第14話 良一の家
(良一の家)
昼間の嵐のような風は収まったが、春の夕暮れは少し肌寒く庭木の花も凍えているように見えた。
良一の家に行くのは、良一の母の葬儀以来だった。
あの時の良一の泣き顔が、妙子の脳裏に焼きついていた。
あれから良一は、帰りの当てにならない父親を一人でずっと待っていたのかと思うと、たまらず胸の中が熱くなるのを感じていた。
しかし、それとは別に良一の家に近づくに連れて、胸が変に苦しく、ドキドキと打っているのを抑えられずにいた。
「なんか、緊張するわね……」
自分で自分に話しかけても気持ちは落ち着かず、さらに胸の高鳴りは容赦なく襲ってきた。
「もうー、何で私がこんな思いをしなければならないのよ。みんな良一のせいよ。始めから家に来ていればよかったのに……」
そう思うとだんだん腹が立ってくる妙子だった。
そして良一の家まで来ると胸の鼓動はぴたりと止み、妙子は玄関脇のチャイムを押した。
しばらくして玄関のガラス戸に人影が映り、良一は言葉なくおもむろに玄関を開けた。
「あなたが来ないから、私がわざわざあなたの分のお寿司を持って来たのよ!」
妙子は、いきなり良一を怒鳴りつけた。
「ごめん……、そんなつもりはなかったけど。ごめん……」
良一は妙子の勢いに、俯きかげんで答えた。
「もう、いいわよー! それより、これお寿司……」
差し出されたお寿司を見て、良一は再び戸惑っていた。
「これどうするのよー! いるの、いらないの……?」
「あ、うん……」
それでも、良一はただ立ち尽くして煮え切らない様子だった。
しかし、妙子がずっと桶を差し出しているのを見て、良一は慌てて桶を掴んだ。
「ありがとう……!」
そして、また良一は受け取ったまま妙子をじっと見つめて立ち尽くすだけだった。
「……、ご飯食べたの?」
間延びした沈黙に耐え切れずに妙子が儀礼的に話を始めた。
「……、いやまだだけど」
「それなら良かったじゃない。お寿司、間に合って」
「……、うん。だから、どうしようかと思って……」
「なにを……?」
「湯川さんの家に行かなければいけないかなと思って……。迎えに来たのかと思った……」
「いいわよ。来たくなかったら無理しなくて……」
「いや、そういうことじゃないけど……」
「はっきりしないのねー! それよりあたし、いつまでこうしているの?」
「え、あ、ごめん。上がっていく……?」
「いいわよ。あなたの彼女に見られるとまずいでしょう!」
「彼女なんていないよ。何もないけど上がって待っててよ。今、桶あけるから……」
「それなら、ちょっとお邪魔しようかな……」
妙子は、さっきの胸の高鳴りは何だったのだろうと思わせるほど不思議と良一の前だと心が落ち着いて、まるで家族と向かい合っているように話せた。
そのせいか、きつい言葉や偉そうな言い方が次々に出てくるのを、止めようとしても止まらず、反抗期なのか習慣の恐ろしさなのか、我が身を恨んだ。
「これは凄いねー! こんなに綺麗に片付いているとは思わなかったわ。あなた一人なんでしょう……?」
「そうだけど、一人だからいいんじゃないかな。汚す人がいないから……」
「それだけじゃー、こんなに綺麗に磨き上げられないわよ。よくやるわねー!」
「そんな、普通だよー」
「悪かったわね。私はやらないわよっ!」
「いや、そう言った意味じゃなくて、本当は掃除するのが好きなんだ」
「うそ、変わっているわねー。なんで……、綺麗好き?」
「そう言うわけでもないけど、暇つぶしになるし、それで家が綺麗になれば一石二鳥だし、嬉しいじゃない。むしゃくしゃしていても、家を掃除していると忘れられるんだ」
「やっぱり変わっているわねー」
妙子は、良一の後について台所に上がった。
そこには紗恵子が言っていたように大きな食卓が真ん中に据えられていて、一人暮らしの良一にとっては寂しすぎる光景だと思った。
良一は桶をテーブルにおいて、風呂敷の結び目を解いて驚きの声を上げた。
「これは凄いお寿司だねー! そうだ、湯川さんも一緒に食べていくかい?」
そう言うと良一は、キッチンの中に入りお茶を用意した。
「私はいいわよ。家に帰ればあるから……」
妙子はひとまず遠慮しながら椅子に腰掛けた。
家にいた時から、お腹が空いていて、早くお寿司を食べたいと思っていたのは事実だった。
良一は、妙子の前にお茶と割り箸を置くと、またキチンの中に入っていった。
しばらくすると、お味噌汁も出てきた。
「たまごとアナゴとえび、食べていいから」
「まだ、覚えていたのね。私の好きなもの……」
「……、うん、……、食べてよ」
「あなたから食べてよ」
「じゃあ、遠慮なく……」
良一は鉄火巻きを一つ取った。
妙子もたまごを取った。
いつもは静かで、寂しい食卓が女の子一人いるおかげで、花が咲いたような明るさと、街中の雑踏のような賑わいが現れたような気がした。
「いつもは一人なんでしょう。寂しくない?」
「……、仕方ないし、慣れたよ。かえってお父さんがいるときの方が、仕事が増えるから、いない方がいいと思っていたよ。いなくなってちょうどいい……」
妙子は自分自身につまらない質問をしてしまったと後悔しながら、この場の雰囲気を変える言葉を捜していた。
「……、なんか、私たち新婚さんみたいね」
よりにもよて、なんて話をしてしまったのかと再び後悔。
「……、そうだね。昔、おままごとでやったね」
「もう、昔の話はやめましょう。早くお寿司食べましょう……」
妙子は慌てて話を変えようとした。
このまま話が進めば、一緒にお風呂に入っていた話も出てくるし、一緒の部屋で布団を並べて寝ていたことも出てきそうだし、キスしたことも出てきたら本人を目の前にして、顔から火が出そうなくらい恥ずかしくて、ここには入られないと思っていた。
「このお味噌汁美味しいね。インスタント?」
「いや、僕が作ったけど……」
「へーえ、凄い! お料理も上手なのね。他になにが作れるの?」
「……、何でも出来るよ。普通のものはね……」
「じゃあ、お嫁さんなんかいらないわね」
「……、そうだね」
その話で、また沈黙が続いてしまった。
「なにやってたの?」
「……、受験の問題集」
「偉いわねー! 本当はスケベゲームかなんかやってたんじゃないの?」
賑やかしにからかうつもりが、また詰らない話になって、妙子は後悔と共に顔を赤らめて俯いた。
「湯川さんは、ゲームやるの?」
「友達のところで少しやったことあるけど、家にゲーム機ないのよ。私はゲームより、ピアノだから……」
「僕の家にもないんだ……」
「うそ、どうして……?」
「他にやることがあるから、問題集の問題を解いている方が楽しいし……」
「お掃除もしなければならないしね」
「そうだね……」
また、話が途切れてしまった。
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