第四話 罪と罰。4
「……あん?」
なんだって?
「お前はワシに『お父ちゃん』と名付けたな。覚えとるか?」
「お、覚えとらんわ。なんやそのけったいな話」
いかん。動揺してしまった。世界観が分からない。えなに? どゆこと? 逆じゃなくて?
吉川さんは開始当初からしていた哀愁漂う刑事さんみたいな格好をやっと解いた。そうして体の向きを変え、窓のサッシに腕を凭れさせ外を眺める。脚は相変わらずの大股開きだ。印象は変わらない。
「お前がこうしてここまで下りてきてくれたっちゅうことはここも崩壊が近いんやろう。いいやろ。全部話したる」
「……崩壊?」
「この世界はな? お前さんが作り出した心象風景や」
「は? なに言ってんの?」
「心象風景ってなんやわかるか?」
「知らん」
「心象風景っちゅうのはな。文字通り心が描き出した――作り出したって言った方がええかな――世界や。つまり、ここは現実やないっちゅうことやな」
「……」
雨梨は――あ、聞き入ってる。どうやら雨梨好みのお話らしいな。あたしは内心頭を抱えている。どうしてこの子はこう……、変な方向に話を持っていくのだろう。先々週といい、妙にメタ臭いというか。ロボットがなんで心象風景作り出すんだよ。
「お前、さっき誰かに話しとったやろ。これも覚えとらんか」
「え? さっき? あたしが?」
あ。人称素に戻っちゃった。
「……ワシが?」
言い直す。吉川さんはこくりと頷いた。
「ああ。そいつもワシと生まれは一緒じゃ。十年前にお前さんに生み出された人格のひとつっちゅうわけや」
「人格て」
「たぶん、まだそのへんにいるはず……おーい。お、いたいた」
言いながら吉川さんは雨梨の腕を掴む。戸惑う雨梨だったが、吉川さんは気にせず雨梨を強く引っ張った。椅子に背を凭れさせていた雨梨が前のめりになって至近距離であたしと見つめ合う。雨梨は心底嫌そうな表情をしている。
「こうして主人格であるお前さんが認識するのははじめてやろ。どや、挨拶しとき。今まで散々お前さんをサポートしてきたんやから」
「…………ドーモアシモフデス」
「アシモフ先生……!」
あなたがアシモフ先生だったんですか。金髪少女とは意外です。けっこうおっぱい大きいんですね。顔真っ赤ですけど、どうかしたんですか。
ふむ。話がおかしな方向に転がっているな。これ、どこにいくんだろう。ちゃんとオチ考えているんだろうか。
「……話をまとめるとつまり、ワシが主人格で、ここはワシが生み出した心象風景、そしてお前さんらはワシが生み出した第二人格と第三人格っちゅうわけか? まだいるんか? これで全部か。ふうん。まあまあありがたいことに今までワシをサポートしてきたと。
ま、多重人格ってそういうもんらしいからな。ストレスが重なると、嫌なことを引き受ける人格を作り出してしまうっちゅう病気。ワシも外の世界で聞いたことあるで。今は違う言い方するんやったっけ? で? なんでそんなんなっとるんや? 十年前、一体なにがあったんじゃ?」
ここまで聞いたお話を纏めてから尋ねた。
冷静になってみたら、お話進んでない。設定明かしたけれど、結局十年前に何があったのかは不明なままだ。ガワが複雑になってより面倒くさくなっただけに思える。どうすんだよ。
吉川さんはあたしの疑問の言葉に、眉根を寄せ如何にも苦しげに呟いた。
「それはワシにも言えんのじゃ……。言うたやろ? いい加減認めたらどうなんやって。つまり、お前さん自身が認めないといかんのじゃ」
「……?」
なんでここまで妙な展開をしといて――……あ。――あっ! まさか……!
こ、こいつっ! 設定だけやたら複雑にしといて肝心なところは全部あたしにぶん投げる気でいやがるっ!
く、くそぉ~。なんて性格の悪い奴なんだ。卑劣にも程がある。身に覚えしかないあたしだったから許してやるしかないが、やっぱり身に覚えしかないからここは敢えて許してやることにしよう。
ううむ。これが天罰。自らの犯した罪で自らの首を絞める結果になるとは皮肉な。
「どや? なんや思い出してきたか?」
身を乗り出して先を促してくるのがいやらし過ぎてやっぱり許しがたくなる。
いーや、冷静になれ。
そうは言ってもだ。この先の展開、先程あたしが予想したような展開にするのが別段難しくなったわけじゃない。十年前をきっかけにしてこうなってしまったというだけだ。振りとしては予想外に最悪だったけれど、最初に吉川さんの言った『いい加減認めたらどうなんや。お前が十年前に犯したあの罪』を、認めなければならないってところからは何も変化していない。
難しくなってしまったのは、ロボットがこんなような心象風景と別人格を作り出してしまったという、納得のいく理由を作ること。
あたしがまだロボットか人間かいまいち定まってない感はあるが、そこはロボットにしといた方がやりやすいだろう。
ネタとなるのはこれ。
あたしは自ら伏せた本を改めて手に取った。
第一条
ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条
ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条
ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
うん。改めて見てみても、これ、ジレンマに陥る可能性が高いように思える。文言がごちゃごちゃしていて個人的に分かりにくいため(サーセン。アシモフセンセイ)、自分なりに要約してみよう。
第一条
ロボットは人間に危害を加えてはならない。
第二条
ロボットは人間の命令をまもらなければならない。
第三条
ロボットは自分をまもらなければならない。
例えばだ。人間が車に轢かれそう。ロボットは主人である人間を助けなければならない。これが第一条に相当する。二条もか。が、ロボットが身を挺して助けた場合、ロボットが破壊される恐れがある。これは第三条に反する。この場合、ロボットはジレンマに陥る。
これがナイフを持った殺人犯が迫ってきている! だったら、ロボットは己のボディの強固さを計算に入れて、すぐに主人を助けに入ったかもしれない。
だけど、自らも破壊される危険性の高い何かが差し迫った場合、この三原則を内に組み込まれたロボットたちはどう行動するのだろう?
フリーズする? 異音を発する? 煙出して壊れる? 初期化? それでも助けに入る?
こういった場合に備えた何らかのプログラムがあらかじめ用意されていて、それが発動したりする?
――んー……、うん。その辺りが妥当か。展開するなら。しっかし……。
安易に答えを導き出すことは出来るが、それをしてしまったら当初の目論見が外れて、結局吉川さんにいいように負かされたみたいであんまりやりたくないっ!
くそう……。これがジレンマか。あちらを立てればこちらが立たずという。
あ。いけない。これは無茶振りゲーム。黙って考え込んでいたらどんどんハードルが上がってしまう。
現に、今もあたしが黙り込んだものだから変な空気になっているし。ようし。
「そや。だんだん思い出してきたで」
「ほう? なんや言うてみ」
「これや。ワシの中にプログラムされていた三原則。お父ちゃんもアシモフ先生も当然知っとるやろ」
「そらな」
「まあ……アシモ……わたしが書いたんだしそりゃあ知ってるけど」
「つまりな――」
あたしは先程まで考えていた三原則のジレンマを語って聞かせた。
「へえ。読んでもないのにパッと見でそこに辿り着いたんだ。流石だね」
雨梨が素で感心していた。
え? そう? この三原則パッと見でそれ思わない? 作者がお話つくるためにわざとやってるんじゃないかとすら思ってた。知らんけど。気になるから雨梨に借りようかな。
もちろんそんなことは口にしない。今はゲームに集中だ。
横で聞いていた吉川さんが顔を上げる。
「つまり、あれか? ワシとアシモフ先生、及びこの世界はお前がジレンマに陥った結果出現した、あらかじめ用意されていたプログラムっちゅうことか?」
「そういうこっちゃ」
あたしの応えにわざとらしく吉川さんは腕を組んだ。
「はあん。まあそれはよしとしよう。分かっていたことでもあったしな」
「……分かっていた?」
あたしは疑わし気に問い返した。対する吉川さんは何でもないことのように、手をひらひらと顔の前で振る。
「言うたやろう? この世界も崩壊が近いって。自分の存在がどういうもんかくらいちゃあんと認識しとるわ」
なーんか言い方が引っかかるが……ま、いっか。あんまり長引かせてもつまらない。ここらが潮時だろう。
あたしは言う。唇を湿らせ、たっぷり溜めを作ってからそれを言う。
「人を殺したんじゃ」
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