その遭遇は予期できない Ⅲ
翌朝。グリアムは、宿屋のカウンターに【ディグニティハニー】をコトリと置いた。手を伸ばす宿屋の親父に冷めた微笑みを見せると、【ディグニティハニー】をカウンターから取り上げる。心当たりのある親父の視線は所在無く、落ちつきを見せなかった。
「ほら、約束の品。と、言いたいところだが、おまえのせいでA級に絡まれて面倒臭い事になった。その落とし前はどうつける?」
「し、知らんよ。何の事だ」
「すっとぼけるのなら、もう少し上手くやれ。だれであろうと、宿泊している人間を売り飛ばすのは頂けんな」
「別に売り飛ばしちゃいねえよ。こっちに得は何もねえんだから」
「でも、損もねえだろう? こっちは面倒臭い事になって、ある意味大損だ。どうする?」
「どうもこうもあるか。サッサと寄こせ」
「言ったよな、こっちは大損だって。【ディグニティハニー】ひとつだって、多過ぎる。返せって言わないだけ、ありがたいと思え」
「約束が違うじゃねえか!」
「こっちはゆっくり休みたかったんだ。そいつをぶち壊しにして、約束も何もあるか? ひとつだって十分過ぎるんだ。ありがたく取っておけ」
「テメェ、二度と来るんじゃねえぞ。このクソ【忌み子】が!」
「こっちから願い下げだ。じゃあな」
まぁ、こんなものか。
これで何とか【ディグニティハニー】を一個確保出来た。こいつを上で売れば、まとまった金が入る。それなりの稼ぎにはなるが、命を張ったと考えると安いかも知れんがな。
グリアムと親父のやり取りをヒヤヒヤしながら、眺めていたイヴァン。親父の捨てセリフに一気に不安の様子を見せた。
「グ、グリアムさん、怒っていますよ。めちゃくちゃ怒っていますよ」
「言いつけを守って、大人しくしていたな。おまえが絡むと更に面倒臭くなりそうだったからな」
「もう泊めないって言っていましたよ。どうしましょう!?」
「うろたえるな、よくあるやり取りだ。向こうも慣れっこだよ。ちょっとした値引き交渉をしただけさ、強気で行かんと、ぼったくられるからな。それに【ディグニティハニー】ひとつで十分過ぎる儲けだよ、あの親父にはな」
「そうですか⋯⋯」
「ま、サッサと帰ろうぜ。ヴィヴィ、顔は絶対見られるなよ」
「うん。分かっている」
「よし、行こうか」
ヴィヴィがグリアムの言葉にフードを深く被り直すのを合図にして、上への回廊を目指し歩き始めた。
■□■□
良し。思ったより順調だ。
しかし、あれはどうしたものか⋯⋯。
グリアム達【クラウスファミリア(クラウスの家族)】一行は、5階へと上がる回廊の前まで辿り着く。すんなりという分けでは無いが、そこまでの危険に遭遇せず済んでいた。
特に10、11階は、A
だが、ずっと後ろを
見覚えのあるショートカットの
アザリアのところか。
その
別に悪さをしているわけではないのだが、ヴィヴィの存在は隠しておきたい。【忌み子】に対しては、真摯な姿を見せていたアゼリアだが、魔族となれば、どう出るのかグリアムはまったく読めず、不安が募った。
イヴァンとヴィヴィ、ふたりが後ろの
「ねえ、何でグリアムは戦わないの?」
屈託の無いヴィヴィの言葉に、グリアムは顔をしかめる。
後を
グリアムはヴィヴィのフードをグイっと引っ張り、再度深く被り直させた。
「イヴァンだけで充分だろ、オレはただの荷物持ちだ」
「ぅわぁ~。若者だけ働かせて、イヤなおじさん」
「はっ! いいんだよ。おまえこそ、顔が出ないように気を付けろ」
「はーい」
まったく、こっちの気も知らず、吞気なものだ。
グリアムは背後に気配を感じながら、また一歩、上へと上がる回廊に足を踏み出した。
■□
地上へと繋がる最後の回廊を前にして、イヴァンの剣が何度も振られていた。
「僕、これ苦手なんですよね」
「グリーンスライムが? 雑魚だぞ?」
「そうなのですが、何度も叩かないといけないのが面倒で⋯⋯」
何度も? もしかして、
ギルドで教わっていない? そんな事あるのか?
グリアムは少しの困惑を浮かべ、眼前のグリーンスライムを指差す。
「イヴァン、透けている体の中に、コブシ大の球体があるのが分かるか」
「あ、はい。分かります」
「そこを狙って、突いてみろ」
「こう⋯⋯あ!」
さして力も入れず突き刺した切っ先が球体に触れた瞬間、スライムの体が弾け飛んだ。イヴァンは少し驚いて見せ、何度もグリアムと切っ先の間に視線を泳がせた。
本当に知らなかった⋯⋯良くもまぁ、今までやってこれたものだ。
「モンスターには必ず
「なるほど。必ず弱点がある⋯⋯」
「最初に潜る時、ギルドから教わるぞ。聞いてないのか?」
「いやぁー潜れるのが嬉し過ぎて、あまり話を聞いていなかったのですよ。今、考えると危ないですね。これからは、ちゃんと話を聞きます」
「そうしろ」
まったく、良くこんなんで11階まで潜れたな。だが、ちゃんと頭を使って効率良く潜れば、もっと下まで行けるって事か?
「ヴィヴィ、到着だ。深く被れ、絶対にフードを取るなよ」
「うん⋯⋯」
光射す出口を前に、一度立ち止まる。固い表情のヴィヴィは、その光に一瞬、怯えているように見えた。
さすがに緊張するか。初めての外だもんな、緊張するのも無理はない。
気が付けば、後ろにいた
外に辿り着いた時点でお役御免? 何だか守られていたみたいに感じたのは気のせいか。
「イヴァン、ほれ!」
グリアムは小さな角を、イヴァンに投げ渡す。
「うわぁわぁわぁ、この角なんですか?」
イヴァンは、落としそうになった小さな角を覗き込み、首を傾げた。
「途中、
「ありがとうございます? でも、僕これ売れないですよね? 確か12階でエンカウントしたやつですよね?」
「そいつをギルドの姉ちゃんに渡して来い。【アルミラージの一角】、ランクアップのドロップアイテムだ。これでC
破顔するイヴァンに、グリアムは口端を上げて見せる。
「ありがとうございます。すっかり忘れていました!! やったぁー!!」
「オレは、こいつを金に換えてくる。ヴィヴィから目を離すなよ」
「分かりました。って、【ディグニティハニー】を換金ってどうやって?? B級より上じゃないとダメですよね??」
「いいんだ、大丈夫だ。金に出来るからしてくる、それだけだ。この間の店で落ち合うぞ」
「わ、分かりました?」
イマイチ状況を把握しきれていないイヴァンを背にして、グリアムは人混みへと消えて行った。
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