第12話 王族の誇りより一人の道化を選ぶとは 

 眠っているのか、半分気を失っているのか、リティシア自身にも自分の状況がわからなかった。ただ、ぼんやりとした頭の中で、母が亡くなったときの記憶がめぐっていた。

 母の棺を見送ったあと、リティシアは部屋の隅にうずくまっていた。まだ小さかったリティシアには、しゃがみこむとテーブルの足もイスの足も不思議な林のように見えた。ぼんやりと床に並んだ、丸みを帯びたひし形模様をぼんやりと見つめる。

これからは母親に会えないという事実を、どう捕えていいか分からなかった。運ばれていった棺も、閉じられた墓所の扉も、まるですべてが夢のようで、本当に起きていることには思えなかった。

「ひい様」

 いつの間にかやってきたラティラスがその隣に座り込む。触れ合った肩が暖かかった。

 その時は誰とも顔を合わせたくない気分で、リティシアは立ち上がるとすたすたと部屋の反対側へ歩いていった。そしてまた座り込む。

 ラティラスは、しつこくリティシアの隣へやってきてさっきと同じように座り込んだ。

「なんなのよ、もう!」

 リティシアは、ラティラスの肩をぐいっと突き放した。だが、また彼はひっついてきた。

「泣かないでください、ひい様」

 その時、涙は流していなかったはずだ。けれど、ラティラスは「泣かないで」といった。それでリティシアは初めて自分が悲しんでいることに気がついた。ただ、痛みがひどすぎると傷口がマヒするように、悲しみが深すぎてかえってそれに気付かなかっただけ。

 もう母様とは会えない。話をすることも、笑い合うこともできない。でも、それを受け入れなければ。

 今頃になって涙がこぼれ落ちてきた。

「ワタシがここに来たとき、ひい様はずっといっしょにいてくれました」

 雪に埋もれるように倒れていたラティラスが、城の部屋に運び込まれたとき、リティシアはよく様子をのぞきにいっていた。物珍しかったのもあるけれど、一人ぼっちになってしまった男の子をかわいそうに思ったからだ。

もちろん文字通りずっとというわけではないけれど、夢と現(うつつ)の間を行ったり来たりしていたラティラスには、目が覚めるといつもリティシアがいるように思えたのかも知れない。

「だから、今度はワタシがいっしょにいます」

 ラティラスは穏やかに微笑んだ。『だから悲しまないでください』というように。

 リティシアはラティラスに手をのばした。

「本当に、ずっといっしょにいてくれる?」

 応えの変わりにラティラスは手の甲にキスをしてくれた。


 何か嫌な音を聞いた気がして、リティシアの意識は現実に引き戻された。脳裏に流れていた過去の夢もあっさりと消えうせる。

リティシアはぐったりと背もたれにもたれかかった。少し、頭がフラフラする。

 血と埃で汚れたウエディングドレスは脱ぎ、与えられた袖のないワンピースに着替えている。質素なワンピースはこの季節に肌寒く、たぶん鏡をみたら唇が青くなっているだろう。

あれから、縄がほどかれるのは着替えや食事など必要なときだけで、逃げ出すスキはなかった。もっともこの部屋から逃げ出したところで、廊下や玄関に見張りがいるのは間違いないだろう。そいつらの間をかいくぐり、逃げ切る自信はなかった。おとなしくされるがままなのはシャクだったが、今無駄に暴れても利はないだろう。

 不思議なのは、相手が最低限の人権を確保してくれている事だ。始めは犯され殺されるのかと思ったのだが、殴られることすらなく、着替えや用足しのときは一人にさえしてくれた。ただ……

 廊下を歩く足音に、リティシアは身を硬くした。

 軋みを上げて扉が開く。

 現われたのは、貴族風の恰好をした、初めて見る男。ツンツンとした金髪とワシ鼻が、どこか鳥を思わせた。細身の体で、武人系よりも文人系だとリティシアは踏んだ。

「お初にお目にかかります、リティシア姫。おいでいただき、光栄です」

 鳥男は言った。神経質そうなしゃべり方だ。

「私はフィダールと申します。本当はもっと早くにご挨拶に伺いたかったのですが、遅くなりました。以後お見知りおきを」

 フィダールというらしい鳥男を、リティシアは睨みつけた。

「剣を使って客人を招待し、イスに縛り付けてもてなすのがお前らの流儀か? この縄を解け」

「申し訳ありません。今のところそれはできかねます。あなた様は今とても興奮していらっしゃる。何をされるかわかりませんからな」

(その通りだ。もしこの縄をほどいたら、お前の喉笛に噛みついてやる)

 自分が犬だったら牙を剥出し、うなり声を上げているだろう。

(まあいい。城は当然私がいなくなっているのに気がついているはずだ。いずれ近衛兵が、でなければベイナーが助けてくれるだろう)

 ベイナーがどんな仕事をしているか、父である王は教えてくれなかった。だが、リティシアは自分の師匠の正体を、他の兵や大臣達から漏れ聞いた話で見抜いていた。

 潜入と人質の解放は彼の得意とする所らしい。

「そうそう、リティシア様に贈り物があります」

 そう言ってフィダールはリティシアの膝に何かを放り投げた。

 それは、小指の半分ほどしかない髪の束だった。

「誰の物だか分かりますか、リティシア姫」

 胸を鎚(つち)で殴られたように鼓動が一拍高鳴った。

 そうだ。これはベイナーの髪の色だ。そしてこの男がそんな物を持っている理由は一つしかない。

 ベイナーは殺された。こいつらに。

 泣くな。王族たるものが、敵の前でそんなみっともないマネをするな。リティシアは自分にそう言い聞かせた。

 こいつがこれを見せたのだって、頼みの綱が切れたのを見せつけて逆らう気力をなくすつもりだ。術中にはまるな。握り締めた手が震える。

 ラティラス。こんなときになぜ傍にいてくれない? ずっといっしょと誓った癖に。

「それから、あなたの道化師は、私達の客人になっています」

「……」

 リティシアは唇を閉じたまま何も言わなかった。ベイナーの事もあり、一言でも発すれば涙をこぼしてしまいそうだった。それに、ラティラスが敵の手に落ちた証拠は何もない。

「これを」

 鳥男が取り出した物を見て、リティシアは思わず立ち上がりかけた。しかし、縄に縛られた状況ではそれもできず、イスをガタつかせただけで終わる。

 フィダールの手の平に載っているのは陶器でできたペンダント。ラティラスが大切にしていたお守りだった。

『父は器用で、色々なオモチャを作ってくれました』

 ラティラスが城に来てまだ何年も経っていないときに、彼はこっそりとその宝物を見せてくれた。 

『でも、ずっと旅をしていたから。持っていられたのはこれだけ……』

 大量生産された物ではなく、ラティラスの父親が作ってくれた物と聞いているから他の物ではありえない。

 細い鎖は切れていて、無理に持ち主から奪われたことを暗示していた。

「……宴会でもするのか? 道化などさらってどうする」

「ええ。あなたがおとなしくしていれば問題ないのですが」

 微妙に『おとなしく』の部分に力を入れられていて、リティシアは相手が何を言いたいのかを理解した。

 つまり、逃げようとしたらラティラスを殺すという威(おど)しか。

 本人を見ていないから嘘の可能性はあるけれど、こう言われてしまっては動きが取れない。

「ハッ!」

 できるかぎり小馬鹿にしたように、リティシアは鼻を鳴らした。

「人質にでもしたつもりか? なぜこの王族の私が、たかが道化の生き死にを気にしなければならない?」

「そうやって人質に価値がないと思わせれば、解放するとでも思いましたか? 意外と愚かですね。価値が無い人質は、普通解放されるどころか口封じで殺されます」

 考えをあっさりと読まれ、リティシアは唇を噛んだ。

「くれぐれも、自死など考えませんように。道化に殉死させるのはかわいそうですから」

つまり、誇りを守るための自害も許してはくれないようだ。もっとも、こいつらに一矢報いない限り、死ぬつもりはないが。

 フィダールはポケットから小さなナイフを取り出した。そしてリティシアを縛り付けているロープを切った。

 そしてお守りを振り子のように振って見せる。

「もうこのロープは必要ないでしょう。この切れたペンダントの鎖の方があなたをよく縛り付けてくれるでしょうからな」

 外から、男の声がした。

「フィダール様。こちらにおいでですか」

「ベルフとフェシーか。入れ」

 扉を開けて入ってきた男の後には、白い布をかけたワゴンを押した女。リティシアがここにさらわれてから初めにあった男女だった。名前の響きから、男の方がアレイルで女の方がフェシーだろう。

 フィダールは入違いに外へ出ようとする。

「待て!」

 叩きつけるようなリティシアの声に、鳥男は足を止めた。

 フィダールの隣で、女はワゴンを止めた。人質と主人が何を話そうと、自分は淡々と仕事をするだけだと言うように、かけられた白い布を取る。

 銀色のナイフ。空のビン。消毒液の入ったビン。小さな漏斗。折り畳んで積み重ねてある真っ白な布の束。

「私の血を採ってどうするつもりだ?」

 その言葉にフィダールは応えず、リティシアの方へ振りむいた。向けられたのは嫌悪と畏れと、わずかに哀れみの混じった視線。見下されていると思っていたリティシアは意外な感じがした。

 何も言わず、フィダールはまた背をむけて部屋を出ていった。

 初めて会った時と同じように、アレイルはリティシアの右腕を押さえ付けた。フェシーが腕の内側にナイフを走らせる。

 冷たい痛みが走り、リティシアは身を硬くした。

 アレイルはリティシアの手を下に垂らさせた。

 太い神経や血管を傷つけるほど深く傷つけられてはいないが、それでも細い糸のように血が流れ出す。

「白い肌に血が映えて美しいこと。少し淫靡(いんび)でキレイだわ」

 指先をつたい流れる血を漏斗でビンに集めながら、フェシーはうっとりと言った。

「もう一度聞くが、なんのつもりだ」

 痛みに耐え、リティシアはできるかぎり毅然とした言葉で言った。

 さらわれた直後にもこうして血を採られた。確かに王族の血は民と違って尊いとされている。だがリティシアは、それは国を治めるため王家の先祖達が教会とグルになって広めたでっちあげだと思っていた。王族も民も、立場が違うだけで同じ人間だろう。

「さあ? 私達は、ただ命じられた事をするだけですもの。きたるべき日のために」

 来たるべき日? なんだ? 

 とにかく生きなければ。できれば、何をたくらんでいるか調べ出すのだ。

  そのためには、相手を油断させていた方がいい。せいぜい、バカなふりをしておこう。プライドは高いが、世間知らずで、怯えきった小娘でいなければ。

 リティシアはそっと唇を噛んだ。

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