノではない。

そんな一言の感情で表せるモノではない。

唯一言い表せるとするなら


“ライバル”


これ以上の言葉はないだろう。

 そう考えて角を曲がった先で英雄は息を切らして肩を上下に動かす。

そして足を止めて目前の男を見据えた。


「…………ケンシン」

「…………ヒデオ」


 問いかけに応える様に振り返る男は確かに頼羽拳心の顔を持ち、そして確かに人ではない存在だった。

忘れもしないあの初めて“亜人”を“亜人”として対峙した日。

ああ。これが“鬼”かと。

 この目で見て改めて確信した。

拳心は間違いなく“亜人”であり、“鬼”になっていた。








 息を切らしてその鼓動と呼吸が速くなる。

不安なのか、動揺しているのか。

鼓動は呼吸を超えるペースで速まっていく。


「ケンシン!」


 何かを言おうとしていたのに何も言葉が出ない。

 聞きたい事があった筈だ。

清子さんに一体何があった。

 伝えたい事があった筈だ。

こんな危険な事今すぐ止めるんだ。

 だが言葉はまるで空気に溶けて消えてしまうかの様に口から先に出ていかない。

ただ名前を呼ぶ事だけしかできない。


「…………ヒデオ。何でテメェがここにいる?」


 拳心は鋭く睨んで英雄を威圧した。

確かにその瞳は拳心の筈なのに脳の認識が拒絶する。

 英雄は力強く首を横に振った。


「俺は今………警察組織の特殊部隊で“亜人”と戦ってる。正式に・・・だ」


 敢えて強調する様に言った。

当然、拳心は反応する。


「“亜人”と…? じゃあテメェあの“トクアカ”とかいう奴らの一員だってのか?」

「ああ。ボクシング辞めてから色々あってな」


 怒ると思って言った。

それか動揺すると。

しかし拳心は“特亜課”を知っている風に答えた。

そして何より拳心の怒りは想像以上だった。


「何でテメェが入れて俺ぁ駄目なんだよぉ!」


 怒りをそのままぶつける様に怒鳴り散らす。

元々暴走族の総長をやっていただけあって相当の威圧感を持っていたが“鬼”となった今はより凄まじい迫力を持っていた。

 拳心は耳障りの悪い歯軋りで怒りを表す。


「俺もオフクロが殺された時に言ったんだ!戦わせてくれ!奴らを赦せねぇってよぉ!」


 立場が似ているからか。

どストレートに感情が投げ掛けられる。


「だがアイツラは俺を受け入れなかった! 戦える力がねぇからと! じゃあ俺のこの怒りはどうなる! 俺の憎しみはどうすれば良い!」


 拳心の怒りは泣いている様にも見えた。


「何年掛かるか分からねぇモンを待ち続けろなんざ出来るわきゃねぇだろうが!」


 英雄は拳心の怒りを聞く事しかできなかった。

何も言う事ができなかったのだ。

最初拳心の母、清子が亡くなったと聞いて立場が似てると思った。

だが違った。英雄は仇は討ったしその後戦う力も得た。

拳心は違うのだろう。

恐らく“亜人”を殺せなかった。

そして特亜課が来て処理したのだろう。

まるで違うではないか。

あまりにも違い過ぎる。

少しは分かってあげられると考えていた英雄の浅はかな考えは拳心の怒りで一瞬で愚かなモノだと分からされた。


「また……テメェが俺より先に行きやがるんだな。クソッタレ……!」


 拳心は泣くでも怒るでもなく英雄を見つめた。


「俺ぁ“亜人”にやられた傷が原因で感染した。運が良いのかまだ理性は消えてねぇ。だから俺ぁ……」


 決意を固めたその瞳は英雄の目に焼き付く。


「俺が俺でいられる間に出来る限り“亜人”を殺して回る。それが俺にできるオフクロへの償いで俺の怒りの復讐だ」


 例え何を言っても曲がらない。

そんな意思を感じる瞳が浴びせられた。

それでも言わなければならない想いが辛うじて口を開かせる。


「……………もしお前の意思が途切れて“亜人”に………“鬼”になっちまったらどうする気だ?」


 聞きたい様で聞きたくない答えを待ち息を飲む英雄。

そんな英雄などいざ知らず拳心の影から一人の少女が顔を出す。


「……カオルか」


 少女の事を英雄は知っている。

名前は八上 薫ヤガミ カオル。拳心の彼女であり拳心と共に暴走族を引退した筈の少女。

 薫は静かに拳心の前に立つ。

しかしその表情にはどこか複雑な感情が垣間見えた。

 振り払う様に薫は力一杯右足で地面を踏み仕切る。


「その時は私がケンちゃんを撃ち殺す。必ず」


 そう言った薫の右手には一丁の銃が握られていた。

短い期間ながらも警察組織に在籍しているからか。少し遠目でも分かる。

あれは本物の銃だ。

どこで入手したかは分からない。

だがあれは間違いなく本物の銃なのだ。

そしてそれだけで薫の本気が伝わってくる。


「……………」


 この時本来英雄が取るべき行動は一つだ。

相手は成りかけといえど“亜人”。

そして英雄は特亜課の隊員。戦う力もある。

ならば英雄は目の前の“亜人”を的確に処理し、且つその場にいる共犯者の中心人物達の逮捕に協力しなければならない。

目の前には六人程の暴走族“瑠狼弐”のメンバー。

その中で英雄が知っているのは三人。

“亜人”と化した頼羽拳心。

その彼女の八上薫。

そして“瑠狼弐”の副総長にして拳心の幼馴染み真琴 獅子男マコト シシオ

その三人を含めてこの場の全ての人間を的確に対処するのが英雄の仕事なのだ。

 英雄はゆっくりと目前を見据えて拳を握り直した。










 少し息を切らして角を曲がり切る。

丸香が最後に“千里眼”で英雄を確認したのはこの辺り。

そこからどうにか麦が推理してこの角の路地を導き出した。

ここにいる理由はまだ定かではないが少なくともここに英雄がいる筈。

麦は呼吸を落ち着かせる様に路地に立つ英雄を見た。


「ハァ……ハァ……渦巻くん………一人なの?」


 たった一人佇む英雄は何も言わずに拳を固く握り、ただ立ち尽くしていた。

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