満ち足りた部屋

三三九度

 五月半ばのある日。私は実家の遺品整理の立ち会いをしていた。

 父が心筋梗塞で死に、その二年後に母がすい臓がんで死んだ。住むものがいなくなったこの家をどうするか、私と姉はしばらく協議した末、実家を解体することに決めたのだ。

 家の中では、作業服を着た男二人が手際よく遺品の仕分けを行っている。彼ら手を動かすたびに、私たちの思い出は段ボール箱に詰められ、梱包され、トラックへと積まれていった。

 私と姉は彼らの邪魔にならない場所に避難し、その様子を見るともなく見ていた。

「なんだか寂しいわ」壁にもたれた姉がぽつりと呟いた。「何十年も住んだ家と、こんなにあっさりお別れだなんて」

 私は気の利いた返事が浮かばず、「そうだね」とだけ返した。

 悲しみの段階はすでに乗り越えていた。あるのは心にぽっかりと穴が空いてしまったような喪失感。

 鼻歌を歌いながら台所で料理を作る母の姿も、炬燵で新聞を読む父の姿も、もう見ることは出来ないのだ。家族四人でテレビを見ながら食卓を囲むことはもうないのだ。

 ここで過ごした家族との記憶も、この家とともに無くなってしまうのだろうか。

 私はなんだか喉の奥が詰まったような気がして、畳の上に目を落とした。この家を取り壊す決断をしたことを少しだけ後悔していた。

「あのう、すみません」

 声を掛けられて顔を上げると、作業員の男と目があった。男の手には色褪せた薄い箱が握られている。パッケージから察するに、クッキーか何かが入っていたものらしい。

「こちらはどういたしましょう」男が蓋を開けると、中にはA4サイズの大学ノートが一冊収められていた。「箪笥の裏から出てきたんですが、丁寧に箱に入れられていたので、なにか大切なものじゃないかと思いまして。中身を確認していただけますか」

 男は姉に箱を渡すと作業場へと引き返していった。

 何気なくページをめくった姉が「あら」と声を上げた。

「これあんたの字じゃない?」

 たしかに私の字だった。そしてそれは私が取材した怪談を文字に起こしたものだった。

 私は二十代のとき、怪談作家になることを夢見ていた時期があった。

 その頃の私は家族や友人、飲み屋で隣の席にいた人などに片っ端から「怖い話はないですか」とICレコーダー片手に聞いて回り、眉を顰められたものだった。録音した音声データは後日ノートに書き起こしていた。

 もう怪談蒐集はやめてしまったが、その当時のノートの束は今でも私の家の書棚に大切に保管してある。

 もしかして実家から持ち出すのを忘れていたものだろうか。そんな風に思ったが、私はどうもこのノートに対して違和感を覚えていた。

 奇妙な点は三つある。

 第一に、なぜ箱に入れられていたのか。取材ノートは実家の私の部屋の本棚に一括で保管していたし、一人暮らしを始める際にはそれらのノートはすべて持って行ったはずである。

 第二に、なぜ取材した日付や、取材対象の名前を書いていないのか。私は取材の録音をする際に必ず、日付とこれから取材する相手の本名をICレコーダーに吹き込むようにしていた。そしてノートに文字起こしする際にも、真っ先にそれらの情報を書き込むことを徹底していた。それなのにこのノートの記録には話し手の情報が一切記載されていないのだ。

 そして何より奇妙なのは、私がこのノートの存在を全く覚えていないことである。

 これだけ御大層な仕舞い方をしているのだから、少しくらい心当たりがあってもいいものだが、残念ながら箱にもノートにも全く見覚えがなかった。

 本当に私が書いたものなのだろうか。そんなことを思いながら文字を読み進めていった。

“助けてください“

 ノートの一行目にはそう書かれていた。




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