3
「またお前かぁ⁉
すぐ後ろ――背負った男の声に聞き覚えがあり、ロウェルはまさかと思った。げっ、とかろうじて声には出さず、
「おまえ、デジールか」
一応、長い付き合いではある知人の名前を呼んだ。
王都で廃棄区画の住人から、借金を回収しようと躍起になっていた男である。半年ほど前、ゴミ山のなかから発見した金塊で、まとめて返済して以来の遭遇だ。
「なんで、ここにいるんだよ」
こことはすなわち、アランドラ山脈で主要な峡谷の一つのことなのだが。
「旅行に決まってんだろ! なが~い時間をかけて金を取り戻したんだ。それくらい構わんだろが!」
さも当然という具合にデジールは憤慨する。ロウェルは呆れ顔で、もっと後方に視線を向けると、金ぴかゴーレムがバラバラになっているのを見た。デジールのゴーレムである。
「そっか。旅行か……」
ロウェルはつぶやいた。案外、世情に疎いんだなあ、などと思いつつ、金ぴかゴーレムの頭を蹴飛ばした生物に目を凝らす。
ちょうどそのときそれは――世界でも力の象徴として君臨するとされてきたドラゴンが、空の太陽へと長い首を伸ばして
空気が震え、大地が踊る感覚が周囲に満ちた。まるっきり地鳴りのようにしか聞こえないそれが、ドラゴンの遠吠えであるとロウェルは理解した。
さらに巨大な翼を翻すのを目撃した。
ロウェルは完全にその姿に見惚れた。
だというのに、
「ええいっ。下ろせ下ろせ! お前と会うといつも俺のゴーレムがあんなことになっちまう‼」
ロウェルの背でデジールが暴れはじめた。長いマフラーや煤けた金色のぼさぼさ頭を引っ張ってきた。
「ちょ、ちょっと待てって。ぐるし――」
たまらず、ロウェルはデジールを背中から放り出した。
繰り抜かれた
「いてて……。おいこら、もっと丁寧に扱えっ!」
デジールが文句を言い放ったところへ、数人が駆けつけてきた。〈
「ソイツのこと、頼んでいい?」
ロウェルが三人に向かって言う。魔導士がもしかして、とでも言いたげな表情で口を開く。
「一人で戦うつもりですか?」
長銃を手にする二人も、まさかという面持ちで顔を見合わせたが、
「やってみる」
と短くロウェルが告げると、それぞれゴクンと固唾を呑んだ。
「いや、でも……」
「お、俺らも」
と言いながらも、組員たちには一抹の安堵が顔に滲んでいた。
「相手はドラゴン――しかも、文献がたしかなら、エンシェント・ドラゴンなんですよ?」
「エンシェント?」とロウェルが首を傾けて問う。
「少なくとも、数千年は生きているはずです」
ふうん、とロウェルは小さく頷いた。あれで爺ちゃんなのか、と意外に思った。
「ま、やばかったらフォローしてくれよ」
歯をみせて笑い、楽しそうに手を振ると、ロウェルは一人だけで洞穴から出た。
走るでもなく、歩くでもない。ただ、正面から峡谷に佇む神代の生物に近づいていく。
その様子を、エンシェント・ドラゴンはじっと見下ろしていた。聡明な眼差しで。まるで戦うに足る相手か見定めるように。
ロウェルがある程度の距離を置いて立ち止まった。そして、
「倒そうってわけじゃないんだ。今までも眠ってたんだろう? またそうしてほしいってだけでさ。……伝わんないかな」
長い首の先を見上げて告げた。
それを聞いたであろうエンシェント・ドラゴンは、鼻息を荒くした。どことなく、人間が鼻で笑う所作に似ている感じがして、ロウェルは意図は通じていると思った。
やや腰を低く落とし、ロウェルが相棒の杭打ち機たちを備えた両腕で構えた。
エンシェント・ドラゴンは深く息を吸い込み、歯の隙間から火の粉をまき散らす状態をしばし保った。やがて――
口から激しく放射された火炎は瞬く間に峡谷に吹き荒れ――時同じくして、ロウェルが勢いよく地を蹴って跳び上がっていった。
ロウェルが伝説の生物、エンシェント・ドラゴンと対峙していることをエリーゼから聞かされたアズランドは、その光景を脳裏に描いていたが――
「あっ! いたいた!」
出し抜けに耳に届いた声で、バケツ一杯の水を吹きかけれた路上のラクガキ同然に、脳内を洗い流された。
視線を転じると、階段を上り切ったリザが長い髪を揺らしながら駆け寄ってくるのが見えた。
「相棒のご到着よ」
エリーゼもその姿を目にして、手をそちらへ振っている。
「……リザにまで出番が回るほどの事件ってことか」
アズランドはつぶやいた。複雑な面持ちになるのは、やはり、避けられなかった。
今のリザは彼女の姉――ジェニュインとそっくりだった。見間違うほどに。
二人が、同じ人間を元に生み出された
ジェニュインはもういない。だからリザは、姉の分も生きようとして、そういう振る舞いをしているのかもしれない。あるいは、姉のように強くありたい――そういう想いだって、秘めていても不思議じゃない。
アズランドは頭を振った。推察するのはよそう。リザはリザなのだから。そうして、リザを微笑で迎えた。
「やあ、リザ。よくここにいるってわかったね。お姫様が書置きでも残してたのかい?」
「サラさんから聞いたの」
リザが首を横に振ると、エリーゼはこう言った。
「私も彼女からあなたがここに向かったのを教えてもらったのよ」
「ああ。そういえば、途中で会ったっけな……」
〈
パンパン! と不意にエリーゼが手を鳴らした。
「さっそくで悪いんだけれど、あなたたちには二人で、アピスという農村に行ってほしいの。なんでも、行方不明者が続出してるらしいんだけど、詳しくは依頼者の村長さんから聞いてちょうだい」
「俺とリザだけで?」
ちょっと面食らい気味にアズランドが言葉を返すと、歯がゆそうにエリーゼは言った。
「さっきも言ったでしょう。ほとんどの人員は、ドラゴン退治のほうに出払っているのよ」
そこから先は、顔に非難の色を帯びて、ぶつくさと口をついて出ていた。
「新王様も、これ以上は軍を動かせないの一点張りなのよ……だいたい――」
苦笑いで、アズランドはその様子を見守った。
今のような騒ぎが各地で頻発していなければ、エリーゼは王妃となっていてもおかしくはない。この半年のあいだに、十八歳となり成人を迎えているのだから。もちろん、エリーゼにその気があるのかは、アズランドにはわからない。
その気、か……。
ちらりと、アズランドはリザの横顔を覗いた。
アズランドの胸中でそれが文字として浮かび上がった。
厳格な書体。子供じみた書体。書きなぐったような書体。何通りか繰り返して、
「と、いうわけで、二人とも南門に急いでちょうだい」
使命感に立ち戻ったエリーゼの声で、アズランドの胸の内で文字は滲むようにして消えていった。
「うん、わかった。任せてっ」
深く頷いて、リザはアズランドのほうへ振り返った。
「アタシはいつでも大丈夫だよ、アズ」
涼やかな微笑み――ここのところ、彼女がみせる表情といえば、もっぱらこれだ。以前のように、澄まし顔を紅潮させることは少なくなったような気がする。
「ああ。それじゃ、行くとしよう」
アズランドも笑顔で応じた。それが苦笑気味になったのは、我知らず、残念がったからだろうか。
そこにエリーゼが、アズランドの耳元に顔を寄せてきた。
「いい? ちゃんと――」
エリーゼの耳打ちに、
「するさ」
みなまで言わせず、アズランドは答えていた。
「えっ」
「彼女のお姉さんからも、頼まれているしね」
手短に小声で伝えると、リザの視線が気掛かりになり、アズランドは歩き出した。
ややあって、階段を下っていく二人の後ろ姿を見つめてエリーゼは、小難しい顔になりつぶやいていた。
「……だめね、あれは」
二頭の馬に引っ張られ、馬車は勢いよく平野の街道を進んでいく。アズランドもリザも御者台に座っていた。
アズランドは出発前、リザに、
「荷台のほうが座り心地が良いよ」
と勧めたのだが、
「アタシもこっちがいいっ」
と頑なに主張されては、アズランドもそれ以上なにも言えなかった。
アズランドは手綱を操る傍ら、隣に座ったリザを横目で見た。
髪をなびかせながら、肌で風を気持ちよさそうに浴びるさまを。好奇心に瞳を輝かせて、せわしなくあたりに視線を巡らせている。
たしかに、青々とした木々が広がる周辺の景色は、気持ちを落ち着かせてくれる。アズランドは新鮮な空気を味わおうと、深呼吸をした――途端。
ガタガタガタッ!
馬車が大きく揺れるのを感じた。それはほんの数秒で、小石群が多い場所を通過しただけとアズランドは判断した。
これといった、異常はないはずだが。ちょっと、車輪の状態が気になる。いや、そんなことよりも、だ。
先ほどの衝撃によって――アズランドとリザは互いに肩を密着させ、頭をくっつけてしまっていた。
「すまない。少し、気を抜いてたところだったからさ……」
アズランドのほうから、そっと離れて謝罪した。
「う、うん……。アタシもよそ見してて、ごめんなさい」
リザが細い声で返事をした。肩をすぼめてうつむいたままで。
その様子にどこか懐かしさを覚えつつ、
「ちょうどいいから、休憩しよう。馬車の状態も確認しておきたい」
街道沿いに流れる小川の前に停車させた。
川面に身を乗り出して、バシャバシャと水音を立てて、アズランドは無造作に顔を洗う。
リザは変わった。少なくとも、変わろうとしている――冴えてきた頭に自然と思い浮かぶ。半年前と今の彼女の姿が。
それじゃあ、俺はいったい、どうなんだ?
半年前の自分は、彼女を憎んだ。殺意さえ向けもした。長年の謎を明かすために。そして、すべてを知った。
けっきょくのところ、許す許さないの問題ではないと理解した。
すべてを受け入れられたはず、なんだ。彼女――リザに関しては。
それでも、俺がリザに心から好意を抱くことは、許されないものだ。あってはならないものだ。おこがましいものなんだ。
「俺は、リザを殺すつもりでいた……」
川面に向かってアズランドは静かにつぶやいた。川面に映る自分の顔は、だれかを責め立てるような冷ややかな表情を浮かべている。
「わかっているさ」
先ほどまで小川の水を勢いよく飲む馬たちを見物していたリザが、こちらに近づいて来るのに気づいたアズランドは、肩に掛けていたタオルで顔を拭いていった。
「もう少ししたら、出発しよう。馬車が傷んだ様子もなかったよ」
傍に立ったリザにアズランドが告げる。
「よかった。あっ。ハイ、これ」
リザは安心したように笑うと、綺麗な手で差し出してきた。アズランドがいつも両手にしている黒革のグローブだ。
「ありがとう」
受け取った際、リザの目が丸くなった。視線の先を見て、アズランドは、
「ああ……これかい?」
苦笑いが口の端に表れていた。べつに隠すものでもないか、と思うと、右手の甲を掲げてみせた。
そこには黒い痣があった。なぜかそれは、花のかたちに見え、リザが興味深そうに見つめる。
「それ、どうしたの?」
「さあね。俺が物心ついたときには、あったんだ」
「なんともないの?」
「痛んだり痒かったりということもないから、構わないんだがね。ただ、花柄は趣味じゃないんだ」
そう言うと、アズランドは右手に黒革のグローブを通す。痣をすっぽりと隠した。
「けっこう、カワイイのに」
ちょっぴり残念そうにリザ。やや吹き出す感じに、アズランドは応じた。
「キミの手に咲く花のほうが、ずっと綺麗だと思うけどね」
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