第5話 魔導士訓練

 翌日、ルイセの姿は魔導士たちの訓練場にあった。

 その姿は、昨日のウェイトレスの制服とは一転して、紺の王国の軍服に包まれている。紺を基調にしたその軍服は、白色の意匠が巧みに施され、上品でありながらも戦闘を意識したデザインが随所に光る。女性騎士は、優美さも求められるため、スカートを着用するのが原則だ。軍師補佐であるルイセも例外ではなく、紺色のスカートを身に纏っていた。その下には黒いタイツがぴったりと脚を包み込んでおり、動きやすさと美しさを兼ね備えたその服装は、彼女の堂々とした姿を引き立てている。


「手綱に意識を集中しすぎです。やってみせますから、よく見ていてください」


 並んだ魔導士たちの前でそう言い放つと、ルイセは軽やかに馬を駆った。馬上での動きは無駄がなく、長年の経験が身体に染みついているかのようだった。そして、流れるような動作で片手を掲げた瞬間――燃え盛る炎の矢が生まれる。

 それは空を切り裂く紅蓮の軌跡となり、鮮やかに魔導士たちの瞳に焼き付いた。


「おおっ!」


 驚きと歓声が広がる。ルイセに向けられていた魔導士たちの視線が、一斉に熱を帯びる。その反応に、彼女はどこかくすぐったいような感覚を覚えた。


(どうして私がこんなことを……)


 心の中で苦笑しながら、彼女は思い返す。

 半ば強引に軍師補佐の役職を押し付けられた後、キッドに頼まれたことを――




「魔導士たちを、馬に乗りながら魔法を使えるようにするのですか?」

「そうだ。魔導士たちの魔法技術を底上げしたうえで、騎乗したままの魔法戦闘に対応できるようにしたい。ルイセ、お前なら可能だろ?」


 キッドの言葉に、ルイセは納得しかねる表情で首をかしげた。


「魔法技術の底上げは理解できますが……」


 彼女はかつて、魔法を駆使する暗殺者だった。その経験から、騎乗しながらの魔法は、個人で戦う上で極めて重要な技術であることは理解している。

 しかし、国に仕える魔導士は違う。彼らは軍という組織に属し、個ではなく集団で戦うことを求められている。単独では小さな火種でしかない魔法も、数十人、数百人と束になれば、遠距離から敵陣に壊滅的なダメージを与える戦術兵器となる。戦場において、魔導士たちは最も重要な戦力の一つなのだ。そのため、彼らが単独で前線に立つようなことは決してない。

 そして、そんな魔導士を守るのは重装歩兵。厚い盾と剣を構え、彼らを守るための防壁を築く。それが、どの国でも当然のように取られる戦術だった。

 そのため、魔導士に騎乗しながら魔法を使う訓練をさせている国など、どこにもない。もし魔導士が馬に乗って魔法を使う状況があるとしたら、それはすでに重装歩兵の守りが破られ、魔導士たちが逃げる時にほかならない。そして、それはもう、負け戦だ。負け戦の時のための訓練など、意味がない。

 ――それなのに、なぜ?

 ルイセは、答えを求めるようにキッドを見た。


「これからの戦いには必要になるんだ。魔法を使いながら戦うことに関しては、ルイセも得意だろうし、よろしく頼むな」


 キッドは知っている。かつてシャドウウィンドと戦った時に見せた馬上での技を。

 ミュウと二人がかりでシャドウウィンドを追い詰めた際、彼女は隠していた馬に飛び乗り、逃走を図った。そのとき、追撃しようとしたキッドとミュウを、彼女は騎乗しながら放った魔法で足止めし、見事に逃げおおせたのだ。

 馬を操りながら魔法を使う、その二つを両立させる戦闘技術を持つ者は少ない。ルイセほどの適任者はほかにいないと、キッドは確信していた。


「やれというのなら従いますが……。私は人にものを教えたことなどありませんから、どうなっても知りませんよ」

「大丈夫、大丈夫。魔導士たちの前でお手本を見せてくれれば、それで十分だ」


 そして、その翌日の今日、キッドは魔導士たちの前でルイセを軍師補佐として紹介すると、あとはすべて彼女に任せ、去っていってしまったのだった。




 一方で、魔導士たちをルイセに託したキッドは、騎士団の訓練に専念していた。

 魔導士である彼には剣技を教えることはできない。しかし、緑の公国で部隊を率いて戦ったこともある彼には、集団戦術についての深い知識と実戦経験があった。

 戦場では、個々の戦闘能力よりも集団としての組織力や連携が重要になる。

 キッドは、陣形の組み方や各部隊の役割分担を指導し、その重要性を説いた。ただ強い兵を育てるのではなく、個々が力を発揮しながらも、全体として機能する軍団を作り上げる――それこそが、彼の目指す理想だった。

 実際、キッドの冷静で的確な指導のもと、騎士団は次第に結束を強め、訓練場では彼らの統率の取れた動きが徐々に形を成し始めている。


「なんとか形にはなってきたな」


 騎士たちの動きを見て、キッドは満足そうに頷いた。


「剣の腕前はともかく、騎士たちの理解力は高い。ほかの国の騎士団だったら、こうはいかなかっただろうな……」


 紺の王国は、教育に力を入れていることで知られており、その影響もあってか、騎士たちは皆、勤勉で頭の回転が速かった。しかし、いくら頭が良くとも、騎士特有のプライドや傲慢さがあれば、こうした戦術理解の進展は難しかったはずだ。

 だが、彼らにはそれがなかった。何より驚くべきは、騎士団が外様の魔導士のキッドを抵抗なく受け入れたことだった。彼には過去に実績はあるとはいえ、緑の公国を追放された魔導士。そんな得体の知れない男を、彼らは信頼したのだ。

 ルルー王女がキッドのことを信用しているから、という理由もあるだろう。しかし、それだけでない。何よりの理由は、彼らが自らの弱さを知っていたことだった。

 無力であるがゆえ、王女を守れないかもしれない――その危機感が、彼らを謙虚にし、頼れるものにはなんでも頼り、吸収できるものはすべて自分のものにしようとする執念じみた必死さを持たせた。

 その覚悟が、キッドを受け入れさせたのだ。

 彼らの目に宿る覚悟と決意を感じながら、キッドは訓練の進展に満足の色を浮かべた。


「こっちは目処がついてきたな。あとは魔導士たちか……」


 キッドは騎士隊長にいくつか指示を出すと、足早に魔導士たちのもとへ足を向けた。


 魔導士訓練場では、ルイセが馬上で魔法を自在に操りながら、魔導士たちに手本を示していた。

 陽光を浴び、しなやかに馬を駆る彼女の姿は、まるで戦場を舞う一陣の風のようだった。魔導士たちは誰もが食い入るように彼女を見つめ、その動きを一瞬たりとも見逃すまいと、必死に目を凝らしている。

 魔導士という者は、その性質上、理屈っぽい者が多い。そんな彼らには、口で説明するよりも、ルイセのように余計なことは語らず、自らが模範を示すスタイルが、合っているようだった。

 キッドはそのまま静かに訓練を見守るつもりでいたが、ルイセはすぐ彼の存在に気づいたようで、魔導士たちに自主訓練を命じると、無言のまま彼の方へと歩み寄ってきた。


「魔導士たちを私に任せっぱなしで、ろくに手伝いにも来ず、こんなところで見物とは良いご身分ですね」


 彼女の言葉には棘があったが、不思議と冷たさは感じなかった。感情をあまり表に出さない彼女が、こうして皮肉を口にすること自体が珍しい。だからこそ、逆にキッドは妙な安心感を覚えた。


「ルイセを信用しているからな」

「――――!?」


 ルイセの瞳がわずかに揺れた。彼女は一瞬だけ、何かを言いかけたようにも見えたが、すぐに表情を整え、いつもの無表情に戻る。

 キッドは彼女のわずかな変化に気づかないまま、近くのブロックに腰を下ろす。


「とりあえず、休憩しようぜ」


 キッドは、自分の隣をぽんぽんと叩き、座るよう促すと、腰に下げていた水筒をルイセに差し出した。


「あなたは、こちらの訓練を見に来ると、いつも呑気そうに眺めて休憩しているようでしたが?」


 ルイセは水筒を受け取ると、キッドの隣に座った。


「気づかれないようにしていたつもりだったんだけど、さすがだな」

「言っておきますが、別にあなたが来たから気づいたわけではありません。誰が来ても私はきっと気づいたはずです」


 彼女の声には微かな照れが混じっていた。らしくない反応に、キッドは面白そうに口元を綻ばせる。

 その表情に気づいたルイセは、居心地悪そうに視線を逸らし、照れ隠しのように水筒に口をつけ、勢いよく飲み始める。


「おっ、なかなかいい飲みっぷりだな」

「……うるさいですね。……これ、水ではないんですね」

「ああ、俺の特製ドリンク。栄養たっぷりだし、味も悪くないだろ?」


 キッドは自信たっぷりに胸を張った。


「ええ、悪くはありませんが……特製ということは、あなたが作ったんですか?」

「まぁな」


 ルイセはふとキッドの身体に視線を移し、彼が持っているはずのもう一つの水筒を探した。

 だが、それらしきものが見当たらない。


「……あなたの分の水筒は?」

「ん? それしかないぞ」


 キッドが指差したのは、ルイセが手にしている水筒だった。


「……一つ聞いてもいいですか?」


 ルイセの声には緊張が滲んでいた。


「ああ、構わないぞ」

「私が飲む前に、あなたもこの水筒で飲みましたか?」

「そりゃ飲んだに決まってるだろ」

「――――!?」


 キッドが何気なく答えた瞬間、ルイセの顔がみるみるうちに真っ赤に染まる。次の瞬間、彼女は勢いよく水筒をキッドへ突き返した。


「どうした、急に?」

「な、なんでもないです! とにかくこれはお返しします!」


 ルイセは明らかに動揺しながら、必死に平静を装うとする。しかし、わずかに震える声と逸らした視線が、内心の狼狽を隠しきれていなかった。


「ん? もともと返してもらうつもりだったけど……口に合わなかったか?」


 キッドは不思議そうに水筒を受け取ると、何の躊躇いもなくそのまま口元へと運んでいく。


(あ……!? ちょっと待ってください! そこは私が口をつけたところ――!!)


 ルイセの思考が一瞬にして沸騰する。しかし、声を上げる前に、キッドは何も気にする様子もなく無造作に水筒の縁へ唇をつけ、中のドリンクを飲み始めた。

 自分が口をつけた場所と同じところにキッドの唇が触れているという事実に、ルイセの顔はみるみるうちに紅潮し、咄嗟に視線をそらしてしまう。

 とはいえ、耳まで塞ぐことはできない。キッドが喉を鳴らして飲み下す音が、妙に生々しく聞こえてきた。意識すればするほど、鮮明に響く音に、ルイセは身体を震わせながら耐える。

 そんなところに、慌ただしい足音が近づいてきた。


「キッド様、ここにおられましたか!」


 荒い息を吐きながら駆け寄ってきたのは、王女付きの近衛兵だった。


「どうしたんだ? そんなに慌てて」


 キッドは口から離した水筒を腰に結びつけながら、近衛兵に向き直る。


「緑の公国の使者が参られてます! ルルー王女が、キッド様にも同席してほしいとのことです!」

「緑の公国だって?」


 その名を聞いた瞬間、キッドはわずかに表情を強張らせた。

 それは彼がかつて身を置き、政治的陰謀により追放された国。

 山奥の家を離れる際に見た、あの何とも言えないミュウの顔が、胸への鋭い痛みとともに蘇る。


「……使者の名前はわかるか?」

「はい、ミュウと名乗っておりました」

「ミュウだって!?」


 その名を耳にした瞬間、キッドの瞳が大きく揺らぐ。

 ルルーの紺の王国と、ミュウが仕える緑の公国は直接の隣国ではない。黒の帝国の脅威に直面しているという点では共通しているものの、紺の王国は帝国の南側、緑の公国は帝国の西側に位置し、これまで両国の交流はあまりなかった。そんな中での使者としての来訪――しかもミュウ自身が。

 その意図を、キッドは掴み切れなかった。


「……わかった。すぐに行く」


 キッドは決然とした面持ちで踵を返し、謁見の間へと足早に向かう。

 その背中を見つめていたルイセは、ふと唇に意識を向けた。つい先ほどの出来事が、まだ心の奥で燻ぶっている。だが、それを振り払うように首を振り、静かにキッドの後を追った。

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