ノイジー・ブルー #No easy way to blue.

朝倉夕市@九十九

第1話 夕景

 僕、霧島 海きりしま かいは窓の外を眺めてつぶやいた。


「見えるものが、すべて赤い」


 時刻は夏の夕焼けの光線が町を走り、空と地上を赤く繋げるころ。

 ここは、流行りのポップソングも気の利いたジャズも流さない、少し古びた喫茶店。

 僕は大学の先輩である深雲さんを待ち、いつものように窓際のテーブル席に座っている。 なぜこんな場所を選んだかといえば、


 "大学に近いから"


 蛇足も不足もなし、以上。


 頼むドリンクは、氷少なめのオレンジジュース。

 他に客がいないので、マスターもすぐに出してくれた。


 一口目はコップから直接に流し込む、甘酸っぱい刺激の波が舌を通って脳を幸福にした。

 いったん満足したところで、テーブル脇の箱からストローを取り出し、水面をゆっくりとかき混ぜる。


 不意にドアのベルがカランコロンと調子ハズレに店内の空気を揺らした。


「やあ霧島君、すまない遅れてしまった」


 入り口を見ると、女性が一人。 

 ドアが開いた風圧で、彼女のショートカットの髪が少しだけ揺れる。


 いつもよりも遅れてきた深雲先輩みくもせんぱいは、青系統のファッションがいつも通りによく似合っている。


 いや、青というよりは藍色かな?

 うん、特に魅力的なのは首元のチョーカーだ。下がる藍色のストーンはアクセント。

 実にクールでエレガント。

 だが、彼女の姿でひときわ輝くのは、瞳の青色に違いない。

 この"青"以上に美しい色を僕は見たことがない。

 これがカラーコンタクトの賜物なら、そのメーカーの担当者はいい仕事をなさっている。

 などと思い耽っていると、不意に視線が交錯した。


 口許にはいたずらっぽい笑みが浮かんでいる、眺めてばかりもいられない。

 なんだかいやな予感がする。


「また、落としたんだって? 情報学科の単位、留年しても知らないよ?」


 そう、先輩は忘れたいことを思い出させる天才だ。できれば、その才能には目覚めないで欲しかった。

 しかし、同じ学科でもないのになんと耳の早いことか。

 絶句した僕に、さらに先輩は追い打ちをかける。


「ブランクマンの噂は有名だからね、情報学科に天才現るってさ。随分話題になったもんだよ」


 そう、僕のあだ名はブランクマン。

 友人曰く、僕は単位の取得に関して入学早々から才覚の片鱗を示していたらしい。

 初めての学期が終わり、恐ろしき取得単位表が閲覧可能になると、それらを見せ合う、というあまりにも不毛な勝負を仲間内で繰り広げていた。


 たいていの人はAだとかBだとか、悪くてC、さらに悪いとDで不可となる。


 しかし、僕の場合は空白がいくつも並んでいた。

 気のいい友人たちはシステムのバグと勘違いしてくれたが、本当のところは出席すらしていなかったのだ。


 僕の才能とは、ご想像の通りダメな方の才能である。


 実のところ話題になった理由は、そのダメ学生がまさかの入試トップ入学だったからこそであり……。

 入試からの学力の落差と勉強へのブランクを冷やかされたネーミングでもある。

 いや、これは蛇足というものだ。ああ、一刻も早く忘れたい。

 ちなみに今回の評定、二年目の前期は学生生活通算で最少の打点をたたき出した。


 先輩はきれいな青色の瞳で僕を見つめると、慰めの色もなしに問いかける。



「みんな好きだよね、色眼鏡で見るの」


「きっと、自分は違うと思いたいんですよ」


「取れる単位だけに狙いを絞ればいいんじゃない?」


「それができたら苦労しませんよ」


 来期の計画を思い出して頭を抱えていると、いきなり彼女は切り出した。


「知ってた? 本当はパプリカって青いのよ」


「え?」


 いつも現実主義で合理的な先輩の口から出た突拍子もない言葉に僕は動揺した。そんなもの、本来の自然色な筈がない。


「パプリカは赤か黄色が相場ですよ」


 先輩は僕の反応に満足気な表情。


 そして、わざわざどこからか取り出した自前のストローを突き刺し、細長いコップの青いハーブティーを吸い上げる。

 ストローからあふれるケミカルな水色の雫、吸い口についたルージュ、暴力的なコントラストに鼓動が早くなる。


「僕をからかっているんですか?」


「もちろんそうだよ」


 先輩は悪びれもしない。


「でも、もしも仮に、本当にパプリカが青色に見えている人がいたらどうする? 

 君はその人に自分から見える色との違いを伝えられるかい?」


「仮に間違っていたとしても、そんなことはできませんよ。リアルタイムで目に映る色だけが、その人にとっての真実なんですから」


「そう、結局のところ個人の色覚は人類共通の色覚ではない。にも関わらず、その即席の色共感は社会一般で暗黙の了解として機能している」


 先輩はやれやれだ、といった風情で肩をすくめた。かと思えば、急に真剣な表情で問いかけてきた。


「君は何を基準に他者の知覚を類推する?」


「いわゆる常識ってやつじゃないですか? 世間一般での社会通念とか、ルールみたいな」


「問題はそこなんだ、みんなが同じ常識を持っているなんて、馬鹿馬鹿しい幻想に過ぎないと思わないか?」


 彼女はどこか遠い目をしている。


「本来、間違った色なんて、この世のどこにもないはずなんだ。それなのに、初めに色に名前を付けたヤツの気まぐれにずっと付き合って苦しみ続ける奴がいる」


「ルールや暗黙の了解があるのは、より多くのひとに暮らしやすさを提供するためですよ。そこに悪意はないと思います」


「なるほど、悪意か」


 先輩は色白で冷たそうな指を二本立て、自らの両目と僕の目を交互に示した。


「では、彼にとっての、”間違った色のパプリカ”とは何色なのかな? そして"キミの青色"は、本当に"私の青色"かい?」


「その質問に答えは出ませんよ、あまり後輩をいじめないでください」


 僕はその問いから逃げた。詭弁よりも、極論よりも卑怯だと知りつつも。


「あはは、今のが悪意だよ。キミをを困らせたくなってさ」


 無邪気に笑われた。ズルい、こんなの怒るに怒れないじゃないか。


「でも、今の私みたいな悪意がある人間の存在は否定できないだろう? そして多くの場合、悪意への対処は逃げるか誤魔化すしか選択肢が残されていない。これは常識の持つ重大な欠陥だよ」


「どうも腑に落ちませんね」


「じゃあ、話題を変えよう、この不特定多数が触れたかもしれないストローは危険だ、と言ったらどうする?」


「個包装されているじゃないですか、言いがかりですよ」


 先輩のコップ脇にある新品のストローを観察した。当然、開封された形跡はない。


「工場から出荷されたこのストロー本体は、ここに届くまでに何人の手に触れられていると思う?」


「ゼロだと思いますよ、企業努力を信頼してください」


 先輩は未開封のストローを手に取り、蛇腹の位置で折り曲げた。


「可能性の話だけどね」


 そう前置きして、先輩は重々しく口を開く。


「この使い捨てストローは、未開封のままで宇宙に渡ったかもしれない」


「いや、それは……」


「そして、宇宙線で汚染されているかもしれない。もしかしたら、BC兵器の実験棟を通ったかもしれない」


 陰謀論者も真っ青の誇大妄想だ、この人は本気で言っているのか?


「そんな、まさか」


「ありそうもない、常識外れだ。そう考えると君はすぐ解答に×をつけてしまう」


 先輩は大げさに肩をすくめる仕草をした。


「これだから、頭カチカチメガネは」


「なんとでも、言って下さいよ」


「世の中はときどきありえない動きをするんだよ」


 先輩は人差し指を立てた。


「では、君はティラノサウルスの色と形を知っているか?」


「図鑑で見た限りでは、茶色と緑でした」


「私が見たニュース記事では、羽毛の生えた黒色だった」


 羽毛が生えてるって、ほぼ鳥じゃないか。

 南米あたりにいそうだぞ。


「たぶん、研究で色までは完全再現できていないから、そこは空白であり、推測の余地なんだろうね」


「それでも本物の色はあると思いますけど」


「もちろん、一つの化石から導かれる真実の色と形は一つのはずだ。それでも時代によって姿が変わってしまうのは、きっと他の学説から影響を受けたり、セオリーとの整合性を取りたくなるからだと思う」


「セオリーと整合性が取れないことを恐れて内容を変えたら本末転倒では? 他の学説が間違っているかもしれないのに」


「学者センセイたちは日夜想像を繰り広げているんだよ。整合性を取りつつも、それぞれが脳裏に描くティラノサウルス像とすり合わせができる真実像をさ」


「さすがに、なにかの根拠はあるんじゃないですか?」


「そうかもしれない」


 先輩は事もなげに同意した。


「しかし、想像上の色は自由な色だよ、もちろん形も姿も同様だ。想像は他者には侵すことのできない、この世で唯一の聖域といえる。だが、想像は発表した途端に他者からは悪意の対象になりえてしまうんだよ、理不尽じゃないか? これではニワトリサウルスだ、とかね」


 何も返せる言葉がない。


 この懸念はきっと、かつて心の奥底を傷付けられた人にしか抱けない思いだ。


「私は思うんだ、人が他者と感覚を完全に共有できる時代がきたとしても、それを受容できるほど人は強くなれないと」


 言葉を紡ぐ唇には諦めが見え隠れしている。

 何かを言い返すべきだと分かっているが、浮かぶ思いは言葉にならない。


「そうかもしれません……」


 ようやく口をついて出た言葉は、情けなくも不承の同意であった。


「今日は私の奢りでいいよ、とても有意義だったからね」


 先輩は伝票をテーブルから拾い上げると、こちらの返答も待たずに会計を済ませて出ていってしまった。

 窓の外を見ると、夕焼けの赤は消え人口の光だけが暗闇に抵抗していた。

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