第29話 神の家侵す者は4

「そしてその一族が使っていたのが角二本の小鳥の紋章……それにしてもイディル島というのが何度か出て来るな? 聖地か何かか」

「ええ、確かにロアーディアルの領地ではあるはずですが、そこまで重要な土地では。そういえば、神殿などはありませんねえ。神話を考えれば、聖地として称えられていてもいいんですが……むしろ悪魔が住んでいるとかいい伝承は……」

 不意にルイドバードが鋭く息を吸い込む音が聞こえ、ラティラスは本に落としていた目を上げた。

 ルイドバードの緑の目は、戸口の方にむけられている。

ラティラスも視線を移した。

扉の横で縛られている修道士二人は、もがくのをやめてじっとしている。なんだかその落ち着いた様子が気に入らない。もう逃げるのをあきらめているような、でなければ、助けが来る事が分かっているような。

 扉からのぞく外に人の気配を感じ、ラティラスは息をのんだ。

「囲まれてる! くそ、夢中になっていて気づかなかった」

 二人は外に飛び出した。

 うっすらと白み始めた空の下、黒っぽい僧服に囲まれるのはどこかおかしな夢のようだった。

 修道士達は武器こそ持っていなかった者の、院の平和を乱した侵入者二人にいい感情を持っていない事は伝わってきた。

「ルイドバード、あのくらいの人数だったらなんとかなるでしょう? たたんじゃってください!」

「人をガラの悪い用心棒か傭兵みたいに言うんじゃない! 神に仕える身を叩きのめすなんてできるか! あの二人を縛ったのだって後ろめたいんだぞ!」

 ちっと舌打ちしたくなるのを、ラティラスはこらえた。

「あなたの正体をさらせば、ゆるしてもらえるのでは?」

「トルバドの王子がロアーディアルの秘密書類が保存されている場所にいたなんて、ばれたら国際問題になるだろうが!」

 二人はひそひそと話し合った。

「何を話しているのですか?」

 年老いた男が声をかけていた。たしか他の修道士からエサマルと呼ばれていた者。

「あの火事騒ぎはあなた方の仕業ですか。ここの僧服を着ているが、見ない顔だ」

 その穏やかな口調にラティラスは少し安心する。相手は神に仕える身だ。手荒な事はしないに違いない。うまくごまかせば逃げだす事ができるかも知れない。

「実は、私どもは商人の息子なのです」

 抵抗の意志はないという証拠に、ラティラスは両手を挙げてみせた。ルイドバードもそれにならう。

「幸い、毎日の食事に困るほどではありませんし、字も計算も知っています。しかし充分な本を買うほどの余裕はなく、かといって知りたいという欲は限りなく。ここに忍び込めば勉強になる本があるのではないかと」

「ほう……」

 エサマルは、値踏みするようにじろじろと二人を眺めまわした。

「商人の……? いや、どうやらあなたは嘘をついているようだ。あなた方は商人にしては手がキレイすぎる。商人の手というのは、帳簿を書くのでインクで汚れている物です。背の高い方(かた)は手に剣を持つ者のタコがある。軍人、いや、剣を趣味にする貴族のご子息かな」

 かなり近い所を突かれて焦ったのか、ルイドバードのこめかみから汗がたれている。

「これが貧しさから食べ物や金目の物を盗みに来たのなら、力添えもできただろうが、この記録書物館を狙ってきたとなると話は別だ。見逃してやる事はできない」

 修道士達が一気に殺気立った。

 こうなってしまったらもう逃げるしかない。

 侵入者をつかまえようと伸ばされた手を払いのけ、ラティラス達は走りだした。

修道院は壁でぐるりと囲まれている。門にはすでに先回りされているかも知れない。忍び込む時に使ったロープがまだ壁に残っているはずで、そこに向かった方がいいだろう。

 幸い、修道士達は無理をしてまでこちらを捕まえる気はないようだが、それでも確実に追って来る。

 ようやく壁にぶらさがっている縄に辿り着いた。ラティラスはロープを使い、壁の上へとはい上がる。ラティラスの手を借り、ルイドバードも壁の上へよじ登る。

 下の通りへ飛び降りようとして、二人は固まった。

 治安部隊の兵が通りにずらりと並んでいる。いつの間にか修道士が呼んでいたものらしい。

 治安部隊の者達は、こちらを見上げ不敵に笑ってみせた。

「なるほど。無理して捕まえようと思っていなかったのは、この人達を頼りにしていたわけですね」

一瞬院に戻ろうかとも思ったが、そんなことをしでも追い詰められるだけだ。

 僧服に隠していた短剣を抜くと、覚悟を決めてラティラスが壁の下に飛び降りた。

「捕えよ!」

 兵の誰かが叫ぶ。

 両足に石畳の感覚を感じた瞬間、ラティラスは駆けだした。長い修道士の袖を誰かがつかむ。何とか振り払うが、今度は何者かに足払いを喰らわされる。

「くっ!」

 倒れた格好から上体を起こし、ラティラスはめちゃくちゃに短剣を振った。

刃の届かない死角から何本もの手に体をつかまれ、石畳に押さえ付けられた。

「今だ、押さえ込め!」

 二人か三人か、兵が倒れたラティラスの背中に覆いかぶさる。

もがいてみた物の、体重を振り払うどころかろくに動くことができない。頬に小石がめりこむ。胸が押さえ付けられ、呼吸ができない。

ルイドバードが石畳に着地する靴音が響いた。

修道院のローブをひるがえし、ラティラスを押さえ込んでいる兵達に切り掛かった。兵達はラティラスから離れ、ルイドバードと距離を取る。餌に群がっていた犬が追い散らされたようだった。 

「うかうかするな! 行くぞ!」

 ルイドバードが立ち上がったラティラスに手で合図をする。

 ラティラスはルイドバードに駆け寄った。

 二人は石畳に足音を響かせ、走り始めた。

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