NO LIFE NO ROOW。

水鐘・哲華

NO LIFE NO ROOM.


いきなりだが私は通学、通勤などもイヤホンやヘッドホンをつけている人をよく見る。


例えば電車の中であれば、音楽鑑賞やアニメ鑑賞などが挙げられる。

また会社であれば、ZOOMなどで会議する人なども挙げられる。


私はそれらを見て一つ思った事がある。


『みんなは、ある意味。社会に流れる引きこもりなのでは?』と。


私は決して人を侮辱してはない。それだけは言いたい。

これには私なりの根拠がある。


現代の日本は、1945年の終戦と比べて劇的に発展した。

戦争時中の日本は、祖母から聞いた話によると

『人と関わらないと死んでしまう事も多かった』と語った。

私は、祖母に質問した。

『なんで?人と関わらないと死ぬのか?』と


そう言うと隣にいた空襲を経験した祖父はこう答えた。

『昔はみんな何もなかった。ご飯もなかった。みんな絶望した。

 空襲で親が死んだ子供、死にかけの子供を抱える親

 餓死寸前で雑草を食べる人、人の金品を盗む人

 赤子を抱えながら死んだ母親を乳を吸っている赤子

 腕と足が吹っ飛んだ人』


と。


『あの時は、人と関わらないと死だったんだ。

 人と関わらないと何もできなかった。

 今は平和で便利で人と関わる事が少なくなっても

 生きれるようになったんだ。

 人と関わる事が少ない社会も平和なのかもな。

 今起きてる、ガザの現代戦争も社会全体が発展しても結局は

 スマホが使えないように電波を切ったりしてるから昔の戦争と

 あまり変わらないな...結局戦時中は人と関わらなきゃな死ぬな。』


大阪大空襲を経験した祖父の言葉は重かった。


確かに現代では人と関わる事が少なくなっても生きれる様になったと

当時の私は感じた。


ご飯もスマホで宅配で頼んで、家の前に置いてもらって受け取って終わり。

何か欲しい物があったら、インターネットで頼んで受け取って終わり。

暇な時は、インターネットを繋げてオンラインゲームを楽しむ。

友達とスマホ越しに文字を打って会話する。


発展した現代は、人と関わる事が少なくとも生きれる。

芯からそう思った。


しかし、その反面。

私は最初に言った様な『閉鎖的にもなった』と思う。

電車の中でイヤホン、ヘッドホンを付け独自の空間を作る。

今は一人でもできる娯楽が多い。学生でも気軽に出かけれる。


パソコンを開いたら仕事が始まり。

こうして私も、カクヨムをパソコンで書いている。

社会全体が引きこもれると思う。


最悪の場合、日本も本格的な戦争が起きてしまったとき

我々は引きこもれなくなってしまうかもしれない。

人類歴史は、知力があって何度も繰り返す。

時間をかけ未知の世界を知っても、人を殺すために使われる。

止めても止めても、どこかで人は人にも殺される。

所詮人間も動物にすぎない。


それを眺める事しか我々はできないのか?

その現実を知っても我々はまた『引きこもる』のだろうか?






 








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