第7話 追放


「ルカ!」


 つい父に意識を向けていた一瞬を見咎められ、ルカは再び叱責される。閉じた扇で頬を叩かれて、ヘルミーネに詰め寄られた。


「謝罪の言葉もないの!?」


 すでに先ほど謝ったのだが、ヘルミーネが聞いていないと言えばなかったことになる。この家ではいつもそうだった。


「申し訳ありません。奥様」


 奥様、とはヘルミーネのことだ。ヘルミーネはアウグストの妻となっても、ルカが自分を母と呼ぶことは決して許さなかった。


 ──あなたのような汚れた血を引く子の母になった覚えはなくてよ。

 ヘルミーネはそう冷たく言い放って、屋敷の使用人たちと同様、奥様と呼ぶようにルカに命じた。


「奥様。僕が至らないばかりにクレーフェ伯爵令嬢との縁談が成立せず、申し訳ありませんでした。もちろんマティアスの結婚を邪魔する気はありません。伯爵令嬢と幸せになってほしいと願っています」

「そうね。あなたなどに言われるまでもないわ。マティアスは誰よりも幸せになる資格のある、素晴らしい子ですもの」


 望む言葉を告げてやると溜飲が下がるのか、ヘルミーネは声を弾ませた。嬉しくてたまらない様子でルカを見下す。


「あなたはもう、まともな縁談は望めないでしょうけれどね」


 公の場で婚約破棄され、嘲笑されたみじめな令息と、結婚したがるような物好きがいるわけがない。


 ナターリアが捨てた婚約者を拾うことは、クレーフェ家よりも下だと認めるようなもの。


 プライドの高い貴族が、クレーフェ家の残飯をあさるような真似ができるわけがない。


「あなたのような穀潰しをこれまで養ってあげたというのに、恩返しもろくにできないのね。せっかく骨を折ってクレーフェ伯爵令嬢との縁談をこぎつけてあげたわたくしの苦労を無にして……」


 恩着せがましく言うが、ヘルミーネはクレーフェ家との話を持ってきただけで、何を協力してくれたわけでもない。


 今回のパーティーでルカが着ていた服も、たった一着しか持っていない礼装だ。


 ヘルミーネはルカのために金を使うことがとにかく嫌いで、服も靴も小物もすべて、男爵家のメンツをつぶさないぎりぎりの予算しか許してくれなかった。


 一方、マティアスはパーティーのたびに服を新調している。


 今回のパーティー用にも金に糸目をつけず最高級の生地を取り寄せ、首都で大人気の仕立て屋を呼びつけて、贅を尽くした衣装を作らせていた。


 ナターリアは最新の流行を華麗に身につけたマティアスに熱い視線を送り、前回のパーティーと同じ一張羅を来たルカには明らかに幻滅した顔を向けていた。


「クレーフェ嬢の婿になって、伯爵家と縁続きになることだけが唯一のあなたの存在理由だったのに、それすらろくに果たせないのね! 政略結婚にすら使えないなんて、いったいどこまで役立たずなのかしら!」


 上位貴族と縁を結ぶことだけが存在理由、とはここ数年、ヘルミーネがルカに命じ続けてきたことだった。


 庶子が家督を継ぐなどありえないのだから身の程をわきまえろ、と頻繁に怒鳴りつけては、目ざわりだとか態度が悪いだとか難癖をつけては打擲した。


 庶子であってもヴァルテン家の戸籍に入っている以上、ルカにも男爵位の相続権はある。


 しかしヘルミーネは法律など無視するかのように、後継者はマティアスしかありえないと言い張り続け、ルカの相続権を頑として認めようとはしなかった。


 そして、ナターリアとの婚約が解消され、他家の令嬢との縁談ももはや絶望的となった今。


 ヘルミーネがルカに求めてくることは一つだった。

 追放だ。


「この能無し! 利用価値のなくなった私生児なんて、もう養ってあげる義理はないわ。さっさと出ていきなさい!」

「父上……」


 ルカは最後の希望をこめて、父のアウグストを見た。


 アウグストは一瞬だけルカと目を合わせたが、すぐに視線を反らし、貝のように口をつぐんだ。


「……」


 いつも同じだった。アウグストは妻に一言も返さず、ルカを守ろうともしない。

 

 平素からそうだったが、こうして家を追放されようとしている時でさえ父は動いてはくれないのだと、落胆とともにルカは知った。


「馬車くらいは手配してあげるわ。優しい私に感謝なさい」

「奥様の仰せのままに……」


 ルカは素直に従う。

 もう何でもいい、というのが正直な心境だった。

 

 話の済んだヘルミーネが扇の先で扉を指し、高圧的な視線で追い立てる。


 ルカはもはや父に視線を向けることはせずに、黙って部屋を出た。


 ヘルミーネはすぐに家令を呼びつけると、隣国との国境沿いに横たわる辺境地帯の名を出した。

 

「そうね。北のリートベルク領にでも送り込めばいいわ」


 王国における貴族の地位は公爵、侯爵、伯爵、男爵だが、これ以外にも辺境伯という地位がある。


 異国に接する危地を治める辺境伯家は軍才を求められるが、現在のリートベルク辺境伯も剛胆な武人と名高く、その娘も蛮勇を絵に描いたような荒々しい令嬢だと噂されている。


 社交界で揶揄され、後ろ指をさされている「野蛮令嬢」だ。

 

「お、奥様、ルカ様をリートベルク領に……!?」

「ルカ“様”!?」

「も、申し訳ございません! お許しを!」

 

 平身低頭する家令は、それでも必死に取りすがった。


 あんな危険な地に身一つで送られたら、ルカはきっと無事ではいられない。

 

「ですが奥様、あの地は非常に危険でして……!」

「そうね。広大な森に、野生の熊や狼が跋扈しているとか」


 ヘルミーネは冷たく言い放った。

 辺境地帯に広がる森には、凶暴な野生動物が出没することで知られている。


 好都合だ。もちろんリートベルクの領主に先触れを出す気もない。


 ルカが不法な侵入者と間違われて罪に問われようと、あるいはその場で斬り殺されようとかまわない。


「ちょうどいいじゃない。獣の牙に食われようが、野蛮令嬢の剣にかかって果てようが、私の知ったことではないわ」


 ヘルミーネはルカの去った後を、憎々しげに睨んだ。


「あの子は要らない子なの。生まれて来なければよかったのよ」

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