第30話 我が敵は一つのみにあらず

 夜は明け始め、街では宿に料理の材料を運ぶ荷馬車や、酒屋から酒瓶を回収する荷車など、朝早く仕事をする者の姿がぽつぽつと見られた。

 ラティラス達は、逃げ込んだ建物と建物の間で息を整えていた。

「なんとかまいたようですね。人が起き出してきたらそれにまぎれてこの街を出ましょう」

「まったく、お前といると本当に犯罪者になった気分だよ!」

「でも、ワタシがいないとここまでケラス・オルニスの事は分からなかったでしょう?」

 否定の言葉が返ってこないところ、一応それを認めてくれているようだ。

「それにしてもうまく行って良かったですよ」

 ふうっとラティラスは溜息をついた。

「実は、少しビクビクしていたんですよ、ケラス・オルニスが襲ってくるんじゃないかと。ワタシ達が賊の名前に気づけば当然ここに調べにくることぐらい想像つくでしょうから……」

「やめろ、そういう事を言うもんじゃない。『噂をすれば影』という言葉を知らんのか」

「まさか! そんなの迷信……」

 何か視線を感じた気がして、ラティラスはその方に目を向けた。

 ルイドバードのすぐ後ろ、何かが動いた気がした。

 建物の角から濃い茶色の袖がのぞいている。浅黒く、頑丈そうなその腕は刃を握っていた。

「ルイドバード!」

 警告するまでもなく、ルイドバードは気づいていたらしい。剣を抜いて、ひらめいた白刃を弾いた。

 物陰から三人の男が現れた。

「ケラス・オルニス?!」

 ラティラスが僧服に隠していた短剣を抜く。

だがラティラスはすぐに自分の言った言葉が間違いだと気付いた。

姫をさらわれた時も、娼館で襲われたときも、ケラス・オルニスは闇に溶け込む黒い服を着ていた。だがこの刺客が来ている服は、普通の町人の姿をしているし、顔も隠していない。

 一人がラティラスに斬りかかってきた。

 なんとか短剣で軌道を逸らせたが、切っ先が右肩をかすめた。刃を受けた勢いで短剣が弾き飛ばされる。

しびれるような痛みが走った。

「すまない、ラティラス」

 こちらも剣を抜き、刺客と対峙しながらルイドバードがなぜか謝ってきた。

「どうやらこいつらの狙いは私のようだ。おそらく愚弟ロルオンの刺客だろう。私がなかなかしぶといので、しびれを切らしたようだ」

 そういえば、ルイドバードは王から『リティシア姫を自分一人の力で助け出すこと、行方不明事件の原因を突き止めること』を王位継承の条件にされているのだった。弟王子のロルオンが、試練のどさくさにまぎれてライバルを殺そうとしても不思議ではない。

 道とも言えない、こんな狭いところではろくに動くこともできない。かと言って、後ろに逃げれば余計道が細くなりそうだ。本能的に退(しりぞ)きたくなる所を、ラティラスはあえて突き進んで刺客の横を走り抜ける。

 追ってきたのは一人だけで、ルイドバードは二人を相手しないといけないことになる。心配だが、こっちには助ける技術も余裕もない。自分の命を守るだけで精一杯だ。姫も助けていないのに、別件で口を封じられてはたまらない。

「くっ……」

 通りに出て、走り続ける。通りすがりの者が、朝っぱらからの追いかけっこに驚いた視線をむけた。

 少し振り返ってみる。暗殺者の姿はすぐ傍にあった。速い。短剣はさっき石畳に放りだしてしまったままだ。このままではすぐに追い付かれ、背中に剣を突き立てられてしまうだろう。

 走りながら路上に置かれた、木箱の蓋につけられた金属製の取っ手を握る。盾にしては貧弱だが、ないよりはました。

 すぐ後で刺客の足音がした。

 振り返って短剣を受ける。刃が木に喰い込み、軋んだような音を立てる。刃が板を貫き、頬に切っ先が触れようとする。さっき受けた肩の傷からたれた血が右手を濡らし、把手を握る手がベタついた。

  じりじりと追い詰められて、民家の戸口に背中を押しつけられる。安い扉は音をたてて揺れた。

頭の後で、扉ごしに煮炊きをする気配と「何だい?」と怯えたような婦人の声がした。かすかにたまねぎの匂い。 

 ラティラスは、ニッと笑みを浮かべた。

 フタの把手を握り締め、渾身(こんしん)の力を込めて敵を思い切り押し退けた。

 刺客は後によろめく。充分な間合いができたとふんで、ラティラスは懐から油の入ったビンを取り出した。修道院の仕掛けに使った物の残り。

 それを敵の足元に思い切り叩きつける。

 油が飛び散って、刺客の足元を汚した。

 得体の知れない液体を浴び、刺客はわずかにひるんだようだった。

 ラティラスはさっき押しつけられていた扉に向かった。

 扉はいつの間にか薄く開かれ、太った中年女性がおそるおそる外の様子をうかがっていた。彼女が走ってくるラティラスに気づき扉を閉めるより先に、道化の手がドアノブをつかんだ。

「ちょっと失礼いたしますよ! いい匂いですね。今朝はオニオンスープですか?」

 ラティラスは女性を押し退けるようにして裏口から台所へ入り込んだ。朝食の準備中だったようで、釜戸には薪(まき)がくべられて暖かく燃えている。ナベには作りかけのスープが湯気をたてていた。

「ちょ、ちょっと!」

 非難の声をあげるおばさんを無視して、ラティラスは釜戸から火のついた薪を一本つかみ取ると、再び外へむかう。なるべくこの不運なおばさんに迷惑をかけたくない。

扉を開けると今まさに後を追って家に入って来ようとした賊とぶつかりそうになった。

 どうやら敵は液体が危ない物ではないと判断して、ラティラスに止めを刺すことにしたようだ。

 その姿を見て、ラティラスは再びにニタリと邪悪な笑みを浮かべる。

 薪が弧を描いて敵の足元へぽいと落とされた。

「これを投げるくらいなら、傷ついた腕でもできますよ!」

 心臓がほんの数拍する間に、火は男の膝まで燃え上がる。それを消そうと足をバタつかせる男はなんだか斬新な踊りを踊っているようだった。

「うあああ!」

「大丈夫、明かり用の安い油です。人体一つ燃えつきさせる力はありませんよ!」

 近くにあった麺棒で、思い切り後頭部をぶん殴る。やりすぎのような気もしたが、相手は暗殺者で、こっちは丸腰だ。

 男は煙をあげたままばったりと石畳に倒れた。手から離れたナイフがカラカラと地面をすべる。ラティラスはすかさずそれを拾い上げた。

「ちょっと、水、水!」

 女性が桶に入った水を男にぶっかけた。水蒸気をあげて火が消える。

 男はまだ気を失ったままだ。

 もし倒したのがケラス・オルニスのメンバーだったら、拷問してでも姫の情報を聞き出す所だが、兄弟喧嘩(げんか)の駒では意味がない。

「多分、そいつはまだ生きてます。ごたごたに巻き込まれないように、外に転がしておいた方がいいですよ!」

そう彼女に言い残して、ラティラスはルイドバードの方へ向かっていった。

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