第2話 有名配信者とストーカー

 狭く入り組んだ通路を、息を切らしながら走り続けている女がいた。


 身長は百七十センチはゆうに超えていて、紫の長髪と切長の瞳が美しい。ライダースーツに近い形状の、ダンジョン用スーツをいうものを着用しており、それがさらに彼女のスタイルを引き立てている。


 彼女の名前は円丈まどか。

 昔から配信界隈では有名であり、今もなお最前線にいるダンジョン実況者だ。


 だが、そんな彼女が顔を青くして逃げ出すほどに、相手はとんでもない化け物であった。


「ちょっとおおおお!? なんでここにあんなバケモンが出てくんの!? やばい! やばいやばいやばい!」


 ただならぬ様子に、ファン達も配信を観ながら焦っていた。彼女と一緒に配信用ドローンが猛スピードで逃げ続けている。ドローンが彼女の背後を映すと、そう遠くない距離に奴はいた。


 その巨体は象よりも遥かに大きく、ぱっと見はトカゲのようにも見える。しかし、角や牙がやけに大きく、全身を包む鱗が虹色に輝いている。


 モンスター図鑑ではドラゴン・ストーカーという名前で記録されている、危険度SS級のドラゴンであった。


 巨体のわりに身軽かつ俊敏で、器用に狭い通路を進んでは、必死に逃げるまどかに食らいつこうとする。そして一度狙った獲物は、絶対に逃さない執念深さが何よりも脅威である。


:あ、姉さーーーん!

:逃げて逃げて! マジやばいって

:こんなのどうしろってんだよ

:警察に通報しよう!

:助けなきゃ

:通報しても無理だろ!

:このままじゃマジで殺されるぞ

:助けてもらうしかないよ

:逃げて


 同接はなんと二十万に達していた。しかし、この配信は過去一凄惨なものになるかもしれないという恐怖が、視聴者達のコメントに表れている。


 まどかは自らにバフ魔法をかけ、スピードを上げて逃げ続けている。人間離れした脚力は、馬や熊よりもずっと速い。だが、時おり追いつかれる寸前となってしまう。


 何度も噛みつかれそうになったが、彼女は危機一髪のところでかわし続け、ようやくほんの僅かに距離が空いた。


「チャンス! チャンスうううう!」


 突き当たりを猛スピードで曲がったところで、やや広い通路に出た。ここで彼女は早口で詠唱を開始する。ほんの数秒程度で準備を終えると、すぐに背後を振り向いた。ドローンも彼女と一緒に振り向くと、ほんの一秒遅れでドラゴンがやってくる。


「喰らえよ化け物ぉおおお!」


 振り向きざま、彼女は両掌を巨大な厄災に向けて突き出した。瞬間、ドラゴンの額付近に強烈な爆発が巻き起こった。


:きたああああああ!

:お、おいおい

:ここで大丈夫か!?

:フレアーーーー!

:炎上フレアだ!

:これで勝った!

:ダンジョンは通常の建物よりずっと頑丈だから多少は問題ない

:でも自分もやばいんじゃ

:大丈夫! 姉さんはちゃんと考えてる。考えてるよな?


「オラぁあああああ!」


 ろくに考えてはいない。彼女のフレアは、他の術者が使用する爆発魔法よりも過剰な威力を誇り、かつ連続で使用することが可能であった。


 ここぞとばかりに連発し続ける。残りの魔力量など考えている場合ではない。


:撃ちすぎじゃね?

:もう死んだでしょさすがに

:姉さーーーん!

:姉さん落ち着いて

:また炎上しちゃうよ

:ダンジョン壊れるってw

:やったか!?


「やったか、とかフラグ立てないでよ。って、やってねえええええ!」


 爆風を吹き飛ばすように、無傷のドラゴンが雄叫びを上げながら突っ込んでくる。なおも逃げるまどかだったが、すでに距離は3メートルほどまで接近されていた。


 そしてなおも突き当たりを曲がった時、勢いあまったドラゴンの顔が彼女の背中にぶつかってしまう。


「ああ!」


 想像以上の衝撃によって吹き飛ばされ、行き止まりの壁に衝突した。ほぼ全身を打ちつけられ、そのまま地面に落下すると、すでにドラゴンは目前だった。


「あ、あたしが……こんな所で……」


 息をすることも満足にできなかった。この状態では得意の魔法も使用することは不可能。うつ伏せになった彼女は、いよいよドラゴンが涎を垂らしながら大口を開けて接近するのを許す以外になかった。


:姉さんがやばい

:マジ殺れるって

:誰か助けてくれよ

:お姉ちゃん!

:死なないで

:ドラゴン許せない

:姉さん死じゃうの

:まどかー!

:誰かマジで助けてくれ

:このドラゴン許せねえ

:死ぬな!

:通報してけどまだかよ

:本当に殺される


 ドラゴンがいやらしい顔で笑ったような気がした。そしてついに大きく開かれた口に生えた牙が、まどかを噛み砕こうと迫り——、


「——! …………?」


 瞳を閉じて歯を食いしばるも、何も起こる気配がない。顔を引き攣らせつつも瞳を開けると、そこには確かにドラゴンの牙があった。すぐ目前だ。


 しかし、それはギリギリで届いておらず、何度も口を閉じては開いてを繰り返している。


 ドラゴンは意味不明なほどバタバタと足を動かしながら、なんとか進もうとしているが、一ミリも彼女に近づけないようだった。


「え!? え? な、な、なんなの? なに?」


 戸惑う彼女をよそに、少しずつドラゴンの巨体が後退していく。だが、それはドラゴン自身の意志ではない。


「え、引っ張られてんの?」

「グゥウウ! ウウウウ」


 ドラゴンは背後を振り向き、なにかぎょっとしたようだった。表情が分からないが、なんとなくまどかには感情が伝わったのだ。そして必死になって前足で踏み止まろうとする。


「グ、グルァーーーーーーー!?」


 だが、ドラゴンの抵抗に効果はなかった。数秒の後、急激な速度で吸い込まれるように巨体が引かれていく。哀れな叫び声を上げながら、ダンジョンの闇の中へと消えていくSS級のモンスター。


 まどかは突然の変化に戸惑い、その場を動けずにいた。

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