この動画は権利者によって削除されました。

高巻 渦

この動画は権利者によって削除されました。

 現代人なら誰でも一度はアクセスしたことがある、某動画投稿サイト。

 そこに、こんなタイトルの動画がある。


『ガチでヤバい! 世界一怖い心霊映像 / The world's most very scary video』


 ご丁寧に英題まで記されたその動画は、その丁寧さのおかげか、はたまたタイトル負けしていない内容のおかげか、あるいはもっと別の理由か……現在まで約2640万回再生されている超人気動画である。オカルトやホラーといったジャンルの中では、まず間違いなくトップクラスの再生回数だろう。


 一般家庭用のハンディカムで撮られたらしいその動画時間は、1分52秒と短い。

 撮影者が廃墟となったホテルを散策中、そこに居るはずのない者が映り込む、という内容だ。問題のシーンは1分30秒から1分44秒の部分にある。

 動画の要所要所で聴こえる息遣いから男性とわかる撮影者が、長い廊下にカメラを向けたとき「それ」が姿を現わすのだ。

 廊下の奥の闇からゆっくりと現れる輪郭のぼやけた白い姿は、まさしく幽霊と呼ぶに相応しい。徐々にカメラに接近してくる幽霊の姿形がだんだんとはっきりしてくる。その何かを訴えかけるような苦痛に歪んだ表情が画面いっぱいに広がった直後「タスケテ……」というしゃがれた声が聴こえ、映像は暗転し、動画が終了する。


『今まで色んな映像見てきたけどこれは間違いなく本物』

『幽霊の表情をここまでアップで見られるのはこの動画だけ』

『撮影されている廃墟の場所が特定されてないのも不気味』

『そもそも撮影者は誰なんだ』

『この動画を見てから部屋でラップ音が聴こえるようになった……』

『怖かった人グッドして!』


 そんな口コミがインターネット上を中心に広がり、まとめブログやSNSで急速に転載、拡散された。しばらくするとその動画は、ある一つの要因からホラーというジャンルの垣根を超え、今やネットを少しかじった程度の人間なら誰もが知っているほどの一大コンテンツと化した。

 第三者の考察によって作られた人気に加えてもう一つ、この動画の知名度を上げることとなった要因。

 それは「動画の内容が時折変化する」というものだ。

 その噂がSNSで発信された当初、信じる者はごく僅かだった。しかしそれから数週間後、その映像が変化した瞬間をキャプチャーした動画が拡散されたのだ。

 比較動画が投稿されるや否や、本家動画の再生数は爆発的に増加。クリエター達はこぞって解説動画を投稿し、その動画を毎日再生してそれをキャプチャーしアップロードし直すという専用チャンネルまで作られる始末だった。努力の方向性を見誤っていると思う。


 さて、件の動画とその周囲を取り巻く噂の話はこれくらいにして、私の紹介に入ろうと思う。

 何を隠そう、私はその動画に登場する幽霊だ。いや、厳密に言えば、その動画自体に映り込んだ幽霊ではない。更に言うと、私は生前潔癖症だったため廃墟を訪れたことなんて一度もないし、当然廃墟で命を落としたわけでもない。

 私は元々しがないシステムエンジニアで、度重なる残業によって小さい会社のオフィスでパソコン画面に突っ伏して過労死した男の地縛霊なのだ。そして恐らく、死の瞬間に私の魂はパソコンの中へ吸い込まれ、電子の海を漂っているうちに、例の動画に流れ着いたのだと思う。


 私のいる場所は、パソコンが無数の信号を送り映し出す映像と、それらが映し出される液晶画面の、ちょうど狭間の世界だった。

 背後では例の廃墟を散策している動画がループ再生でひっきりなしに流れており、足元には26422186という数字が約2分毎、つまり動画が終わる度に1増えていく。四方には永遠とも思える闇、しかし背後の動画が一定の場面……1分30秒から1分44秒を映す時だけ、前方に広がる闇に光が差し込んでくる。その光はつまり、この動画を再生している誰かの端末の画面であることを意味している。真っ暗な部屋に設けられた正方形の窓のようなその光に向かって、私はゆっくりと近づいていく――「タスケテ……」と、悲痛な表情を浮かべて。

 そこで動画は終了。関連動画を続けて再生します。


 そうやって私は何千、何万回と、世界中でこの動画を観ている視聴者に助けを求めてきた。しかし誰一人として「私がこの映像に映っているわけではない」と気づく者はいない。当然と言えば当然だ。自分が視聴者だったとしても気づかないと思う。

 この映像が当初、ただ廃墟を散策するだけの動画だったことを私は知っている。動画タイトルが『廃墟へ行ってきました!』だったことも、再生数がたったの14回だったことも知っている。

 この動画をアップロードした奴、つまり撮影者は、ある日自分の動画を見直している最中に私が「居る」ことに気づき、慌てて動画のタイトルを変更したのだ。そいつは今ごろ、私のおかげで得た広告収入でそこそこ贅沢な暮らしをしていることだろう。腹が立つ。


 幽霊は疲労を覚えない。当然眠気もやってこない。しかし「諦め」という感情はまだ残っている。

 幾度となく視聴者に向けて助けを求めたが、光の向こうから聴こえてくるのは「何度見ても怖いわこの動画……」「oh my god……」などという独り言や「めっちゃ怖くね? 怖かった? よしよし……チュッチュッ」というクソみたいな声ばかりだ。おかげ様で今なら世界各国の「怖い」を正しく言える自信がある。

 足元に見える再生回数は現在28431221。私が助けを求めることができるボーナスタイムは1分30秒から1分44秒の14秒間。つまり28431221×14=398037094秒。約12年と7ヶ月無駄にしていることになる。

 そのうち「タスケテ……」と言わなかったパターンが627回。画面に向かって近寄っていかなかったパターンが482回。 やってられなさがピークに達していた時期にずっと寝転んでたパターンが535回。

 これが「動画の内容が時折変化する」という噂の真相だ。本当にくだらない。


 例えば終身刑を言い渡され、狭い独房で一生を過ごすことになったとしたらどうだろう。一週間も泣けば諦めがつくはずだ。しかし独房に入れられる直前、看守がひとこと「もしかしたら出られるかもよ」と言ったらどうだ。明日こそはと少なからず希望を持つだろう。この電脳世界に囚われた私にとって、動画の視聴者たちがその看守、すなわち希望であり、諦めることを許さない苦痛でもあった。未だにバズり倒しているこの動画と様々な端末との隙間で、私はこの身を解放してくれる者を待ち、訴えかけた。




 どこの誰かも知らない奴の動画に入り込んで、どこの誰かも知らない世界中の人間に助けを求めて、もうどれほど経っただろうか。そもそも私の死後、何日が経っただろうか。足元のカウンターはとうとう3000万の大台に乗ろうとしている。パソコンやスマートフォンが普及していない発展途上国以外の人類はもう全員私を観たんじゃないのか、だとしたらもはや詰みではないか。そんな考えも頭をよぎった。

 目の前で苦しんでる幽霊がいるというのに、人間はその霊一体助けられないのか。私はこのまま一生、この動画の中で、人間の娯楽として見世物にされ、いずれ忘れられていくのだろうか。そう考えると無性に悲しくなった。幽霊は涙を流さない。水分がないからだ。

 深い悲しみのあと、私を突き動かしたのは人間に対する激しい怒りだった。悪霊が生まれる原因を、身を以て理解した。愚かな人間共め、もしもここから出られたら、一人残らず呪い殺してやる。

 そんな決意とは裏腹に、今日も前方から漏れ出す光へ、虫のように近づいていく。私の出番が終わり、光が閉じる瞬間、私を見ていた人間のリアクションが微かに聴こえた。どうやら日本の学生が、数人で観ていたようだ。


『めっちゃ怖かった〜!』

『オレ今夜寝られないかも!』


 誇張抜きに百万回くらい聴いたありきたりな感想を、興奮気味の男子が口々に言い合っている。それを制するように、落ち着いた女子の声が続いた。


『ねえ、この動画初めて見たんだけど、おかしくない?』

『なんだよルカ、怖いこと言うなよ……』


 ルカと呼ばれた少女が続ける。


『だって、幽霊があんなに近づいて来てたのに、撮影してる人は全然怖がってなかったじゃん、おかしいよ』

『どうせ編集したんだろ! いいからコンビニでアイスでも買いに行こうぜ』


 ドタドタと数人の足音が聴こえて、光が完全に閉じる。一瞬の静寂。そしてまた光が射し込む。

 私は強く祈った、さっきと同じ、ルカという少女に繋がってくれと。

 私は光に近づいていく。


「タスケテ……」


 私のいる世界が暗転するより先に、さきほど聴いた少女の声が響いた。



 ***



「ねえ幽霊さん。あなたもしかして、本当はこの動画にいないんじゃないの?」


 一人残ったあたしが画面に向かってそう呟くと、突然部屋の電気が消えた。真っ暗になった部屋に唯一光るパソコンが、ガタガタと音を立てて揺れ始める。その画面に激しいノイズが混じった瞬間、部屋に光が戻った。

 あたしの前に、輪郭のぼやけた痩せ型の人が立っていた。それはさっき観た動画に映っていた幽霊に間違いなかったけれど、怖くはなかった。

 なぜなら彼の表情は、動画で観た表情とは違う、感激に満ちた泣き顔をしていたから。

 彼はあたしに、鼻声で言った。


「おわかりいただけただろうか」

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