雪の中のクリンゲル
シヤフ=カック
現代編
第1話 書きかけの手紙
2020年 東京 冬
満員である。
コロナの蔓延によって在宅ワークが増えたのではなかったのか。東京を目指す中央線は在宅という言葉を僕の脳裏から打ち消すかのように、マスクをした人達でひしめき合っている。かく言う自分も帰省の荷物で場所をとってしまっている。申し訳ない。
東京駅もなかなかの混みっぷりであった。帰省の時期をずらしたつもりだったのだが。あまり食欲もなかったので小さなパン屋でサンドウィッチを買った。
KLINGEL
クリンゲル?お店の名前か。ドイツ語だ。呼び鈴、ベル。大学で専攻しているドイツ語は、1年半ほどしかやってないがかなり使えるようになっている。今年に入ってから授業もオンラインなのでほぼ独学といったほうがいいだろう。今学期からはロシア語の授業もとっている。
新幹線は関東を脱出し、トンネルを抜けて雪国に入る。田畑を埋め尽くす一面の雪だ。最近ロシア語も勉強しているし、来年の冬あたり雪に埋もれたロシアを旅行してみたい。ここの比にならないほど寒いことだろう。
昼過ぎ、新幹線は故郷・新潟に到着した。
2020年 新潟 冬
新潟の冬は寒いし新幹線代もかかるので、今年は帰省しない予定だった。しかし状況が変わったのはつい数日前。祖父が亡くなったのだ。新潟に着いた日に通夜があり、次の日に葬式が行われた。
祖父といえば長生きであった。戦争で徴兵され、満州に派遣されたのち、戦争が終わった後もシベリアで強制労働の日々が続いたという話は何度も祖父に聞かされた。まあ、そこで死なずに令和まで長生きできたことで幸せとするべきか。しかし、祖父から心の傷が消えたことは一度もないそうであった。
祖父は生前に日記をつけることが趣味であった。そうだ、もしかしたら戦争に関することも書いてあるかもしれない。祖父の体験談というのは、戦争の授業の期末レポートの題材にうってつけなのではないか。
次の日、僕は早速祖父の家に行き、祖母に祖父の残した日記や本を見させてもらった。しかし、退職後の老後生活の日記はたくさん出てくるが、戦争に関するもの、というのは全然出てこない。僕は祖母に頼んで、祖父の若いころの日記を探してもらった。すると、一冊だけ祖父が戦争に行っていたころの日記が見つかった。その中から、気になる紙きれが一つ出てきた。日記ではなく手紙のようだが、書きかけである。その手紙が僕の目を惹いたのは、それがロシア語で書かれていたからである。なぜ祖父がロシア語を...
僕はその日記と手紙を持ち帰ることにした。
2021年 東京 冬
僕は東京に戻ると、早速例の手紙を翻訳してみた。祖父の書いたロシア語は、どうやら新潟にいる僕の妹から教わったGoogle翻訳を使っていたらしく、大学でロシア語も勉強している自分からしたらぐちゃぐちゃであった。しかしなんとなくその内容が浮かび上がってきた。日本語風にしてみるとこんな感じだ。
ダーニル=クズネツォフ様 (Дарнил Кузнецо́в)
大変お久しぶりです。私のことを覚えていますでしょうか。70年も昔の話です。覚えていなくても無理はありません。私はというと、ハバロフスク(地名か?)にてお世話になった夏川海夫であります。あなたに Natsukawa と呼ばれていた元日本兵です。つもる話はたくさんありますが、いかんせん私も先が長くないようでして。死ぬ前に一度お会いしたいと思う所存であります。
書きかけの手紙はここで終わっている。
70年前?ちょうど戦争が終わったころか。
ハバロフスクという単語を調べてみると、どうやらシベリアの地名らしい。ということは、これはシベリア抑留に関する内容だろうか。
宛先はダーニル=クズネツォフという人らしい。ロシア人だろうか。一応ネットで検索にかけてみたが、何も出てこない。宛先に関しては、ヒントも何もなしといったところか。
だめだ、ヒントが無さすぎる。一旦この手紙は置いといて、期末課題の準備でもするか。僕は手紙をリュックにしまい、日記に取り掛かった。
期末課題のためにもなるし...そう思い、僕はシベリア抑留について調べてみることにした。手紙を紐解く手がかりが見つかるかもしれない。
―シベリア抑留とは、第二次世界大戦の終結後に武装解除された日本人捕虜がシベリアをはじめとするソ連の各地域に連行されて抑留生活および強制労働をさせられたことである―
そう、祖父は満州に派兵され、大戦末期にはソ連軍と戦っていた。満州はソ連軍に占領され、祖父は戦争捕虜となった。1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾し戦争捕虜は国へ返されることとなったが、ソ連はそれに従わず、戦争捕虜をシベリアに抑留し労働を強いたのである。
その環境は最悪であり、極寒、飢餓、感染症によって34万人近い死者をだしたそうだ。当時の劣悪な環境については、祖父からもよく聞かされていた。そこで体が鍛えられたのか、年末に老衰で亡くなるまで、目立った病気もしなかった。
そして問題は謎のロシア人についてである。ダーニル=クズネツォフ。一体彼は誰なのか。当時祖父は20代前半だったため、当時祖父とかかわりをもっていた人なら、2021年現在生きているかどうかも分からない。手紙には住所もかいていない。結局のところ、彼を探すのは無理そうだ。
期末課題ももう少しで完成しそうだし、もういいか。
僕はその手紙と日記を棚にしまい、春まで取り出すことはなかった。
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