第6話 落ち着きと苛立ち

「ルイは、今日はどちらまで行かれてたのですか?」

「西側にふたつ山を越えたところに龍たちが集まる場所があってね、たまに顔を出さなきゃならないんだ。近所付き合いというやつだね」

「へえ、龍はたくさんいるのですね」

「今は隠居してる者らもたくさんで、活発に働いているのはずいぶん減ったよ。まあでも、いつも十は集まる」

「ルイはすごいですね。ふたつ山を越えるなんて、私には想像さえできません」

「フェイもいつか連れて行くよ。皆に私の妻を紹介しよう」

「ええ……っ、そんな、人の子が行ってもよい場所なのですか」

「嫌がる者はいないよ。皆、人のことには興味津々だ」


 人と人ならざる者たちとの関係が途切れてしまってからは余計に、人の世のことは大きな関心ごとのひとつであるらしい。龍や妖精などの神秘に対してどうしても身を縮こめてしまう人間は多いが、人間が思っているよりも彼らは無邪気で穏やかだとフェイは思った。


「ほら、そろそろ焼けた。食べなさい」

「ありがとうございます」


 簡単に塩をふっただけの焼き魚にかぶりつくなんて経験はなかったが、物語で読んだことがあったフェイは少し憧れていた。焼きたてのほくほくとした身が口の中で解けて、とても美味しかった。


「おいしいです」

「うん。焼き方も知っていてよかった。塩なんかの調味料は、今龍たちのなかで流行っていてね。私よりももっと人との関わりが深い奴がよく貰ってくるんだ」

「流行ってるんですか」

「皆暇を持て余しててね。豊かに暮らすようになった人間たちは食を娯楽として楽しむようになっただろう。それを真似る遊びが流行っているんだ。人の姿になるとそういう遊びができていい」

「ふふ、龍の暮らしも聞いていると楽しいですね」


 フェイは話を聞きながらころころと笑う。外の世界を知らないフェイにとっては聞いたことのない話ばかりだし、龍の流行りについてなんかは普通に暮らしている人間だって知らないだろう。

 ルイは龍たちのなかでもあまりおしゃべりなほうではないが、フェイが楽しそうに聞くものだからついもっと話して聞かせてやりたくなる。


「明日は近場を一緒に回ろうか。疲れたらまた私の背に乗るといいし、フェイが疲れない程度にゆっくり行こう」

「私も連れて行ってくださるのですか。嬉しいです」

「ああ、いいよ。新しい出会いもたくさんあるだろう」


 フェイにもっとたくさんのものを見せてあげたいと、ルイは素直に思った。突然の結婚生活はまだ始まったばかりだが、こんな風な気持ちになるとはルイも思っていなかった。


「食べ終えたら、今日は休もう。新しい場所に来てまだ疲れているだろう」

「はい、お気遣いありがとうございます」


 食事を終え寝る支度を整えると、囲炉裏の火と部屋の灯りのためのろうそくを消して、ふたりで寝台へと入る。


「おやすみ、フェイ」

「おやすみなさい、ルイ」


 *


 一方、王宮ではジンユェがひとり残されたことに苛立っていた。王宮と龍の屋敷は人の足でも一日歩けば着く距離ではあるが、複雑な山の地形を利用してその道さえ人里からは見えなくなっている。ゆえにそれを知っている者でなければ自力でたどり着けることは難しいし、そもそもその存在を知らぬものが大半だった。もちろんジンユェも存在を知らない。

 龍神に嫁入りした兄はそのとき夫とのんびりと過ごしていたのだが、城に居るジンユェたちにそれを知る術はなかった。特にフェイはジンユェに出発の日を教えなかったから、ジンユェは兄がどうなってしまったのか、自分の知らないうちにもう二度と会えない人となってしまったのか、何もわからないままだった。


「父様、いったいどういうことなのですか」

「どうも何も、伝えた通りだよ」


 痺れを切らしたジンユェは父王に直接事情を聞きに行った。しかし父は我関せずといった態度を変えずにそう返すだけだった。


「兄様は生きているんですか」

「龍神次第だな」

「……っ、父様は、兄様がいらなくなったのですか」


 王宮では、「王はフェイロン様を龍神様に生贄として差し出したのだ」と噂になっていた。使用人たちは皆賢いので王の耳に入るようなことはしないけれど、使用人たちと親しく生活する距離の近いジンユェの耳には届いてしまった。

 昔には若い女や神秘の子として『つのつき』の子どもを龍神に生贄として捧げて見返りに国を豊かにしてもらっていたなんて風習もあったようだし、絶対にないとは言い切れない。


「……我が子がいらないと思う親など、居るものか」

「ならば何故!」

「…………」


 父王はそれ以上口を聞かなかった。そこから先を話すことは、あまりにも悲しいからだ。


 父の考えがわからぬジンユェはこれ以上何か話すことはできないと判断し、「失礼します」とだけ言ってその場を後にした。


「……すまないが、文を書く。紙と筆を」

「畏まりました」


 ジンユェが去った後、王は少しうなだれた様子で側近にそう命じた。手早く用意された紙に、ひとつひとつ言葉に悩みながら文をしたためる。


 *


 苛立ちを抑えられないままジンユェはかつて兄が過ごしていた離れへと向かった。ずっとずっとそこに居たはずの部屋の主がいなくなったそこはがらんとしていて、ひどく寂しかった。


「兄様……」


 落ち込むジンユェが部屋に佇んでいるのを、部屋にやってきたミンシャが見つける。


「……っ、フェイ様?」

「えっ? ああ、ミンシャ」

「あ……申し訳ありません。部屋に人影が見えたものですから、その……つい」

「いや、紛らわしいことをしてすまない」


 部屋に人が居るのを見たミンシャは思わずフェイが帰ってきているのかと思ってしまったのだった。


「……ミンシャは、兄様をお見送りしたのだろう?」

「はい……申し訳ございません。フェイ様に、ジン様には内緒にしてくれと言われて」

「そうだったのか。いや、そうであるならば仕方がない」

「はい。最後に会えばつらくなるからと」

「……兄様は、無事なのだろうか」

「……わかりません」

「ミンシャは、つらくはないか?」

「……つらくないとは、とても言えません。けれど、別れ際フェイ様に「私のことを悲しまないで」と言われました。難しいことですが、フェイ様のお願いです。私はそれを……守らなくちゃと、思って」

「兄様もひどいことを言うものだな」


 ミンシャのか細い指が頼りなく震えている。ジンユェは胸が締め付けられるような思いだった。


「私たちは、ご無事を祈るしかないのでしょうか」

「俺たちに、できることか……」


 最悪のことを考えれば、できることを探すことさえ空しい。けれどそのままじっとしていられるはずもなかった。

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