境目。

@rabbit090

第1話

 晴れ晴れしい衣装に、にっこりとした微笑み、とても愛らしく誰からも、きっと愛されるはずだったんだろうあの子は、今どんよりとした顔を隠さずに、私の部屋に現れた。

 「もー、何よぉ。」

 いい加減、疲れてしまった。だって明日、仕事なのよ?やってらんないわよ。ここ最近は忙しくて、自分のしたこともどんどんなくなっていって(というか鈍感になって忘れてしまうし、気付けない)、ああ、ホントやってらんない。

 「もう、もうって。うるさいわね、私がお姉ちゃんに会いに来てるのは、家に帰りたくないからだって分かってるでしょ?」

 「だって…嫌なんだもん!」

 「はあ。」

 「知らないっ!!」

 ワガママ、ではなかった。学校でもどちらかというと面倒見がよく、私もそんな妹は手がかからなくて楽だった。(友達に話を聞くと、いろいろとめんどくさいことが多々あるらしい…。)

 でも、そんな妹も、社会人の私の部屋に、まだ高校生だって言うのになだれ込んできた。

 最初は一人暮らしって寂しいし、妹が来てくれるならうれしい、なんて思っていたけど、億劫だ。限界だ。

 だけど、妹だし、仕方ない。それに事情だって分かるから。

 ちょっと前、父は浮気をした。

 長年君だけだよ、とか言っていた母に向かって、”ブス”と吐き捨て家を出た。

 何だ、そんなにお父さん不満溜まってたんなら、言えば良かったのに、と笑う母が痛々しくて、見ていられなかった。

 そもそも、父は働きづめだった。

 家族のためと言って、ものすごい遅い時間まで毎日、こうやって自分が社会人になってみて、その大変さが身に沁みる。

 だから、もう何も言えなくて家族のことはノータッチだったけど、でもこの度、妹が母に愛想を尽かして(もちろん父にも)、家出を決行したって訳で、全く、もう、どうしようもないな。

 明日は本当に忙しくて、資料作成を家でしなくてはならないし、本当はしてはいけないんだけど、中小企業だから色々な規制が緩く、残業代すら出ない時がほとんどだ。

 「じゃあ、お姉ちゃん寝るから。」

 「うんおやすみ。お風呂はかしおいてくれてありがとう。」

 「うん、おやすみ。」

 と、妹はこの家の家事を担ってくれていて、助かるなあ、という時もあるし、でもだめだなあと感じる面もある(そりゃ高校生なんだから)。

 でも、私は仕事が忙しくて妹の面倒を見ていられないし、今年の正月にはみんなでちょっと着飾って初詣に行ったって言うのに、その時の写真を部屋に飾っているから余計、妹の疲労が手に取るように分かった。

 やっぱり、実家で暮らしているころとは違って、血色も悪くなってる。

 だから、すぐ、とは言わないけれど、でもすぐなんだよね。

 私はやっぱり、やっぱり、妹を家に帰したい。

 帰ってゆっくり、ご飯を食べて欲しい。

 扉を開け、ちらりと妹の様子を見た、でも、ちょっと目の下にクマを作って、勉強をしている小さな女の子がそこにいるだけで、私には守れそうにないと、なぜかそんなことを思ってしまった。

 

 本当の所は、最近男と別れて、一人になったのだ。

 その男は、ずいぶんとチャラかった。そして、そのチャラさが災いして、私はその人に誠実を期待し、そしてだからこそ何度も裏切られた(と思っていた)。

 だから、本当は、泣きたいくらいに辛くてボロボロだったから、妹が寝静まった頃を見計らって、バーへ走った。

 「いらっしゃいませ。」

 「ただいま。」

 「あ、来たんだ。」

 もう、この店の常連になってしまった。なぜか、足を踏み入れたのはゲイバーだった。しかも住宅地の近くにあるから、”閉店しろ”という脅迫状がよく届くという話を聞くようになって、その話を滔々と聞いている内に、なぜか店主である実樹みじゅに気に入られて、通いやすくなって逃げ込むように何度も来るようになった。

 実樹は、格好は男だし、でも男が好きだから私と話していると、異性っていう対象ではないから話しやすいと言われた。

 「妹がね、そろそろ辛そうで。」

 「そうだよね、てかまだ帰れないの?」

 「うん、分かってるんだけど、でも、だってさ。」

 「言わなくていいわよ、もう、ちょっと待ってて、今お酒作るから。」

 「分かった、待ってる。」

 と、もう酒を飲まなきゃやってられない、でも、こんなことを続けていてもいいわけがない。それは、分かっているのだ。

 だけど、

 「父がね、愛人の子ども、作ったんだって。この前母の所に来て報告したって。」 

 「はあー、修羅場ね。」

 「うん、そうだけど、さ。妹の学費とか、そういうのは面倒見てくれるって、それに、もう父は帰ってこないんだし、気にしないで帰れるんだけど、でも、お母さん。」

 「うん…。」

 「お母さんがね、あのね。」

 「うん。」

 「壊れちゃったの。何か、やっぱりおかしい。どっか様子が変で、ずっと空元気って感じだったけど、でも妹の面倒すらロクに見られない私が、家族を支える必要があって、それって、できるのかなって。」

 「うん。」

 「ごめん、私の話ばかり。」

 「いいよ、いつもは私が聞いてもらってるじゃない?でも、あなたはさ、人の話を聞くのがとてもうまいから、大丈夫よ。きっと、大丈夫。それにね、私も近くにいるし、なんかあったら頼っていいから。」

 「うん、あのさ。ごめん、私に選択肢なんて無いってことなんだよね。だから全部、ただの愚痴。」

 「それは、違うと思う。」

 「え?」

  そろりと、言葉を選ぶように、彼は話し始めた。

 「逃げる、でいいんだから。別に、誰もあなたに期待なんてしてない。みんな、きっとその状況を受け入れて自立して、一人で生きるすべを見つけるはずだから。だから…。」

 私は、彼の顔をじっと見た。

 もう、結構酔っているからか、視界がちょっと、悪い。

 「あなたが決めて。そうしなきゃ。」

 「………。」

 私は、黙った。

 でも、そうかも、なんて思いながら、その日はそのまま店で寝てしまった。


 妹に、言おうと思っている。

 私は、たぶんできないって、だから、

 「ねえ、一緒に住もうよ。」

 「え?」

 「私、決めたから。」

 「何を?」

 妹は朝から何?といった顔でキョトンとしていた。

 でも、

 「お母さんも、あんたも、私が大黒柱になるから。支える、とか中途半端なことじゃなくて、みんな私が、受け入れるから。」

 「それって…。」

 「うん、お母さんにも、伝えてくるね。」

 そう言って、私は家を出た。

 母は、もうずいぶんとふさぎ込んでいて、辛そうだったから、大好きなケーキでも買っていって、笑ってもらおう、と考えた。

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