2000字ピッタリ!ショートSHOW10!

湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)

第1話 引きこもり


「ごはん、置いておくからね」

 私は些細だと思っている言い争いから1週間。タカコは客間に引きこもり続けている。時々、扉が開いて、顔を出す。しかし、その時誰かが視界に入れば、タカコはまた引きこもる。気を使って外出し、帰ってくると、トイレの電気がつけっぱなしになっていて、ああ、トイレに行きたかったのか、と、思ったりする。


 初日は部屋の前に置いた食事に手をつけることがなかったけれど、翌日からはよく食べている。なんなら、部屋の中にあったらしいメモ帳に、「おでんがたべたい」とか、「ケーキ(ショート)」とかリクエストを書いて、すっからかんのお皿と共にトレーに載せられるくらいに、食欲旺盛。

 引きこもりっていうと、もっと闇に堕ちたイメージを持っていた私は、肩透かしを食らった気分だ。

 なんだ、これではまるで、動物を飼っているだけって感じだ。

 いやいや、動物の方が、可愛げがある、気がする。

 タカコには可愛げの〝可〟の字もない。


「あー。困ったなぁ。お米を切らしてしまったや。買い物に行かないとな」

 腹の底から棒読みを吐きだして、客間の扉がガタリと揺れたのを確認すると、玄関扉を開けて、閉めた。

 米? 腐るほど買ってあるわ。

 どこへ行くかって? 出かけなんかしないさ。玄関でうずくまってるだけ。言うて我が家はこだわりの玄関横収納を有している。コートやアウトドア用品、長靴にブーツ、空気入れやら、救急箱、買いすぎた日用品をガサガサと詰め込んでも、人ひとりなんて余裕で入れる。だから、快適に張り込みができるってわけだ。

 こんな使い方をするために、この収納をつけることにこだわったわけじゃないはずなんだけどなぁ。なんだか少し、虚しくなる。


 ぼけぇ、っと無駄にトイレットペーパーの残ロール数を数えていると、ガタガタと音がした。

 タカコが動き出したのだ。

 タカヤは今、仕事に行っているから、タカコの他にこの家にいるのは私だけ。

 なぜやら変な汗が噴き出てきた。

 引きこもりの生態を音で知るっていうのは、ホラー映画でも見ているかのような冷えた緊張感を伴うことらしい。

 知らなくていいことを、知ろうとしている。そんな〝悪さ〟が、私の心臓の拍動リズムを狂わせていく。

 耳を澄ます。足音がする。

 引き出しを開けたり、戸棚を開けたり。

 ビニールが擦れる音がする。ビニールを破く音がする。

 あ、食べ物を物色しているな?

 ドン、と大きな音が響いて、私の体はビクン、と跳ねた。

 音の出所は? 私、ではないな。

 大丈夫。……大丈夫?

 タカコは何を落としたのだろう。

 怪我とかしていないだろうか。

 もしも重大事案が発生したとしたら、帰ってきました偽装なしに、私は彼女の元へと駆けつけねば。

 ん?

 衝撃音の後から、無音が続いている。

 まさか、倒れた?

 いけない。もしも倒れて、たとえば頭を打っていたとしたら。

 困る。まだまだローンが残っているっていうのに、事故物件にされては困る。いや、完済していたら事故が起きてもいいってわけでもないんだけれど。


 トイレットペーパーを見つめながら、次なる音を待っていると、ドスン、ズズーと足音。

 なんだ、倒れたりした可能性はゼロではないが、生命にかかわるものではなかったらしい。

 よかった、と安堵するもつかの間。生命を脅かされるとしたら、私のほうだったようだ。

 ドスン、ズズーという足音が、どんどんと玄関へと近づいてくる。

 やばい、やばいやばい!

 いや、やばいのか?

 これは喜ばしいことなのでは?

 タカコがついに、一週間ぶりに外に出る、ということなのでは?

 おお、そんな奇跡が起こった時には、ホールケーキを買いに行こう。そうして、それを仲直りのしるしということにして、みんなで食べるのだ!


『ギャーッ!』

 タカコが叫んだ。

「アアアアアッ!」

 私も叫んだ。

『あんた、なんでこんなところにいるのよ! 気持ち悪い!』

 タカコは私に罵声を浴びせると、ドン、と尻もちをついた。

 あいたたた、と尻をさするかと思えば、なぜやら足首をさすりだす。

「どうしたの?」

「ああ、もう! さっき挫いたのよ」

「はぁ、なるほど。足を挫いた結果、クッション性の高い尻でドン、と床に着地したのか。それならあの音も理解できる。そしてそのあと、湿布を貼りたいな、と思って、救急箱を取りに来たら、ここに潜んでいた私とばったりと」

「うるさい! 人のことを馬鹿にしてんじゃないわよ! 馬鹿!」

 タカコは片足を引き摺りながら、私を逞しい腕で押しのけ、救急箱が仕舞ってある棚の前まで、ずい、ずいと進んでいった。

 手を伸ばし、それを取る。痛めた足をかばいながらそれをしたからか、はたまた救急箱を手に入れられたという安心感からか、タカコの身体が揺らめいた。

 ドン、と尻が棚を叩く。トイレットペーパーが宙を舞い、私に降り注ぐ。

「それ、片付けておいてね。わたし、足痛いから。あと、もう普通に暮らすことにするから。それと、ホールケーキ食べたい」

「あー、はいはい。母上の仰せのままに」


 

 

 

 

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