果てに花咲く色はⅡ
1
まだ日の落ちてこないうちに、アズランドとリザは謎の女性を保護して〈アピス農村〉に戻った。
「こんにちは! 初めましてっ」
出迎えの村人たちに謎の女性は元気よく挨拶をした。村人たちは拍子抜けしたような面持ちで、彼女を見つめているが、当人はなんともなさそうだった。しかし、急におろおろとし始め、
「えっと、すみません。わたくしの名前は、なんというのでしょう?」
アズランドとリザのほうへ、困り顔で尋ねてくる。リザはそれ以上に困惑した様子でいた。アズランドは気圧されがちに口を開いた。
「……あの森のなかにいた方なんですが、村の人……ではないですよね」
「ええ、間違いなく我が村の住人ではありません」
ジグ氏は首を横に振った。ですが、とつづける。
「多くの方が通りかかる場所でありますから……」
「偶然、巻き込まれた可能性も捨てきれないですね」
アズランドはジグ氏に賛同して頷いた。ちらりと、謎の女性に目を遣る。
あの召し物からして、高貴な家柄なんだろうけど。この引っ掛かりはなんだ……?
アズランドとリザの二人が自己紹介をしてみた限り、会話は卒なくできていた。多少、間延びした感じではあるものの。
「残念ながら、ほかにはだれも見つけられませんでした。危害を及ぼそうとする精霊を多少、討伐することはできましたが……」
ジグ氏に視線を戻して状況報告をしていたところを――
「アズ様ってば! 聞いてらっしゃいますの?」
謎の女性にいきなり片腕に組みつかれ、柔らかな感触が触れたことでアズランドは狼狽した。自己紹介のときから、なぜか“様”呼びなのもひどく戸惑うものだったが――
「えっ? なん――ですか?」
口調を自然体なものにしかけて、丁寧な言い方を選んだ。見たところ年上なのと、おそらく貴族であるという理由から。
「わたくしの名前ですっ。ないと困りますわ」
「って言われましても……」
たしかに不便ではある。とりあえず解放されたくて、アズランドは思いつくままに告げた。
「フルール――とかどうでしょう」
古い言葉で花を意味した。あの巨大な花からそこに繋がるのは、いささか安直だったかもしれないと、アズランドは思ったが。
「フルール? フルール……」
謎の女性は、反芻するようにつぶやいていた。そして、
「いいですわね! フルール‼ 素敵です」
感動してよりべったりと抱き着いてこられ、アズランドは呻いた。まさか突き飛ばすわけにもいかない。
「え、ええ……良い名前だと思いますよ。名前も決まったところで――その、離してもらえませんか」
助けを求める視線をアズランドがジグ氏に向けたが、我々はなにを見せつけられているのか。というふうに見つめ返されるばかりだった。
リザに至っては、これ以上ない澄まし顔でいる。まるで他人ごとのように。
「リザ……」
苦し紛れにアズランドが呼んだとき、組みつかれたままフルールと一緒にその場に転倒する羽目になった。
「うーん……元凶さえどうにかすれば、すぐに片付くものだと思ってたんだがなあ」
村長宅のソファーに腰掛けて、アズランドが頭を抱えてぼやいた。
たいていの場合、元凶とはこれ見よがしに存在していたりするものだ。それが露骨にふんぞり返っている魔物であれば、事は簡単だったが、それと
となると、疑わしいのはあの巨大な黒い花しかない。
あるいは――ちらりとアズランドは視線を転じる。フルールはこれが当然とばかりに、未だに自分の腕に絡みついたままでいる。目が合うと、より嬉しそうに、にっこりと笑った。
あの花のなかで眠っていた
怪しさで言うならば、彼女も相当なものだ。だが、あの花が原因なら、被害者ということも考えられる。
いずれせよ、情報不足なのは否めない。
ため息をつくと、アズランドは意を決した。べたべた触れて来るフルールをちょっとだけ、脇に追いやり、真顔で呼んだ。
「リザ」
「なあに?」
隅っこのほうで壁にもたれかかるリザは振り向かず、返事だけをした。不機嫌そうな声で。
「〈ウォルスタンド〉に一度、戻ってくれないか?」
リザの眉根がぴくんと寄った。今度はこちらを向きながら、
「アタシだけで?」
と耳を疑うように訊いた。
「俺は身動きが取りづらい」
見ての通りさ、というふうにアズランドは肩をすくめてみせた。不満そうにフルールがくっつきたがっているのを、片腕で阻みながら。
リザが冷ややかな眼差しをフルールにじっと当てる。
「動きやすく、すればいいじゃない」
リザにしては手厳しい物言いに、アズランドは当惑したが、話の先を述べていった。
「お姫様に報せてほしいんだ。ちょっと、難航しそうだって。今から発てば、日没までには間に合うはずだ。もしかしたら、ドラゴン退治も終わっているかもしれないし……人員を回してくれなないかって」
リザは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべたのも束の間、
「いいわ。やってあげる」
凛として答えた。長い髪をかきあげる仕草に、アズランドはリザの姉の影をそこに見た。
ああ、そうだ。この子は、辛抱強い子なんだった。
案外、意地っ張りなところもあって。子供っぽく扱われるのを嫌っていて。なんでも真に受けるところが危なっかしくて。
……そのうちに愛想も尽かされるだろうと思っていたのに、こんな俺に未だに人懐っこく接してきて――なんとも歯痒いばかりだ。すぐに愛想も尽かされるだろうと、踏んでいたというのに。
「……悪いね。俺も引き続き調べてみるから」
余計な物思いを胸中に引っ込めて、アズランドは申し訳なさそうにリザに笑いかけた。
「でもアタシ……お馬さんたち、上手く走らせることできないよ」
「そうか。弱ったな……」
アズランドが顎に握りこぶしを当てて悩んだとき、
「私で良ければ承りますよ」
話を聞いていたジグ氏が提案した。
「いいんですか?」
「実は一度、王都に行ってみるのが幼いころから夢でして」
やや気恥ずかしそうにジグ氏は言った。
意外だな、と思った。だが、有り難い申し出だった。
「なるほど。では、お願いします」
アズランドはジグ氏に軽く頭を下げた。それから、意味が分からないまま、遅れて頭を下げるフルールに視線を転じる。
前にどこかで会ったことがあるのか? いや、初対面だよな……。
訝ってみても、そんな記憶はアズランドのどこにもなかった。だというのに、以前どこかで会っている気がしてならない。
いつ、どこで……?
リザを見送ったあとで、アズランドは〈アピス農村〉の家々を一件ずつ聞き込んで回った。
調べてみる、とリザに言ったものの、できることはこれくらいしかない。訪問先で、“この人に見覚えありませんか”と尋ねていく。
前にも似たようなことをやったけな……。
途中、アズランドは不意に苦笑した。王都のあちこちでリザを紹介して回った日のことだ。リザの姉を捜すために。
今回も同様に、反応はどこも似たり寄ったりで「知らない」と、首を横に振られるばかりでいる。
村長親子が見覚えがないと言うのだから、望みは薄い。それでも、駄目で元々と割り切って、アズランドは続行した。
すると――
「はて……お前さんどこかで」
半数ほどを回ったところで、アズランドは光明を見た。相手は、村長よりもだいぶ高齢の老人だった。
「彼女に見覚えがあるんですか?」
「ああ、じゃが……」
顎先で長く伸びた白い髭をひと撫でして、老人はつづけた。
「四十年くらい前、になるかの」
「はい?」
「あら?」
アズランドとフルールが、同時に疑問符を浮かべた。
「まだ〈アッシュガルズ〉なんて国名が、影も形もない頃にな。それはそれは、美しい王女様がいての。気立ての良いお方でな。こんな農村なんかにも足を運んでくださってなあ……」
しみじみと遠い目をして、老人は言った。アズランドは質問を重ねた。
「その人と、彼女が似ているんですね?」
「ああ、顔立ちや背丈……はのう」
「似ていないところは?」
我知らず、アズランドの語気が鋭くなった。老人はアズランドに腕を絡めっぱなしのフルールを眺めた。もう一度、白い髭を撫でて答えた。
「その王女様はのう。絹のような白い髪がとても綺麗なお人じゃったから――」
アズランドも横目でフルールをそっと窺がう。老人の話とは対極的なまでに真っ黒な髪を注視する。
しかしやがて、断念した。
もしも髪を染めたのだとしても――この老人は四十年も前と言ったじゃないか。……その血を引く人物なのか?
入念なアズランドの視線に気づいたフルールが、嬉しそうに、花が咲くような笑顔をみせる。
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