ランナーズ

十乃三

第1話 序

 冒険―。

 旅や探検を指す言葉。

 子供の頃はそう思っていた。

 だから初めて『トム・ソーヤーの冒険』を読んだときも、いっこうに旅に出ない主人公たちに見当外れな苛立ちと物足りなさを感じたことを覚えている。


 今年もゴールデンウィークがやってきた。

 毎年高校時代の陸上部仲間と会う約束の季節。

 必ず全員がそろうわけではない。それでもあれから三十年以上が経ったいまでも、この行事は続いている。

 出張を終えて東京に戻る新幹線の窓外には、夕暮れの田園風景が広がっていた。すでに田植えを終えて苗の緑に包まれた田んぼもあれば、まだ水を張る前の茶色い場所もある。

 高速で通り過ぎてゆくそんな夕暮れの田園をぼんやり眺めていたら、ふいに風景の中を走る人影が一瞬のうちに後方へ通り過ぎていった。ちょっと太り気味の中年男。トレーニングというよりは体力維持のための運動行為。高校生の頃、おれたちはそういう人たちをジョガーと呼んでいた。その言葉には侮蔑の意味も含まれていた。あの頃のおれたちにとって、練習とは速くなることだった。肥満解消とか、体力維持とか、健康促進とか、そんな思考は欠片もない。ジョークにさえならなかった。

 でも、いまはよくわかる。

 学生生活を終えて、社会に出れば否応なしに自分の時間は削り取られてゆく。速く走る理由はなくなり、仕事以外のわずかな時間は別の日常に置き換えられてゆく。筋肉は脂肪に替わり、体力は日に日に衰えてゆく。そして、ふとあの頃蔑んだジョガーのことを思い出す。

 高校時代のおれたちには大きな目標があった。その目標が手の届く場所にあろうとなかろうと関係なかった。いま振り返れば、実現するかどうかなんて、たいした問題ではなかったのかもしれない。進もうと思う道があるだけで、どんな無謀な目標にも可能性は生まれる。もし進みたい道がなかったら、それは可能性以前の問題だ。そこに奇跡の割り込む余地はない。

 いま、日々のニュースを見るにつけて考えさせられることは多い。三十年前には頭の角にもなかった問題に縛られ、悩まされたりする。

 走るにせよ、勉強するにせよ、もっとやれたはずだと思う。少なくとも努力くらいはもっとできた。なにしろあの頃のおれたちにはあらゆる意味で束縛などなにひとつなかったのだから。

 あの頃は何も見えていなかった。

 しかし、それでもなお、あの三年間はおれたちにとって紛れもなく冒険だった―。

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