第29話 三人の探索者

 テレビの明かりだけが室内を照らしていた。


 とあるマンションの一室で、ソファにうつ伏せになりながら、彼女は夢中でテレビ番組に出演する一人の男を見つめていた。黒とグレーの混ざり合った髪をボブカットにしており、服装は全てが黒と白で統一されている。


 彼女は普段は探索者であり、大学生でもあった。有名な探索者パーティーに在籍しているものの、あまり満足はしていない。なぜなら彼女の夢は、テレビ画面の中にいる彼と同じ場所に立つことだから。


「はああ……こう君、今日も素敵」


 モニターに表示されている男は、彼女と同じ探索者だ。しかし彼は知名度においても実力においても、遥かに高みにいることは間違いなかった。


(こう君……うちのこと覚えてるかな。……ううん、きっと覚えてるはず)


 国内探索者ランキングでトップを維持し続けている男、その名を神居光雅かむいこうがという。銀色の髪と紫色の瞳は神秘的な雰囲気が漂い、会う者に幻想的とさえ思わせるルックスの持ち主だ。


 白いジャケットがこれ以上ないほど似合っていて、彼がインタビューで微笑を浮かべるたびに、彼女は自分とデートをしているといった妄想を脳内で掻き立ててしまう。


 しかし、彼女には彼の機嫌が読めており、今日は少々気の毒にさえ感じていた。過去に神居がインタビューを受けている映像は全て目を通しているが、今日受けている質問の数々は、前にも答えたものばかりだった。


「こう君かわいそう。クッソうざい質問ばっかりされてる」


 テレビ局に苦情の鬼電でも入れるか、と彼女は本気で考え始めていた。そのくらい彼のことになると親身になってしまうのである。


『では神居さんは、亡きお父様の意思を継いで探索活動を続けている、ということなのですね』

『はい。父は憧れであり目標でした。あの人の背中を追いかけてきたし、今も追いかけている最中です。僕自身が人生を終えた時、父に叱られることのないよう、今もこれからも精進していくつもりです』

『素晴らしいですね! 神居さんにとって、ダンジョン探索とはなんですか』


 恐らくこれが最後の質問になるのだろう。神居は淡々と笑顔で応えているが、相当に退屈しているに違いない。彼女は本当に些細な表情の変化まで見逃さない。


「はあ? なんなのこの女。ちゃんとリサーチしてんの。今まで散々答えてるじゃん」


 アナウンサーに苛立ちを隠せなかった。しかし、彼女はそれでも神居が微笑を浮かべると、怒りが吹っ飛んで思わずその顔に魅入ってしまう。


『僕にとって全てです。生き甲斐、運命、そういった言葉では言い表せないくらい、今の仕事が好きです。これで答えになっていますか』

「あああ……こう君」


 脳内で自分へ愛を囁いている姿へと変換し、彼女の切長の瞳は緩みっぱなしだ。


『ありがとうございます! はい、とても素晴らしいお答えを聞くことができました。。そういえば少し話は変わるのですが、ダンジョンライバーズで放送事故があったのをご存知でしょうか』

『ええ、知っていますよ。ヒメノンさんですね』


 この時、神居の瞳が明らかに変わったのを、彼女は見逃さなかった。甘美な妄想は消え去り、だらしなくソファに預けていた上体を起こす。


『僕としても、彼女のような存在がいたことに驚いています。あれだけの魔力を持っているということは、探索者としてかなり上位にいる可能性があります。ただ、ランキングには入っていなかっただけで』

『神居さんもかなり注目されているということでしょうか』

『はい。今後がとても楽しみですね』

「こう君……?」


 ほぼ全ての視聴者は気づかなかった。しかし、彼女は明確に紫に染まった瞳の瞳孔が大きく開かれていることを知り、只事ではない嫌な予感に襲われた。


「ヒメノンって……たしか……」


 最近しょっちゅうトレンドに上がっており、切り抜き映像が毎日のようにSNSに出回っている。当然彼女も知っていたのだが、肝心なのは神居すら注目していたという事実だった。


「あ! こ、こう君!」


 戸惑っていた数秒の間に、神居のインタビュータイムは終了し、彼は番組からもその姿を消していた。最後のお別れの姿を見れなかった悲しみが加わり、いよいよ平気ではいられない。


 途端に湧き上がってくる強烈な何かが、嫉妬の炎に変わるまで数分とかからなかった。彼女は立ち上がり、ここ最近騒がれ続けていた少女のことを全力で調べ始める。


 パソコンやスマホをフル回転させ、まだ見ぬ探索者の素性を洗い出すことに必死になる。パソコンとスマホの灯りが、狂気とすら呼べる怒りを纏った姿をぼんやりと照らした。


「なにこいつ」


 しばらくして、彼女はスマートフォンの電話帳をタップし、通話ボタンをプッシュ。相手は三コールほどで電話に出ていた。


「私だけど。あのさぁ、この前言ってた人いるじゃん。なんだっけ? まどかと一緒に事務所の番組出ててー、さっきもテレビ出てたんだよね。あ、あーそいつそいつ。そいつの話? ちょっと聞いてみようかなって思っただけ。まああんま興味ないけど。アンタがどうしても話したいって言ってたしさ」


 徐々に理不尽な嫉妬が膨らんでいく。


 彼女の名前は嵐山珠理亜あらしやまじゅりあ。神居光雅への愛だけで探索者ランキング十五位まで上り詰め、彼への妄想だけで生きる探索者である。


 ◇


「うわあああああ!」


 とある工事現場で、数人の若い男が地面に倒れて苦しそうに呻いていた。


「あああ! 腹立つなぁ! なんでこうムカつくんだろうなぁ!」


 最後の一人を殴った後、男は収まることのない破壊衝動を持て余していた。刺々しく立っている髪は赤一色となっていて、口には髭を蓄えている。黒いタンクトップ姿からはそれなりの筋肉が垣間見えた。


「こんだけ喧嘩してんのに、なんで俺のイラつきは収まらねえんだ!? おい、聞いてんのかお前!」

「は、はい! すいませんでした!」

「そうじゃねえよバカ!」


 既に戦意を喪失したチンピラ一人の胸ぐらを掴み、男は溜まったストレスを発散しようとする。肩がぶつかったことで発生した一人対大勢の喧嘩だったのだが、意外にも一人が圧勝してしまった。そのせいか、彼を見る敗者の目は怯える草食動物のようだ。


「ダンジョンで探索しまくってんのによぉ、なんで俺とは誰もパーティ組んでくれねえんだよ。お陰で深いところまで潜れねえじゃねえか、ええおい!」

「は、はい!」

「クソが! どいつもこいつも俺を腫物扱いしてやがる。まるで癌みたいに思ってやがる。理不尽だよなぁ、なあ!? 俺は頑張ってるんだって。なんでその結果こんなに嫌われてんだ?」

「ど、どうしてでしょうね」

「それが分からねえーんだよぉおお!」

「ヒィイ!?」


 爆発しかけた暴力が、チンピラに最後のトドメを刺そうとしていた時、ズボンのポケットに入れていたスマートフォンが鳴り響いた。


「ん?」


 最近知り合った奴からだ、と気づいた彼はすぐに通話ボタンをタップした。


「おう! 久しぶりじゃねえか。……なに!? 俺に仕事の用がある?」


 途端に男の顔から憎悪が消え去り、気づけばただ真剣な顔つきへと変わっていた。既に眼前にいた喧嘩相手のことなど意識から消え去り、掴んでいた胸ぐらを離すと、通話をしながら街の喧騒へと消えていく。


 男はダンジョン探索において、その異常なまでの暴力性から嫌われ孤立していた存在。ただ一人狂ったように武器を振り回し、時には探索者の脅威となってしまうその姿は、まさに狂人そのもの。


 男の名前は白刃はくじん丈一郎じょういちろう。ダンジョン探索界隈において、バーサーカーの異名を持つ怪物である。


 ◇


「鉄男君、もうちょっとしっかりしてくれないと本当に困るんだけど」

「……はい」


 時を同じくして、夜のとあるオフィスでは、一人の男が延々と説教を受けていた。


「声が小さい! だから、なんであんな事言ったのって聞いてるの」

「すみません」

「すみませんじゃないでしょ!」


 男はスーツの上からでも分かるほどの筋肉と、大抵の人は見上げてしまうほどの長身だった。短く刈り上げた髪と誠実そうな顔をしている男は、ひたすらに弱気な姿勢で頭を下げ続けている。


 彼はつい先日、電話営業の仕事を始めたばかりである。しかしあまりにも営業成績が悪く、時として契約しかけていた案件を完全に破壊してしまうこともあった。


「鉄男さん、どうして毎日失敗ばかりしてるの! 焦っちゃうの? なんで?」

「すみません」

「だからそうじゃないって! ふざけてるの!?」


 これならクビになるのもそう遠くはない。しかし、周囲の不満や哀れみの視線と、彼の胸中には大きな違いがあった。


(ああ……なんて気持ちいい瞬間なんだろう。こんなに美人の上司が、無能な部下をこれでもかと罵る。ああ、幸せとはきっと、こういうものなんだな)


 男は反省している素振りの裏で、責め立てられる幸福を感じていた。


「もういい! 仕事戻って」

「え」


 しかし、甘美な時間はすぐに終了を告げた。このままではハラスメントと判断されかねないと、彼女は怒りをグッと堪えてその場を去ったのだ。


(幸せなんだけど、ちょっと物足りない)


 そう思い肩を落としていると、不意にスマートフォンが振動した。


『明日夜七時、池袋集合』

『え、あの、珠理亜さー、』


 答える暇も与えられず通話を切られた。しかし、彼にとってはむしろ嬉しいことであった。


 男の名前は天空鉄男てんくうてつお。防御の要として活躍し、探索者としては非常に有能なドM。ちなみにドMであることのほうが有名であった。

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