第16話
薄暗い石畳を踏みしめて、卓也は秋土神社の長い階段を一気に駆け上がる。
境内にたどり着いた時には変わらず息が絶え絶えで、だがその荒さに対して、そこは一切の人気がない。
夜も開放されているとはいえ社務所はすでに閉まっていた。思い切り肺に空気をためて、声を吐き出す。
「加依! いるなら返事をしてくれ!」
やまびこを起せるほどの叫びは、虚しくどこにもぶつからない。膝に手をついた卓也は悔しさのあまり歯噛みする。
加依がいなくなってから、町中を駆けまわった。卓也と雄二がケンカをしている途中に、加依は恐らく窓から外へ出てしまった。両親や卓也に気づかれないためのものだとしたら、今の加依は靴すら履いていないことになる。靴下があったとしても、怪我は避けられない。
なぜ出ていってしまった。もし傷つきすぎて家にいるのが耐えられなくなったのなら、庭でのケンカすら間違っていた。怒り任せの行動が何一つ加依を助けられない事実に、もはやどうしたらいいのか分からない。そんな自責をぶん殴り、卓也はひたすら安否を願う。
町中にある思いつく限りの場所をまわった。
学校に駆け込んで、担任の先生に半ば怒りながら協力を求め、学校中すべてを探した。近場の公園はすべて向かった。午後に加依と話し合った場所はもちろん、ドーム型すべり台のトンネルや、砂場の上に仰向けでいることまで考えた。同級生の家にいることも考え、連絡網を利用して多くの同級生に電話をした。
明日香もずっと探している。雄二も仕事を切り上げて戻っている頃だろう。卓也の右ポケットには、近所の人から借りている携帯がある。明日香と頭を下げて頼みこみ、家族で連絡を取り合えるようにした。卓也が一人で加依を探すことを明日香は承諾してくれた。
思いつく限りの手を尽くして、しかし加依は見つからない。最後の望みとばかりにやってきた秋土神社にも彼女の姿はなかった。この前、卓也は本殿から少し奥にある大きな木に寄りかかがっていた。もしかしたらと、携帯の明かりを頼りに進んで大声を出してみたが、結果は同じだった。
(さすがにおかしくないか? なんでこんなに探しても見つからないんだ?)
靴を履いていないなら遠出はできない。子供の体力はそう高くないし、ずっと移動するなんてできないはず。交通機関を利用したとしても、人目のつく場所を移動すればするほど、靴を履いていないならなおさら夜にいる子供は目立つはずだ。事故に遭ったなどということも、同じ理由から考えにくい。
(誘拐……なんてことがありえるのか? 加依が初めて家出したっていうその時に、最悪のタイミングで起こり得るか? そんな馬鹿なことが現実なのか……!)
途方にくれているところに、右ポケットが振動する。耳を携帯に預ければ、当然明日香が話してくる。
『神社に加依は……!?』
「今まわりを見て叫んでいるけど見つからない……! 母さんは全部あたった?」
『いけるところは全部もう……。電話も全部かけたけど見かけた人はいないみたいで……どうしよう……』
さすがにありえない、という思いと、もしかしたら、という思い。相反が頭や胸を握りつぶすようにぐちゃぐちゃにする。恐怖で震えだす腕を押さえつけて、卓也はうねりまがった声をだす。
「警察に相談しよう。どこを探してもいなかった。説明すればきっと探してくれるはずだから」
『うん。さっきもう電話したの。これから家に来てくれる』
警察の協力は卓也たちが求めているもの、そのものではない。仮に総動員で捜査をしてくれたとしても、知りたいのは加依がどこにいるのか。加依が無事であるかどうか。
頬に冷たさを感じて手をあてる。木の葉の打たれる音が、そこらじゅうから聞こえだす。天気予報など気にかけてなかったが、騒音からしてこれから強くなる気がしてならない。
『一旦、警察の方に事情を説明しないといけない。卓也も、一旦帰ってきて』
「うん……わかった」
やがてつながりの途切れる意味のない機械。もっている手がだらりと下がった。
何か忘れていることは無いのだろうか。他に加依が行きそうなところに本当に覚えはないのか。
(もしどこか外にいるんだったらずぶ濡れになる。もし風邪をひいて肺炎になって……っていやいやだからそんな最悪の状況が簡単に起きてたまるかっていう――)
かちりと。
直後、スイッチが切り替わったかのように思いつく。手がかりは今の恐れにあった。
この町の中にあって、交通事故にあうはずがなくて、誘拐されるなんてありえなくて、どんなに長くいても見つからない場所。
たった一つ、卓也の目の前にある。
すぐに神社の社務所へ走った。
「すみません! 誰かいませんか!?」
声だけでは反応がなかったために閉められた戸を何度も叩く。礼儀をかなぐり捨てたせいで、中から物音が近づいてきた。戸が開けられ、男性の顔が見えた瞬間に身を乗り出す。
「小学三年生の女の子を見ていませんか!?」
「……いや、見ていないが」
「行方が分からないんです! 本当に何も見ていないですか?」
幼い子供が夜に押しかけて切羽詰まった顔をしていれば、深刻さは伝わるだろう。だが、中年の男性は視線を下げ、一歩引いた表情をする。思い出そうとはしているように見えるが、本当に心当たりはないのか。
だが、見られていないだけだったら?
欲しいのは加依へとどく確実な道なのに、手繰り寄せようとするたびに、底冷えする嫌な汗が噴き出す。
「かよちゃんなら、みたよ」
子供のに、はっ、と顔を上げる。社務所の奥から一人の女の子が出てきた。見覚えがあると思ったら、今日学校で筆箱をなくしてしまった、青山めい――という女の子だった。
「どこでみた? ここに来てたの?」
「見たのは、じんじゃのかいだんを上ってくるところだった。わたしは、ならいごとがあっておりていくところで……」
「加依、ちゃんと靴をはいてた?」
「え……? ご、ごめん、そこまでわからない……」
「……そっか。ありがとう」
もう一度、男性と女の子に頭を下げて、止めようとする声をふりきり社務所から離れた。すぐに携帯を取り出して、画面を袖でぬぐいながら電話をかける。
「母さん、加依はもしかしたら」
『居場所が分かったの!?』
「もしかしたら……秋土神社のさらに奥にいるかもしれない。加依の姿を見た女の子がいたんだ」
母親が息をのむのがはっきりと伝わる。
秋土山はあまり大きくはない。神社に興味のない小学生が、大人の揶揄をまねたのか、『飽丘』『あきおかー!』と普段は笑う。
だが、決して九歳の女の子には当てはまらないものだ。馬鹿にされて登る人がいない分、整備があまりされていなくて夜なら簡単に迷子になる。子供が危険に遭わないよう、親は必ずいくなと教える。
本当に行くだろうか。加依はちゃんと生きているのだ。子供だったとしても、奥へ行くことに恐怖や躊躇いを感じないとは思えない。
そんな卓也の否定は――しかし、加依の放心した表情を思い出して消え失せる。
「今から少し様子を見てくる。母さんはこのことも警察に話して――」
『だめ。戻ってきなさい』
一瞬、息が止まった。
怒ったように低く、そして強い。そんな明日香の口調を初めて聞く。辺りの音がその強さにもっていかれた。
『危ないから絶対に行ってはだめ。帰りなさい』
「……」
動揺していた。
『大好きだよ』と明日香から言われた。だが、明日香は自分のことを、一番、心配しているとは違うはずだ。
(……どうして)
「どうしたの? 何かあった?」
「……ううん、なんでもない」
「早く帰ってきなさい」
上手くつかみ取れないものを、もやもやとさせたまましまい込んだ。
スマホを落とさないように力をいれる。素直に従いたたい気持ちを消すために、労力を使うとは思わなかった。
「ごめん。行くよ」
『ダメだと言っているでしょう! そこに確実に加依がいるとは限らないの! ただでさえ暗くて、雨も降りだしたのよ! 下手したら大変なことになるの! 警察に頼むから! あなたまでもしものことがあったら――』
「わかってるよ」
『わかってない!』
「……うん、そうかも。ほんとうは分かってない。しんぱいかけてるんだね。ごめんなさい。……でも、行く。見てくるだけだよ。大丈夫」
『やめなさいと言って――』
「もし加依が!」
この瞬間、加依が近くにいて、そして、卓也のこの大声が届けばいいのに、だが、そんな上手くいってはくれないだろう。
「加依がここで事故にあってて、危険な状態だったらどうするんだ! もしものことがあったら俺はどうすればいいんだ! 母さんだってそうだろ!」
加依がいない可能性も十分ある気がする。見つからなくて、卓也だけ迷子になって、大勢の人に迷惑をかけたとしたら、本当にどうすればいいのか。
だが、不思議なものだ。引き返す気だけは起らなかった。身体と心がそういう意思を貫いている。まだやり直せると抱いている。
「大丈夫。絶対に事故になんてならない! だって、ここで俺にもしものことがあったら、加依がまた自分をせめてしまうから! それだけは絶対、絶対にさせてたまるか!」
『待ちなさい……卓也』
「だからごめん。迎えに来て。母さん、待ってるから」
携帯をぷつりと切り離した。機内モードにして、ライトだけをつける。小さな機械を命綱にする日がくるとは思ってなかった。
深呼吸をして森の先にあるだろう山を見据える。服の半分がすでに濡れている中、卓也は木々に縫い付けられた通行止めのテープをまたいだ。
秋土山にいる。
そのつもりで、全力を尽くす。
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