第2話 【くすぐる】【便利屋】【知ったかぶり】
いつか俺も、親父と同じようにスーツを着て肩を落としながら生きていく糧を得る為に労働の場へと赴く事になるのだろうと思っていた。
これは幼い頃からの呪いであり、それが世の常であること
余程の才能と努力をすればそんな大衆的な生き方をせずとも、華やかに生きていけるのだろうと思っている。
こんな事を考えた上でもなお、父親のように大衆的な生き方をしようと思っていた矢先に不運な出会いを遂げたのだ。
「お兄さん顔が暗いね。
これからの世を憂いているのかな?
それとも自分の未来が不安なのかな?」
「…あんたに、何がわかるんだよ」
まるで安い占い師や詐欺師のような口調で声を掛けてきた青年にどうして返事なんてしてしまったのか
この時返事なんてしなければ、俺は平穏に生きれていたのかも知れないのに。
その頭巾の柄に、その細めた目に見覚えがあったが故に声を発してしまった。
「僕でよければ話くらいは聞けるけどなぁ。
そこいらで肩を落としながら社畜と成り果てた人とは違う道を歩んだせいで
悪い意味でもいい意味でも『世間知らず』だからね」
口から出ている言葉は決して良い物ではないと理解出来ている。
目の前にいる相手が普通の人間ではなくて、人を欺いてその蜜を啜って生きているタイプの人間だと直観できる程に胡散臭さを感じている。
「君は…親に対して否定的な感情を抱いている。
でも、それがどうにかなることでは無いことを理解もしている」
その言葉に対して何が琴線に触れたのかは分からない。
心の中の中心を射抜かれた事が不快だったのか
その時の相手の顔が酷く父さんを見捨てた母さんと酷似していたからなのか分からないが
気づいた時には
「うるさいな」
そう、自分の声とは思えない程低く響くそれが聞こえていた。
「君はこう思っているんだろう?
『俺のことを、周りの人間のことを知ったかぶりで話すやつは大概詐欺師か何かだ』と」
青年は心の中をよめるかのように独白を続ける。
「こんな大人になんてなりたくないと嫌悪しながらも、秀でた才能なんてないからこの背中を追いかけるしかないんだと」
「非凡でないのなら肩を落として生きていくしかないのだと」
こんなやつを相手にしていても時間の無駄だ。
早いところこの場を後にしようと目線を合わせずに去ろうと足を動かした時
「…あと、俺の顔が死んだはずの母さんに顔が似ているのは何故かとも思っているのかな」
その言葉に反射的に背けていた体を青年へと戻し、目を丸く見開くと彼は嬉しそうに目を細めた。
「やっとこっちを見てくれたね」
その笑顔はまだ俺が学童であった頃に見た笑顔と同じだった。
もう2度と目にすることはないはずだったその笑顔
この薄汚れた世界で唯一の希望に感じていた笑顔が今、目の前にあるのだ。
失ったものが蘇るはずがないとわかっていながら
目の前にいるのがその人でないことを理解した上で
それでも、俺はその顔に触れようと手を伸ばしていた。
「お兄さん?…お話の続きは俺の店でしようかね」
俺の伸ばしたてはその頬に触れることはなく、言葉を紡いだ青年の手にひかれ
どこかへ連れて行かれることとなった。
先程までの軽口とは一変して一切言葉を紡がなくなった青年に連れられ足早に街中を進む。
人懐っこく見せたかと思えばそっけない。
聞きたいことは山程あるのに会話を挟む余裕がない。
詐欺師だと疑ったが故にとことん人の虚栄心をくすぐるのが上手いものだと感心してしまう。
「お前はなんなんだ。俺は別に話したいことなんて…」
そう告げても握られる手は離されることはなくて
青年は振り返ることもしない。
何をしても無駄なのだ
そう諦めを抱くのに時間はかからなかった。
生きていく上で諦めることは重要だ。
早々に諦めることで必要以上の心身の消耗を防ぐことができる。
これは俺が母親を亡くして、肩を落としながら生きていく父親の背を見て学んだことだ。
物事に執着を見せれば見せるほど、生き辛くなる。
父は母に執着したが故に
それでも俺を生かす為に肩を落としてでも生きて行くしかなかったのだから。
「さぁ、ここだよ」
しばらく歩かされた後、辿り着いたのは街の喧騒から離れた小さな店の前だった。
『困り事なんでもかんでもおまかせあれ! 便利屋 ふじさき』
そう書かれた看板が下げられていた。
『ふじさき』が『藤崎』であるならば、それは母の旧名と同じだ。
懐かしいような、悍ましいような複雑な気持ちが絡み合い
執着を捨てはずの心は再度ざわめき始めた。
「…詳しい話は中でしようかな」
そう言って青年とその店の中へと足を踏み入れた。
「おや?人を連れてくるなんて珍しいね」
店の入り口を跨いだ瞬間に響いた老人の声。
「…おや?いつぞや見た娘の顔にそっくりだな。珍しいこともあるもんだ」
その老人の顔は、遥か昔に見た母の父と同じだった。
「おじいちゃん…?」
母を亡くしてからというもの父は親戚付き合いを止めた。
義両親どころか実の両親ですら合わなくなった。
それ故、俺自身も祖父母に会う事もできず過ごしていた。
それでも、母親の高潔な顔と同じ作りの祖父は覚えていた。
子供ながらに微かな憧れも抱いていたのだから。
「じいちゃん、珍しいとか言わないでよ。この為に便利屋やってきたくせに」
そう青年は軽口を始める。
「ねぇあんたさえよければなんだけどさ、ここで働かないか?
大丈夫、身内家業だけどちゃんとお給料もボーナスも出てるから」
「自分の母親の死の真相、知りたいとは思わないの?」
そっと耳打ちされたそれは今までのどんな軽口よりも心に重い釘を打ち込んだのだ。
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