第5話 魔導士訓練

「手綱に意識を集中しすぎです。やってみせますから、よく見ててください」


 ルイセは、魔導士達の前で凛然と騎乗し、見事に魔法を発動させた。炎の矢が空を切り裂き、その軌跡が鮮やかに描かれる。


「おおっ!」


 歓声が上がり、魔導士達の視線が彼女に集中する。熱い視線を浴びたルイセは、どこかくすぐったい感覚に襲われた。


(どうして私がこんなことを……)


 心の中で苦笑しながら、彼女は思い出した。半ば無理やり軍師補佐の役職を押し付けられ、その上でキッドに頼まれたことを。




「魔導士達を馬に乗りながら魔法を使えるようにするのですか?」


「ああ。魔導士達の魔法技術を底上げし、騎乗しながらの魔法使用も教えてやってほしい。ルイセなら適任だと思う」


「魔法技術の底上げは理解できますが……」


 納得しかねた表情で首をかしげるルイセ。

 彼女はかつて魔法を使う暗殺者であった。その経験から、騎乗しながらの魔法使用は、個人で戦う上で重要な技術であることはよく知っている。

 しかし、国に仕える魔導士は、通常、軍という組織の中で集団行動をすることになる。単独では弱い魔法であっても束になって使うことで、遠距離から敵部隊に大ダメージを与える戦術兵器級の戦力へと変わる。そして、戦場では、その重要な魔術師達を守るため、その周囲を重装歩兵で固めるのが、どの国でも行っている基本戦術だ。そのため、魔導士に乗馬しながら魔法を使う訓練をさせている国など、どこにもない。そういう状況になっているということは、すでに重装歩兵の守りを破られ、魔導士達が潰走しているということであり、その時点でもう戦いは負けなのだから。


「これからの戦いには必要になるんだよ。魔法を使いながら戦うことに関しては、俺よりもルイセの方が上だろうし、よろしく頼むな」


 かつてキッドが戦ったシャドウウィンドは、魔法を使いながら剣を振るうというよりは、もはや剣と魔法が一体となった攻めをしてくる相手だった。あの戦いぶりは、今思い出してもキッドを戦慄させる。

 そして、彼女のそのセンスは、乗馬時の魔法においても同様だった。意識の半分を魔法に向けつつ、もう半分は馬へと向ける。そういうことに関して、ルイセには間違いなく天賦の才があった。


「まぁ、やれというのなら従いますけど……。私は人にものを教えたことなどありませんから、どうなっても知りませんよ」


「大丈夫、大丈夫。魔導士達の前でお手本を見せてくれれば、それで十分だ」


 翌日、彼女は魔導士達の前で軍師補佐として紹介され、キッドは彼女にすべてを任せて去っていった。




 一方で、キッドは騎士団の訓練に専念していた。

 魔導士である彼には剣技を教えることはできなかったが、緑の公国で部隊を率いて戦った経験から、集団戦術についての深い知識と経験を持っていた。

 戦場では、個々の戦闘力よりも集団としての動きが重視される。

 キッドは、戦場での陣形や、各部隊の役割分担を指導ながら、その大切さを強調した。彼の目指すのは、個々が力を発揮しつつも、全体として機能する軍団の創造だった。


「力を合わせ、戦場で一つの意思を持つことが、勝利を手繰り寄せる鍵だ」


 彼の言葉に、騎士達は真剣な眼差しを向け、その教えを吸収しようと懸命だった。

 キッドの冷静で的確な指導により、騎士団は次第に結束を強め、訓練場では、彼らの統率の取れた動きが徐々に形を見せ始めていた。


「なんとか形にはなってきたな」


 騎士達の動きを見て、キッドは満足そうに頷いた。


「剣技の腕前はともかく、騎士達の理解力は高い。でも、ほかの国の騎士団ならこうはいかなかっだろうな……」


 紺の王国は、教育に力を入れていることで知られており、その影響を受けてか、騎士達は皆、勤勉で頭の回転が速かった。知識の吸収力もさることながら、指導に対する柔軟性を持っていた。しかし、いくら頭が良くとも、騎士特有のプライドや傲慢さがあれば、こうした戦術理解の進展は難しかっただろう。

 だが、彼らにはそれがなかった。何より驚くべきは、騎士団が外様のキッドを抵抗なく受け入れたことだった。過去に実績はあるものの、緑の公国を追放された魔導士。そんな得体の知れない男を、彼らは信頼した。ルルー王女がキッドのことを信用しているという理由もあるだろうが、それだけでなく、彼ら自身が自らの弱さを知っていたのだ。無力さゆえに王女を守れないかもしれない、その危機感が彼らを謙虚にし、頼れるものには何で頼り、吸収できるものはすべて自分のものにしようとする執念を持たせた。

 その強い意志が、キッドを受け入れさせたのだ。彼らの目に浮かぶ覚悟と決意を感じながら、キッドは訓練の進展に満足の色を浮かべた。


「こっちは目処がついてきたな。あとは魔導士達か……」


 キッドは、訓練場の様子を確認し、騎士隊長に指示を出すと、魔導士達の訓練場へと向かった。

 彼が到着した時、そこにはルイセが馬上で魔法を自在に操りながら、魔導士達に手本を示している姿があった。

 その姿は、鋭い眼差しを持つ魔導士達の視線を釘付けにしていた。彼らはルイセの動きを一瞬でも見逃すまいと、必死に目を凝らしている。

 キッドは、口数の少ない彼女が自ら体現して見せるスタイルが、しっかりと彼ら魔導士の指導に成果を上げていることを感じ取った。


「さすがだな……」


 キッドの口から、思わず感嘆の声が漏れた。期待以上の働きを見せるルイセに、自然とその言葉が出てしまったのだ。

 彼はそのまま静かに訓練の様子を見守るつもりでいたが、ルイセはすぐ彼の存在に気づいたようだった。魔導士達に自首訓練を命じると、無言のままキッドの方へと歩み寄った。


「魔導士達を私に任せたっきり、ろくに手伝いもしにこないのに、こんなところで見物とは良いご身分ですね」


 ルイセの言葉には鋭いトゲが含まれていたが、その口調には不思議と温かみが感じられた。彼女は感情を表に出すことが少ない。今もその言葉が本心からのものか、それとも別の意図があるのか、キッドには掴みかねたが、それでも彼女らしいその態度に、キッドは妙な安心感を覚えた。


「ルイセを信用しているからな」


「――――!?」


 ルイセの顔に一瞬戸惑いが浮かんだが、それもすぐに消え、いつもの無表情に戻った。

 キッドはその表情の変化を見て、肩をすくめながら苦笑いした。


「とりあえず、休憩しようぜ」


 キッドは腰に下げていた水筒をルイセに差し出した。


「そういうあなたは、こちらの訓練を見に来ては、いつも呑気そうに眺めて休憩しているようでしたが?」


 ルイセは水筒を受け取りながら、その細くて綺麗な目をさらに細めて、冷たい視線を向けてきた。


「気づかれないように見ているつもりだったが……気づかれていたのか」


 キッドが少しばかり驚いたように言うと、ルイセはふっと視線をそらし、やや拗ねたように言い返す。


「言っておきますが、別にあなたが来たから気づいたわけではありませんよ。誰が来ても私はきっと気づいたはずです」


「ん? そうだろうな。ルイセほどの観察力と視野の広さがあれば、きっとそうなんだろうな」


 キッドの言葉を聞いたルイセの頬が、わずかに紅潮した。


「ええ、そうです。そうなんです!」


 彼女の声には微かな照れが混じっていて、らしくないその反応に、キッドは嬉しそうに笑みを浮かべた。

 彼の笑みに気づいたルイセは、顔をそらしながら照れ隠しのように水筒に口をつけ、勢いよく飲み始める。


「おお、なかなかいい飲みっぷりだな」


「……うるさいですね。……これ、水ではないんですね」


「ああ、俺の特製ドリンク。栄養たっぷりだし、味も悪くないだろ?」


 キッドは自信たっぷりに返した。


「ええ、悪くはありませんが……特製ドリンクということは、あなたが作ったんですか?」


「まぁな」


 ルイセはキッドの身体に視線を向け、彼が持っているはずのもう一つの水筒を探すが、それらしきものは見当たらない。


「……あなたの分の水筒は?」


「ん? それしかないぞ」


 キッドが指差したのは、ルイセが手にしている水筒だった。


「……一つ聞いていいですか?」


 ルイセの声には緊張が滲んでいた。


「ああ、構わないぞ」


「私が飲む前にあなたもこの水筒で飲みましたか?」


「そりゃ飲んだに決まってるだろ」


「――――!?」


 キッドが無邪気に答えた瞬間、ルイセの顔は瞬時に真っ赤になり、彼女は勢いよく水筒をキッドへと突き返した。


「どうした、急に?」


「な、なんでもないです! とにかくこれはお返しします!」


 ルイセは視線をそむけ、必死に平静を装おうとするが、その声には動揺が隠しきれなかった。


「ん? もともと返してもらうつもりだったけど……口に合わなかったか?」


 キッドは不思議そうな顔をしながら水筒を受け取ると、そのまま自分の口へと水筒を運んでいった。


(あ!? ちょっと待ってください! そこは私が口をつけたとこ――!!)


 ルイセは心の中で叫ぶが、止める間もなくキッドは無造作に水筒に口をつけ、中のドリンクを飲み始めた。

 自分が口をつけた場所と同じところにキッドの唇が触れるのを見て、ルイセはさらに顔を赤らめ、視線をそむけた。

 とはいえ、だからといって耳まで塞ぐことはできない。キッドが喉を鳴らして飲み込む生々しい音を、ルイセは隣で聞かされるはめになった。


 そんな二人の元に駆け寄ってくる足音が一つ。


「キッド様、ここにおられましたか!」


 荒い息を吐きながら近づいてきたのは、顔に覚えのある王女の近衛兵だった。


「どうしたんだ、そんなに慌てて」


 キッドは口から離した水筒を腰に結び、近衛兵に向き直る。


「緑の公国の使者が参られてます! ルルー王女がキッド様にも同席してほしいとのことです!」


「緑の公国……」


 それはキッドがかつて在籍し、そして追放された国の名だった。

 その国の名を聞くと、山奥の家から離れる際に見たミュウの顔が蘇り、胸に鋭い痛みをもたらす。


「使者の名前はわかるか?」


「はい、ミュウと名乗っていました」


「ミュウだって!?」


 ルルーの紺の王国と、ミュウが仕える緑の公国は隣接していない。黒の帝国の脅威に直面しているという点では共通しているものの、紺の王国は帝国の南側に位置し、緑の公国は帝国の西側にあたる。現時点で両国が直接何かをやりとりするメリットは少ない。それゆえに、使者としてのミュウの来訪がいかなる意図を持っているのか、キッドにもその全貌は掴めなかった。


「……わかった。すぐに行く」


 キッドは決然として顔つきで王の間に向かって足早に歩き出した。

 その背中を見つめていたルイセも、静かにその後を追った。

 キッドの心の中には、再びミュウと対面することで何が待ち受けているのかという、不安と期待が交錯していた。

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