追放された末端令息は辺境の野蛮令嬢に一目惚れする

sana

第1話 プロローグ


 あの日の光景を、生涯忘れることはない。


 星のように森を翔ける、一本の羽矢。

 それがはじまりだった。


 ルカの蜂蜜色の髪を揺らして走り抜けたやじりが、きらめく尾を引いて、まっすぐに飛んだ。

 

 たった一目、その人を見た刹那。

 周囲の音が、空気が、時間がすべて停止した。


 目の前に降り立ったのは、しなやかな長身の女性。

 

 凛とした立ち姿。風に揺れる漆黒の髪。ゆがけを嵌めた手のひら。

 構えた弓筋だけではなく、前を見すえる視線もどこまでもまっすぐだった。


 彼女は弓を持つ左腕を動かさないまま、右手で矢筒に触れた。

 素早く引き抜いた矢を弓につがえ、一直線に引く。


 すべての動作が流れるように巧みで、一部の無駄もなく、一秒の隙もなかった。


「……!」


 まばたきをするのも惜しかった。

 一秒でも、一瞬でも見逃したくなかった。


 こちらを振り返る彼女の瞳は、あたかも天上の蒼穹を切り取ったような、澄んだ青の色。


「…………」


 ルカは言葉を失った。


 まるで雷に打たれたように、全身が痺れる。


 微動だにできないほど麻痺しているのに、どうしても目を離すことができない。


 ただごくシンプルな思いだけが、無意識のうちに口からこぼれ出た。


「……好き……!」

 

 人生初となる──そして最後となる一目惚れを体験することになったルカのフルネームは、ルカ・ヴァルテン。


 父は富豪で知られるヴァルテン男爵家の当主。

 そしてルカは父の長男でありながら後継ぎではないという、微妙な立場の令息だった。


 ルカの人生を丸ごと変えることになる運命の邂逅──とある辺境の令嬢への一目惚れの瞬間にたどりつくためには、少々長い前置きを経なくてはならない。


 

 

 ──時をさかのぼり、およそ十日ほど前。


 ルカは王家の主催する、豪華絢爛なパーティーに列席していた。

 

 華美を極めた王宮の、優婉を絵に描いたような祝宴の中。


「ルカ・ヴァルテン! あなたとの婚約を破棄します!」


 断罪を突きつける声が、宮殿の大広間に響きわたった。

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