15・瞑想(その2)

「ナツさん、なんでここに……!」


 というかこの人、今、俺を舐めなかったか? まだ鼻先が湿ってる気がするんだけど。

 尻で後ずさる俺を追いかけるように、ナツさんはグッと身体を近づけてくる。


「だって、青野がいない教室にいても意味ないし」

「いや、けど……」

「つーか、青野嘘つきだね。行き先トイレじゃなかったじゃん」

「それ……は……」


 たしかに嘘をついた。そこは認めざるを得ない。

 でも、言えるわけがないじゃないか。まさか「よからぬ気分をどうにかするために、瞑想しに行ってきます」だなんて。

 気まずさのあまりうつむこうとした俺の顔を、ナツさんは「なあなあ」とわざわざ下から覗き込んできた。


「なんで、さっき目をつぶってたの?」

「えっ」

「なんか難しそうな顔して──こうやって目を閉じてさぁ。アレって何? 座りながら眠ろうとしてたとか?」

「いえ、あれは……」


 曖昧に言葉を濁そうとしたけれど、ナツさんはキラキラした目で俺の返答を待っている。

 仕方がない、ここは素直に白状しよう。


「あれは瞑想です」

「めーそー?」

「緊張しているときとか大勝負の前とか、そういうときにいつもやるんです。他にも、気分を落ち着かせたいときとか……」


 不埒な気持ちになったときとか、煩悩を追い払いたいときにも──なんて言葉は、当然心のなかにしまっておく。

 すると、ナツさんは「思い出した!」と勢いよく背筋をのばした。


「それ、青野もよくやってた!」

「そうなんですか?」

「うん、なんかね、じゃんけんをする前……体育祭の種目決めとか、購買のパンを賭けるときとか、そーゆう『負けられない戦い』の前にめーそーして精神統一するって言ってた!」

「……なるほど」


 たしかに、どちらも「負けられない戦い」ではある。スケールの小ささはともかくとして。


(そうか、向こうの俺も「瞑想」をするのか)


 面白いような、面白くないような。

 そんな俺の複雑な心情など知るよしもなく、ナツさんは「なあ、青野」とさらにキラキラした眼差しを向けてきた。


「それ、教えて!」

「……えっ」

「めーそーのやり方! 面白そうだから、俺もやってみたい!」

「……はぁ」


 教えるのはかまわないけど、果たしてナツさんにできるのだろうか。俺以上に落ち着きがなくて、じっとしているのが苦手そうなこの人に?


(いや、だからこそ──か)


 瞑想を身につけることで、少しは落ち着きを手に入れ、考えなしな言動が減るかもしれない。


「じゃあ、ここに座ってください」


 隣の床を軽く叩くと、ナツさんは「待ってました」とばかりに移動してきた。どうやら「教わりたい」というのは嘘ではないようだ。


「まず、最初に『呼吸』から説明します」

「なにそれ。呼吸くらいふつうにやってるけど」

「それは生きるための呼吸ですよね? 瞑想のための呼吸は、もっと深くゆっくりやる必要があって……」


 ひとつずつ説明しながら、実際にやってもらう。

 ちなみに、夏樹さんのときは「青野に見られながらやるのは恥ずかしい」とすごく照れてしまって、そこがまた100点満点の可愛さだったんだけど、ナツさんはまったく気にならないらしい。


「なあ、オレ、うまくできてる?」

「できています。その調子で続けてください」

「じゃあ、青野も一緒にやろ?」

「俺がやると、説明できなくなりますけど」

「あ、そっか」


 薄い唇が、ふふっと笑う。

 俺が好きになった夏樹さんと同じ身体であるはずなのに、ナツさんのまぶたはそれほどピクピク動かない。代わりに唇がよく動く。それはそれで瞑想前としてはどうなんだって話だけど、まあ、このあと落ち着いてくれれば──

 なんて思った矢先。

 ナツさんの細い身体が、いきなり後ろにぐらりと傾いだ。


「ナツさん!?」


 慌てて背中を支えて、ナツさんの顔を覗き込む。

 もしかして貧血か? それとも本当に眠ってしまったとか?

 でも、それにしてはどこか様子がおかしい。揺さぶっても反応がないし、寝息のようなものもまるで聞こえてこない。


’(これ……もしかしてヤバいんじゃ……)


 湧きおこる不安をかき消すかのように、俺はしつこいくらい彼の名前を呼んだ。


「ナツさん、聞こえますか? ナツさん……ナツさん!?」


 けれども、薄いまぶたはぴくりとも動かない。力をなくしたその身体は、まるで魂が抜けてしまったかのようだった。

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