3カ月で10冊も紙の本を出せたのは、なぜ?

第9話 なぜ、3カ月で10冊も書籍を出版できたか? 1

 ここは、ある意味私の特殊事情に係る話ですので、到底一般化はできないものであることを踏まえてお読みください。


 まず、3カ月も経たない間に10冊の書籍、それも紙媒体になるものを出版にこぎつけることができたか?

 これに対する回答を述べましょう。


 すでに、書籍10冊では効かないほどの原稿を持っており、なおかつ、1カ月もすれば1冊やそこらの本にできるくらいの原稿を同時進行で書き続けてきたから。


 今述べたことが、その答えの全てと言ってもいいものです。

 こんなことを言ってしまうと、もはや実もふたもないような回答にしかならないように思われるかもしれません。確かに、実もふたもないです。ええ。

 そもそも原稿がないと本の1冊も、それどころかこのカクヨムの1作品すらもできないと言っているも同然ですから。


 では、私のこの経験が本当に、同等以上の能力を持った人以外には役に立たないものなのかということについてはどうか。

 自分には役に立たない、観賞用の何かよその世界の人のやらかしたことという形で処理できるような性質のものでは必ずしもないこともまた確かです。

 いや、自分は本なんか作れるようなものは持っていないとおっしゃるならそれ以上何かしろとも言えないところですが、どうしても何かを書いて出したいという人にとって、私のこの経験を通して自己出版という手法があることを知ることは、自らを活かす上で決して損にも無駄にもならないことでありましょう。


 このPOD出版において実現できることは、物理的な本を作り出すことにとどまるものではありません。

 そもそも自分の本を出すということは、それがどのような形態をとるものであったとしても、それが自分自身の強力な名刺代わりの役目を持ってくれます。

 その手段における手法が商業出版か自費出版か、つまり、書籍の制作に金が必要となったかならないか、ひょっと確実に売れると見込まれて取材費までもらって本を書けるという稀有な人もいらっしゃるでしょう。

 有名な推理作家の西村京太郎さんは東京から西鹿児島迄ブルートレインに乗って往復して、その間個室寝台車にこもって原稿を書き切ったと言われています。その取材費、ひょっと出版社から持ち込まれて、取材費として交通費や宿泊費などなど出してもらって書かれているかもしれませんね。

 真実がそうだったかどうかが問題ではなく、そのような事例もあり得るということで紹介したまでです。

 もっとも、そんなことは特別有名な人でもない限り、そうであっても別分野の本をとなれば、そうもいくわけがないのは言うまでもありません。

 私の存じ上げているある弁護士さんは、ある司法試験予備校の講師をされていました。その方には確かに、司法試験の勉強法に係る本を出してくれという声はその予備校にとどまらずかかってきており、それは商業出版として相手方の費用持ちで出されているはずです。そこで有名だからと言って、ではその方がライフワークの一つである歴史書を出したいと言って、さあ、どの出版社が出しましょうと言ってくれるかという話になると、どうでしょうか。実は私、かつて企画出版で本名名義で本を出したとき、その方にお会いして本を売ってくれと言われ、その代わり、どのくらいの費用がかかったのかとかれこれ聞かれました。

 いくら商業出版で本を何冊も出せている人でも、分野の全く異なることともなればほらこの通りで、自費出版にしたらどのくらいの金や条件等が発生するかということで、てきめん金銭負担を考えざるを得ないようになるというわけです。


 すでに商業出版で何冊も出していて文庫本にさえなっているような人たちは、この自己出版という手段を用いて本を出すことによって思わぬデメリット、それまでの仕事にかれこれ悪影響が出てしまう可能性もあるかもしれません。

 しかし、そういう伝手も書籍出版実績も、またライターとして雑誌などに連載を持っているわけでもない人にとっては、この自己出版という手段手法を用いて本を出したところで失うものは別になく、ただ単に書籍を出版できた実績が積み重なるだけです。

 もとは自費出版で出した本が後に大ヒットした例もありますが、それはあくまでもわずかな成功例に過ぎないことは、誰もが気付くことでしょう。

 しかしそこに変な夢を持たせて著者に金を出させ、本を出してやるわという姿勢で売込みをかけてくる出版社もあるようです。さあ契約して本をつくるとなれば、そこでもはや100万仕事。

 私のような買取付の企画出版でも、100万円こそ切ったものの90万円近くの金がかかりました。

 無論、これはその手の出版社をけなしているわけではありません。

 出版社を通すことで、独りよがりのわけのわからん出版物を出してしまうリスクはほぼ確実に回避できます。そのための出資だと思えば、考え方としては妥当なものではありましょう。

 もっとも、金の問題はクリアできたとしても、では、人が絡むことで自分の思う本がきちんとできるのかとなってくれば、話はまた逆転してしまう。

 他人が積極的に書籍出版に係ることは、それだけ、自分の思い通りのものができなくなるリスクも入ってくるというわけです。

 商業出版であればなおのこと、いくら自費出版で言うなら著者こそがお客様でありますという出版社であっても(かなり嫌味な言い方かもしれませんが)、そこは同じことです。出版社としても、そりゃあ、岡山弁で言う「風が悪い(ふうがわるい=みっともない、の意味)」本なんか出せたものではないですからね。

 そんなの作って、誰だそんなの出した奴はと社内外で言われたくはないもんな。


 しかしながら、いくらショボいの風が悪いのと思われても、自分は自分の納得する本を出すのだという信念があるならば、そんな人にはおあつらえ向きのシステムが出来上がっていますよ、ってこと。

 それが、この自己出版というものです。

 出版に至るまで、下手すれば(うまく行けば?)誰も介在することなく本を出せるわけですから。データ上のエラーとか、そういったことに関してはその段階でもケチが付けられる可能性もあるが、そこさえクリアすれば、出せます。

 あとは、著作権の侵害になり得る文章やデータを掲載した場合のリスクもありますが、これは出版社が付いていても基本的には同じこと。出版社としてはそこは過剰なくらいにリスクを避けたいと思うところ。そこはやはり、自己出版であってもきちんと処理していかないといけないことではあります。


 私自身の経験でも、実は電子書籍段階でその手のことでケチをつけてきたところがありまして、そこまで言うならもう出さんわ、ということでその媒体からは出していない作品もあります。著作権法32条の引用の条件をきちんと踏まえて数点テレビの画面撮影画像を引用しているのですが、まあ、こちらとしてはごちゃごちゃ言われるくらいならもう出さんということで、そこからは出していません。

 その媒体はどこかということとその顛末は、これ以上書くと物議をかもしても難なのでこれ以上書くのはやめておきます。なお、POD書籍としては、その作品は現在2社で販売されていることを申し添えておきます。


 そんなこんなのごちゃごちゃした話に巻き込まれながらも、私はこの3カ月弱で10冊のPOD書籍の出版にこぎつけたわけです。

 一気にそれだけの本を出したことには、思わぬメリットもありました。

 短期間で多くの本を出すことで、手続面での処理のノウハウが短期間のうちに得られたことです。1冊やそこらなら、一度やってあとまたしばらくやらず、またやろうかなと思った時にさあどうだったっけ、ちょっと調べなおそう、なんてことになりかねないものですが、これだけ一気にやると、そう簡単には忘れないもの。

 それだけではありません。

 一つ一つの「工程」における手続のコツが、一気に覚えられる。

 これなどまさに「手に職」をつけるのと同じ原理と言えばそうですね。ただし、教えてくれる人はいませんでしたが。

 ま、下手に教えられても無駄ないさかいを起こすだけなので、自分自身でやって一つ一つ身に着けた方がより確実で早く、しかも効果的ってことです。

 実際問題として、自分の腕が頼りの「職人技」的な業務はありませんからね。


 もっとも、たった1冊しか出さなかったとしても、こうして得た経験というものは人生において大きな糧となることも確かですから、そこを否定しているわけではありません。


 長くなってしまいましたので、次回またこの筋の話を進めて参ります。

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