第17話 準備室

 ライズに向けられた、珊瑚さんごのような淡いピンクの瞳。

 それは、フィフィーのものだった。


 ヴァンの上司だという彼女は、正門で挨拶してからここまで、何も話すことはなくただ静かにライズたちに同行するだけだった。

 そんな彼女が突然口を開いたことも意外だったが——それ以上になんの話をされているのかわからず、ライズは首を傾げた。



「正常? それは——」


「……え?」



 自分で口にしたことのはずなのに。

 フィフィーは不思議そうに目を丸くする。そこに。



「あーっと!」



 割って入ったのはヴァンだった。



「そのーですね。今のはー……」


「ああ、もしかして、昨夜鍵は正常だったと僕が表現したからですか?」


「あーそれですそれです! ですよね、オルヴァリアさん!」


「あ、はい。その言葉が気になっていたので……つい」



 それきり、フィフィーはまた黙ってしまった。


 彼女の様子が気にならなかったわけではない。

 けど今は扉を開けるのが先だと、ライズは先端に砂時計のついた鍵を鍵穴に差し込む。するとつまんだ指越しに、何かが動くかすかな振動が伝わってきた。


 この瞬間に、鍵と扉がどんな照合を行っているか正確にはわからない。ただ先ほどの話のとおり——細かい説明は省くが、鍵と扉のどちらかに異常があれば扉は開かないようになっている。

 かちゃりと音がして、何事もなく鍵が抜けた。



「開けます」



 ライズはちらりと振り返ると、取っ手にかけた手を引く。


 キィ、という小さな音。

 扉の向こうは暗い。

 ライズはすぐに壁伝いに手を伸ばし、呪文を唱える。



「——フラム



 すると、ぱっと、部屋中の燭台に火が灯る。


 明るくなった視界に映ったのは、随分小さな部屋だった。

 広さはせいぜい誰かの私室程度といったところだろうか。保管庫と言うより器材置き場のようなその場所は、天井まで伸び上がった左右の大きな棚や机の上、床に置かれた木箱の中に至るまで、所狭しと物が置かれていた。

 大小様々な保管用のガラスビンに、試験管、フラスコ、実験器具。

 特徴的なのは、そのどれもがカラだということだ。


 物は多いが、死体はない。

 代わりに部屋の中でしゃがみ込んだヴァンの視線の先にあったのは。



「ビン、ですかね?」



 割れたガラスの破片だった。

 ヴァンは右にある棚を見上げる。ここから落ちたとも考えられるが。



「俺たちが来た時にはもう、こうなってました」


「それでご遺体は?」



 ライズの目が、吸い寄せられるように部屋の奥の扉に向けられる。

 それで、ヴァンは死体はその先にあるのだと察した。



「隣も魔法薬学保管庫ですよね?」


「はい。ここは構造上、部屋がふたつに分かれていて、手前が準備室。奥が保管室になります」


「あそこに鍵は?」


「ありません」


「そうですか。じゃあ、案内はここまでで結構です。あとは俺たちでやりますんで——」


「本当によろしいんですか?」



 降ってきた声にヴァンが立ち上がると、そこには、いつの間にかリィエンがいた。笑みを浮かべてはいるが、金の瞳が困ったようにヴァンを見つめている。



「保管室の内部も説明していませんし、それにまだ、精霊による殺人防止についても何も話していませんが」


「お気遣いいただいちゃって、ありがとうございます。けど、そいつはまた現場を見た後でお伺いします。それに、捜査には何かと機密事項がありますんで」


「……。そうですか」


「じゃあ、俺たちは魔法薬学の研究室にいます。なにかあれば、いつでも声をかけてください」


「わかりました。あ、鍵だけ借りちゃっていいですかね?」



 もちろんだとライズはヴァンに鍵を手渡すと、リィエンと共に準備室を後にする。


 彼らが出ていき、扉が閉まったあと。

 ヴァンはすっと愛想笑いを引っ込めると、扉に寄り、彼らの気配が消えるまでじっと外の様子を窺う。


 廊下に反響する足音が遠ざかる。その音がやがて曖昧になり消えていくのを確認すると、ヴァンはそっと体を離した。



「さて、と。もうその辺でいいんじゃないですかね、フィーさん」



 振り返りつつ、ヴァンがそう声をかける。

 すると。


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