第19話 詩作という名の「生産」

 ご存知かと思いますが、私は昨年より詩を作って(書いて)おります。

 これを他業種の仕事に例えれば、確かに「商品生産」というにふさわしいだけのことのある「業務」であると言えましょう。


 こう言うと、詩作なんかのどこが商品生産だ、詩を作るより田を作れなんて言葉もあるだろうと、無知と分からぬ無知ならぬ低能低次元を低能低次元を自覚せぬ呆け者が湧いて出てくることでしょうが、ま、低能の一つ覚えでことわざを披露したかっただけであるということで、その低能低次を憐れんでやりましょう。


 大体、本を一つの商品と捉えるなら、そこに掲載されている文章や写真、無論そこには詩や短詩形も入りますわな、それを目当てに人は本を買うわけですから、それらのコンテンツはどれも商品以外の何物でもないことは明白だろうが、ボケ。

 そうなれば、詩を書く、詩をつくる、詩を詠む(読むではないよ!)と、どんな表現をしても構わんが、そんなことは大した問題ではない。いずれにせよ思いついたその詩とやらを文字にして残す作業をしていくことは、それは商品を生産すること以外の何物でもない所業なのであります。

 大体、物理的な本というシロモノをただただ何でもいいから買うという人は、少なくとも私の周りには、これまでお会いした人の中では一人もおりません。その条件で買えというなら、エロ本でも買っておくわい、無修正のを(わっはっは)。


 それはともあれ、本というのはただ何も書いていない、よしんば書いてはいても意味もヘチマもない文字の羅列を印刷してこれ世にもありがたき本でございと言っても、実は本としては成立し得ないわけでもないのよね。

 実際それで国会図書館に献本して、その時受けられる金をしっかり数百万もせしめたという御仁もおるという。後に大問題になって返金したらしい。実際に札束持って行ったってよ(マジらしい)。


 そういう極端極まる話は置いておくとしても、本というのはただそんな風体にしただけで本となるわけじゃないってことや。中身あってのもの。

 その中身を作る仕事は、やはり、本という商品を生産する行為であることに違いないでしょうが。

 これは、改めて話を戻すが、写真集の写真であれエクセルで作った統計データであれ、はたまた小説や学術論文であっても一緒でっせ。

 大体、世にも素晴らしい小説を執筆されるワタクシのような作家の作品を読みたいという方が(そんな人いないって? ま、おることにして~苦笑)、どこかの大学の学者大先生の学術論文、それも1冊何万もするような本を読まれますか?

 わしの娘(=隠し子?)ということにしておるけど、トロピカル~ジュプリキュアに出てくる文学少女一之瀬みのりの小説を熱烈に読む女子中学生らが、いくらその作者の父親? とはいえいい年のおっさんの大傑作なんか読むかいな?


 というわけで、結局何が言いたいかはもうお分かりだろうと思いますけど、本そのものを読むのではなく、そこに書かれている内容を読んで楽しんだり、学んだりするわけでしょ? 本なら何でもええとばかりに頓珍漢な内容の本なんか読まされてもしゃあないわな。


 結局、詩をつくるのも小説を書くのも、すべてこれは、本づくりという業務における「商品作物の生産」ということになるのである。写真を撮影して加工するのもこれに同じ。何ら変わることはない。

 そうして生産されたものを、本という形に落とし込んで目に見える形の商品にして販売するわけ。それが紙媒体か電子書籍かは、単に形式面の問題です。


 実はわしらの仕事ってな、文章を書くことはすなわち畑で作物を生産していることと一緒なのですよ。作物のように同じように育って同じ頃合いに刈取る(収穫する)とは限らんが、そんなことはこの作物の特性に過ぎない。

 ある意味、救荒作物も裸足で逃げ出すほどのすごい作物なのかもしれんぞ。


 詩を作ることは、実は、田を作ることと同じなのです。


 もちろん、建造物などに例えることも可能だが、先ほどのことわざにトレースするなら、こういうことってわけだ。

 田をつくるか建造物をつくるか、はたまた空中楼閣(三島由紀夫大先生のお言葉より)をつくるかというのは、あくまでもたとえに過ぎんのだ。

 わしらは、こうして商品を生産して皆様にお見せすることを言うなら「仕事」としてやっておるわけですよ。


 こう言うと、いや、私はアマチュアで本にもしていないし、こうして小説サイトに書いて出しているだけだという方もおられるかもしれない。本という形にして対価を取っていない、有料サイトとして課金をしていない以上対価は発生していないというかもしれない。

 しかしそれは、私に言わせれば「詭弁」に過ぎない。ちょっときついかな。

 確かに金銭という対価は受けていないかもしれないが、相手の貴重な時間という財産を頂いて、お読みいただいている。

 その点においては、相手より対価を頂いているということには変わりはせんではないですか。ましてそれから感想やコメントなんか頂いてみなさいよ。それなんて時間と労力という対価を頂くことで披露されているものじゃないですか。

 そういうことに思いを至らせば、人に読んでいただくという行為自体がすでに対価性を帯びていることに気付かれるはずです。さすがに「耐火性」があるかどうかまでは保証できません(誤植で出たからおまけの追加)。いずれにせよ、本は消火器の代わりにはなりません(ますます何のこっちゃ)。

 冗談はさておき、本来は先ほど述べた行為の上には金銭という対価も発生するものなのだが、あくまでもそのような場合は暗黙のうちに「免除」されているだけってことになるわけですよ。

 刑法に、同居の親族同士の場合窃盗罪が「免除」される場合があると規定されていますが、あれと同じようなものと御理解くださいね。

 本来、本屋で本を万引きすれば窃盗罪だけど、無料と言われるサイトで文書を読んだ場合は(それをダウンロードして熟読しても)窃盗罪にならない。

 これってね、後者はまさに、原則の例外、ってことになるわけです。

 なんか例外のほうが原則より多い気もする今日この頃ではありますが、それはまた別の話ということで。


 いろいろ述べて参りましたが、ある意味、このPOD出版というものは著作物は原則有料であるという方向への強烈な「戻し」という側面があるようにも思われますね。それは電子書籍にも言えることではありますが。

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