17・夜も更けてきて…

 その日の食卓には、いつもの倍の量の唐揚げが大皿にこんもりと盛られた。

 嘘だろ、母さん張り切りすぎ。たしかに唐揚げはうまいけど、さすがにこの量はないんじゃないか。

 思わず胃を押さえた俺だけど、ナツさんは「うまそー!」と大はしゃぎして、それらをぺろりとたいらげてしまった。


「さすが男の子は食べっぷりがいいわね」

「そんなことないよ。オレ、普段はそんなに食べないもん」

「あら、そうなの?」

「そうなの。でも、おばちゃんの唐揚げは別! めちゃくちゃうまいから、ついいっぱい食べちゃう!」


 ニカッと笑うナツさんに、俺はふたつの理由で戦慄を覚えた。

 まず、ひとつめ。この人めちゃくちゃ痩せてるんだけど、どこにあの量の唐揚げが入ったんだろう。しかも、うちに来る前にパンケーキを食べて、黒糖ロイヤルミルクティーを2杯飲んでいたよな。もしやアレか? 胃袋が宇宙ってやつか? 夏樹さんもそこそこ食べる人ではあったけど、せいぜい平均並み。こんな大食漢ではなかったはずだ。

 ふたつめ。さすがに人たらしが過ぎないか? うちの母さん、すっかりたらしこまれて「ナツくん、これも食べる?」なんて父さん用のプリンを出してきたんだけど。

 たしかに、夏樹さんも人当たりはいい。けれど、ここまでフレンドリーな人ではなかった。そもそも彼は気遣いやさんでもあったから、相手との距離感はわりと慎重にはかっていた印象だ。

 一方、ナツさんは遠慮がない。自分からどんどん距離を詰めていくし、自分は「好かれて当然」「お願い事を聞いてもらって当然」と思っているようなフシがある。

 そう、ある意味「図々しいタイプ」──なのにどこか憎めないのは、外見が夏樹さんそのままだからだろうか。


「ナツくん、お風呂も沸いてるわよ。行春、タオルを出してあげなさい」

「わかった」


 空になった食器をシンクに運ぶと、俺はナツさんを風呂場に案内した。

 洗面所に設置してある戸棚には、洗い立てのタオルが何枚も積んであった。そのなかでも、比較的新しいものを「ナツさん用」として引っ張り出す。


「バスタオルはこれです。フェイスタオルは1枚でいいですか?」

「いーよ」


 答えるそばから、ナツさんはぽいぽいと制服を脱いでいく。

 待って──待ってくれ!

 俺は、慌ててナツさんから目を背けた。


「それじゃ、俺、部屋にいますんで!」

「えっ」

「あがったら2階に来てください! 右側の部屋です!」

「ちょっ……青野!?」


 後ろ手にドアを閉めると、俺はまっすぐ自室に向かった。その際、何度か名前を呼ばれたけれど、ここは敢えて聞こえないふり。だって今、振り返ったら、おかしなことになりそうだ。

 かくして自制心を働かせたまま自室に辿り着いた俺は、そのまま勢いよく自分のベッドにダイブした。


(やばい、鼻血出そう)


 まぶたを閉じると、さっき見たばかりの白い太ももがちらつく。

 辛い。めちゃくちゃ辛い。あの人は俺の好きな人じゃないはずなのに、太ももを拝めただけで、理性が総崩れしてしまう。


(助けて……夏樹さん)


 けれどもその夏樹さんは、今この世界にはいない。おそらく、ナツさんが元いた世界にいるはずだ。

 大丈夫だろうか。

 こっちのナツさんのように混乱していないだろうか。

 それとも、別世界の「星井夏樹」として如才なく振る舞っているのだろうか。


(──うん? 待てよ?)


 ナツさんは、向こうの俺と付き合っていると主張していた。

 ということは、表向きは「ナツさん」であるはずの夏樹さんも、そっちの世界の俺とよろしくやっているのだろうか。


(まさか……青野家に泊まったり?)


 それで、向こうの母さんが作った唐揚げを控えめに食べたり、お風呂場に案内されて戸惑いながらも制服を脱いだり……

 しかも、泊まるのは同じ部屋だ。


(付き合っているふたりが同じ部屋……それって、つまり……)


 ──ダメだ、それ以上は考えるな! 不埒な想像で、夏樹さんを汚すな!

 うめき声とともに、俺はベッドの上を転がった。

 完全にキャパオーバーだ。頭が、これ以上の思考を拒否している。

 俺は枕を抱きしめると、そのままかたく目をつぶった。

 どうか、この現状が片想いをこじらせた男の「おかしな夢」でありますように。目が覚めたら、ナツさんではなく夏樹さんがこの世界にいますように。


 でも、本当はわかっていた。これは夢なんかじゃないんだって。

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