魂の在り処Ⅳ

     1

 王宮の地下にあつらえた書斎しょさいで、クノッヘンは、革の椅子に深く身を預けていた。

 ともすると、息絶えているのではないかと思わせるほどに、生気せいきが感じられない顔。その、閉ざされたまぶたが、ピクピクと動いた。

 おだやかな風を肌に浴びているのを知覚したクノッヘンは、一度はそれを拒絶しようとした。

「見て見て、お兄様!」

 が、はしゃぐ少女の声に耳を打たれ、その意志は容易たやすく砕かれてしまった。

 閉じた瞼の裏側が、色鮮やかに塗り替わってゆく。

 あたり一面で、春風にそよぐ花々が美しかった。

 そして、この世界でもっとも美しい存在ものに、クノッヘンは視線を転じた。

 妖精スプライトと蝶の追いかけっこに、キャッキャッと混ざり駆け回る妹の姿に、柔らかく目を細める。

 小奇麗な貴族服が、すっかり草花や土埃つちぼこりで汚れてしまっていた。それを留意りゅういしておかなければならないのが、自分の役目ではあったが、構わなかった。

 無邪気に遊ぶ妹を止めてしまうのは忍びないし、小うるさい母上を言い含めてみせるのだって、慣れたものだった。

 ――在りし日の夢幻むげんなどに、なに一つ意味などありはしない。

 かつてを再現する夢に吐き捨てながらも、クノッヘンは次に起きることを、瞼の裏の世界で思い描いた。

「ひゃっ!」

 妖精たちに目を奪われながら走っていた妹が、花畑の上に転び、少量の花びらが舞い散った。甲高い泣き声が響き、そのとき・・・・のクノッヘンは、慌ててそちらへ駆け寄っていった。

「よそ見しながら走るのは利口りこうとは言い難いな」

 中腰になり、クノッヘンはうつ伏せのまま、えんえん泣く妹をたしなめる。それから、

「……ライラ、どこが痛む?」

 厳しくも労わるような声音で問う。

 刹那、がばっと妹――ライラが起き上がり、

「どこも痛くありませんわっ」

 輝くような笑顔をみせた。

 常であるクノッヘンの仏頂面ぶっちょうづらが、ほころんでいった。

「私をたばかってみせるか。前言撤回ぜんげんてっかいしておこう。我が妹ながら、さかしいものだ」

「えへへ」

 あどけなく舌を突き出すライラの頭上を、二匹の妖精たちがふわりと飛んでゆく。クノッヘンが目に探求心の光を宿して、言った。

生命せいめい根源こんげんむ者たちだ」

「根源?」ライラは細首を傾けた。

生命体せいめいたいなのかすら定かではない。いくら古文書を読みあさっても、かいは得られなかった。人の果ての姿と唱える者も多いが、確証などありはしないのだ」

「よく、わかんない」

「ああ、あれはまったくもって謎が多い。魔粒子マナを振り零しながら、神樹しんじゅへと還りゆくのはなぜか。それが人々に魔術を授ける神の意向いこうであるならば――神の御使みつかいと呼んでもいいかもしれぬ」

 退屈凌たいくつしのぎにライラが手近な花をつつくのに気づかず、

「妖精たちを解き明かすことで、わかるかも知れない。真に命がどこからきて、どこに行くのか。あの神樹に触れることだって――そうすれば、いずれ、人は不死にだって至れるはずだ」

 不満そうにライラは、クノッヘンにしがみつき、口にした。

「研究のお話ばかり」

 ばつがわるそうに、クノッヘンは笑んだ。たおやかなライラの身を抱擁ほうようしながら、謝罪する。

「すまない。……本当なら、研究そっちのけで、お前と遊んでやりたいのだが」

 小国の辺境貴族へんきょうきぞくが、王都で躍進やくしんするには、実績が必要不可欠だ。

 例えば騎士の家柄いえがらならば、武勲ぶくんもって果たそうとするものだ。

 クノッヘンは、学術を選んだ。当初は魔導のみちを歩もうと励んでいた。

 しかし、恩師から当初はまだ概念化が成されたばかりの錬金術に没頭ぼっとうするに至り――この翌日、王都に赴き、錬金術師として認められた。

 祝福の記憶。

 再び、夢の外で、クノッヘンの瞼が、痙攣けいれんし始めた。より激しくなって。

 脈打つたび、目まぐるしく光景が一変する。

 焼け野原と化した父が有する領地。

 踏みしめた泥水に映る、戦慄わななおのれの腑抜け顔。

 倒壊しかけた屋敷。

 長年過ごした私室で、血に濡れた小さな亡骸なきがら

 抱きかかえ、ライラの名前を呼びつづけ――身を預けた革椅子ごと肩がびくっと跳ねた。

 武装した兵士の影が数多くおどった。隣国の雑兵どもだ。

 最初で最後の罵詈雑言ばりぞうごんが口から溢れた。呪文スペルを的確に交えて。

 愉悦ゆえつ顔で剣を抜いた兵士の一人が、まばたき一つのあいだに消し炭になった。

 一人は風の刃で、挽肉ひきにくと成り果てて。

 一人は氷漬けになり、砕けたガラスと近しいものに。

 全員が、クノッヘンの魔術の餌食えじきとなり、跡形も残さず消えた。

 クノッヘンがライラの亡骸にしがみついていた。

「お前が死ぬなど、ありはしない。絶対に……生き――」

 ふと、クノッヘンの口が、声を放った。夢の内外どちらでも。

 夢のなかの時が加速していった。

 愚かな王を説き伏せることは、造作もなかった。

 自立稼働型人形オートマタの理念は、クノッヘンはすでにそのときには確立していた。お粗末な代物であっても、精結晶スピリットクリスタルの錬成には、さほど時間を要しなかった。

 研究の障害となるものは、すべてはいしてきた。

 の日のために。

 お前を取り戻すために。



 それまでのまぶたの動きが嘘のように、クノッヘンはゆっくりと目を開いた。

 脂汗あぶらあせなど微塵みじんも浮かべず、乱れのない浅い呼吸を繰り返す。壁の蝋燭がほのかに照らす薄暗い天井を仰いでいたが、やがて目を離した。

 膝元ですり寄っている少女へ、笑いかける。夢幻むげんのなかのライラに対するように。

 その少女は、ライラそっくりだった。リザにもよく似ているが、やや幼い顔をしている。

 クノッヘンが手を伸ばして、やんわりと少女を愛撫あいぶした。少女は愛おしげに微笑むと、

「クノッヘン様……」

 甘えるような声を出し、見上げてきた。

 クノッヘンの顔から笑みが消え失せる。底知れない喪失感そうしつかんの仕業であると、本人は意識しなかった。

 無感情な顔で、クノッヘンは少女を突き飛ばした。そして、何事か口にしている。魔術の呪文スペルだった。

 最後の一節が発せられた。

 赤黒い魔力がクノッヘンの身体から昇るや、次々に剣をかたどる。それらは数十に及び、驟雨しゅううとなって少女へ降り注ぎ、八つ裂きにした。

姿形すがたかたちだけの、人形など……もういらぬ」

 革椅子から立ち上がり、血だまりを一瞥いちべつしてクノッヘンは吐き捨てた。

 部屋を出た。廊下をしばし歩み、目的の部屋の扉を開いた途端、クノッヘンの顔が、かすかに高揚こうようで震えた。

 書斎と異なり、幾つもの電球の光で明るい部屋だ。さまざまな設備が所狭しと置かれ――中央にはガラスのおりがあった。

「次だ……。次の一手で、お前を取り戻せる。前回、神樹しんじゅで母上のものを見つけたんだ。内部の妖精ども――その流れ行く規則性。一日の移動範囲。わかるぞ、お前がいる場所が……‼」

 クノッヘンがそれに触れ、言った。内は水で満たされていた。

「そして、これがライラ……お前の至高の器だ」

 クノッヘンは目を見開く。ガラスの檻のなかには、水に揺蕩たゆたう少女がいた。長い青髪が、水の流れに搔き乱されている。

「魔力に溢れ、強く美しい……もう決して、壊れることなどない」

 声が昂ぶりを増していた。

「お前のジェニュイン=ヴェッセル本物の器だ……」

 血色の悪い顔を恍惚こうこつとさせて、告げた。

 どうだ? 嬉しいだろう? まるでもう、そこに妹がいるかのように、クノッヘンは視線を注いだが、虚ろな瞳に見つめ返されるばかりだった。



 かつかつと靴音くつおとを鳴らしながら、クノッヘンは開け放れたままの玉座の間の扉を通り抜けた。

 お飾りの大臣や、小うるさい騎士団長の姿はない。人払い済みであるのを見て取り、

「貴様がこの私を呼びつけるとは、いったいどういう了見だ?」

 冷淡な声に怒りを滲ませて問うた。玉座に居座るペーターソンへ。

 クノッヘンは玉座の手前で立ち止まり、外套を揺らめかす。ペーターソンが、玉座の上で萎縮いしゅくした。侮蔑ぶべつを込めて、クノッヘンが見下ろしていたからだ。

「道化であることを忘れたか?」

「ま、待っとくれ。忙しいのはわかるが、話くらい聞いてくれんかの?」

「貴様、だれがそこまで担ぎ上げてやったか……忘れたわけではあるまい?」

 ペーターソンの表情が引きった。愛想笑いらしきものを浮かべようとしているようだったが、とてもそうは見えなかった。

「も、もちろんじゃ。感謝しておるともっ。それでも、その……ワシにも顔というものがあってじゃな」

「日頃の身の振る舞いのせいで、臣下の反感を買い過ぎて泣きつこうとでも言うのか?」

 引き返しかけたクノッヘンだったが、

「ま、待っとくれっ。その、エリーゼのやつが、お前さんにどうしても逢いたいというんじゃ」

 ペーターソンの口にしたエリーゼの名に、足が止まる。

 クノッヘンの脳裏で、右腕・・の報告が響いていた。

 エリーゼが予備・・と接触し、行動を共にしていたということを。クノッヘンは、胡乱うろんげに訊いた。

「……なぜだ?」

「前から、敬愛けいあいしておったらしくての。お前さん、あんまり姿を見せんし……」

 あの娘もそういう手合いか? クノッヘンは胸中で、つまらなそうに吐き捨てた。

 アリのように群がってくる貪欲な貴族令嬢たちを想起した。お遊びのような上昇志向じょうしょうしこうに付き合うつもりなど、毛頭なかった。

「そこで、今度の建国記念式典にお前さんに参加してほしいのじゃが……」

 両手を擦り合わせながら、ペーターソンがおそるおそる言った。即座にクノッヘンは突っぱねた。

「例え次代の王妃おうひだとして、ただの小娘だ。私が構う必要もなければ、時間も惜しい」

「まあ、待て待て! 待っとくれ! そうじゃ‼ おまえさんの例の研究の遠征に、出兵の準備を早急に整えさせる。オネストのやつも、ワシとお前さんから言われれば、首を横には振れまい。それでどうじゃ?」

 妙案であることを誇張こちょうするように、ペーターソンが指をパチンと鳴らす。

「……」

 クノッヘンは黙し、熟考じゅっこうした。

 神樹しんじゅそびえ立つ場所はかなりの辺境に位置するため、獰猛どうもうな魔物が多く出没する。

 それらの撃退を器どもに任せるわけにはいかない。

 消耗させては、活動時間に支障が生じてしまう。神樹に群がる有象無象の妖精スプライトどもに蝕まれずにいるには、同質の魔力で身を包まねばならない。

 妖精宝珠スプライトジェムの力を温存させるべく、王宮の雑兵ぞうひょうを引き連れて赴いていた。  

 しかし、多数の兵を失うことが重なり、騎士団長のオネストは出兵を渋るようになっていた。

 代替だいたいとしてより強大な自立稼働型人形オートマタである、黒鋼くろがねのゴーレム――オクトーベルを製造したが、生産状況はかんばしくないのが現状だ。

 このろくでなし・・・・・の口添えで、あの堅物の騎士団長を説き伏せることができるなら、やすいものだろう。

「いいだろう」

 クノッヘンは小さく頷き、条件を呑んだ。

「おおっ。そうか! 式典後、出立しゅったつの準備を整えるように厳しく言っておくからのう」

 玉座から下り、ペーターソンが小躍りする。

「えらくご機嫌なことだな」

「いやいや、ワシもまだまだのぅ」

 なにやらはしゃぐペーターソンなど捨て置き、

「ようやくだ」

 クノッヘンは玉座の間にある窓の一つに、目を向けていた。

 そこから、巨大な樹が遠くに見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る