第2話 それぞれの都合
平成も中盤くらいになり、商店街が深刻な状態になってくると、商店街は、
「大型ショッピングセンターの台頭」
というものが深刻化してきた時、ちょうど、世代交代の時期に差し掛かってきた。
商店街が活気のあった、昭和30年終盤くらいから店を構えた人たちは、平成に入る頃には、かなりの年齢となり、一般企業では、
「とっくの昔に定年退職を迎えている」
というくらいであった。
昭和の終わり頃というと、今とはまったく違った社会だった。
「週休二日制」
などというものは、言われるようになっては来たが、まだまだ導入する企業は、少なかった。
あったとしても、
「隔週土曜日が休み」
という程度のもので、その前の段階だった。
「第二土曜日が休日」
という会社が多かったのではないだろうか?
さらに、定年退職が55歳は普通であり、希望者は、60歳くらいまで、働いてもいいという程度のものだった。
当時は今と違い、年金だけで生活ができ、
「老後の不安」
というものは、そんなになかった時代だった。
しかし、それがバブルの崩壊により、社会情勢が一変した。
それまで、
「銀行や大手金融機関は潰れない」
という、
「金融不敗神話」
があった。
しかし、バブルが崩壊すると、あっという間に銀行が破綻したのだ、
それもそうだろう。バブル期は、
「事業を拡大すればするほど、利益が生まれる」
と言われてきたので、金融機関は、どんどん企業に融資する。
利子で利益を得たいものだから、余計に利子を得られるように、いわゆる、
「過剰融資」
というものを、企業に課すことになる。
しかし、バブルがはじけると、それまで利益だと思っていたものが、それこそ、泡となって消えていく。それによって、企業は不当たりを出してしまい、一気に倒産に向かって進んでいくのだ、
バタバタと貸し付けた企業が倒産していくことで、銀行も貸し付けた金が、回収できなくなる。
そうなると、さしもの銀行も巨額の負債を抱えて、倒産の憂き目にあうのだが、それを免れるための作戦として、
「企業合併」
ということであった。
「利害の一致する企業」
が、対等であれ、吸収であれ、合併することで、
「体力のある企業ができる」
と考え、特に金融機関を中心に急速に進んでいくのだった。
特に銀行などは、元の銀行はどこだったのか分からなくなるくらいに、たくさんの銀行が一緒になる。
中には、それまでのベストファイブと呼ばれた金融機関が合併することも珍しくなく、それだけ、
「バブル崩壊は、深刻だった」
ということであろう。
一般企業も、
「収益が減るのだから、経費を節減するしかない」
ということで、手広く広げたものを、手遅れになる前に、手放していき、会社では、
「残業をしてはいけない。経費を最大限に節約する」
ということになり、当時から流行り始めた言葉として、
「リストラ」
というものができてきたのだった。
リストラというのは、本来の意味として、
「組織再編」
「再構築」
という意味が示す通り、企業の合理化であったり、方針の再検討などということを指すものであったが、いつの間にか、
「人員整理」
という言葉に変わってしまって、企業による、
「早期退職者」
というものを募ってみたりして、
「経費の中で一番のネックが、人件費だ」
ということを示し、露骨な方法として、
「社員の首を切る」
ということを、
「リストラ」
と呼ぶようになったのだった。
だから、
「リストラ」
という言葉には、悲惨な意味しか付きまとってこない。
しかも、そのうちに、会社の方としても、リストラをやりすぎると、今度は肝心の業務を回す社員がいなくなってくる。
そこで、新しい雇用方法として、
「非正規雇用」
というものが導入されるようになった。
つまりは、
「派遣社員やパート、アルバイト」
などという、会社が社員という形で雇った人たちではない連中に、安い給料で、今まで社員が賄ってきた作業部分を任せようというものであった。
ただ、社員ほど厳しくできるわけではない。
「残業はさせられない」
「今までの社員のように、無理はさせられない」
と、単価が安いだけに、できる範囲も限られていく。
そうなると、リストラが終わり最終的に残った社員に、そのツケが回ってきて、結局、残業申請ができない、
「サービス残業」
というものが、社員に襲い掛かってくるのだった。
元々、経費節減という観点から、
「残業はしてはいけない」
ということが言われ、それによって、それまでのモーレツ社員に時間ができて、
「これからは、サブカルチャーや趣味の時間を作らなければいけない」
などと言われていたのに、数年もしないうちに、残った会社で、自分にしわ寄せがくるようになるなど、思ってもみなかっただろう。
バブル期であれば、実際に残業した分は、上司から小言は言われるかも知れないが、ちゃんとそれに見合う残業手当は出ていたのだ。しかし、非正規雇用者のツケで残業する分には、本当にサービスとして、残業手当が支給されるなどありえなかったのだ。
それがいずれは、さらに景気が悪くなり、会社がさらに窮地に追い込まれると、今度は、それまで重宝できるとして雇っていた非正規雇用の、もう一つの側面としての、
「簡単に解雇できる」
という奥の手を使って、簡単にクビを切っていく。
派遣社員とは、基本的に3カ月単位の更新が多く、それまでは、自動更新に近かったものを、
「次回の更新では、継続を行わない」
と、企業が一方的に切ったりすることが増えてきて、結果、失業が増えたことで、
「派遣村」
などという、
「派遣社員のたまり場」
として、公園などでの生活者がおおいおおいに増え、社会問題になったりしたのだ。
そんな派遣村においては、炊き出しが行われたりと、それだけでも、世間の派遣社員は、ほとんどが、
「明日は我が身」
とゾッとしたものがあったことだろう。
そんな時代において、さらに追い打ちをかける事件が起こった。
それを起こしたのは、国家であった。厚生労働省の社会保険庁が、昭和末期から、
「年金受給者、予定者に、番号をつけ、コンピュータ管理にした時、
「結婚したのに、旧姓のまま」
「ふりがなに不備があった」
「生年月日が間違っている」
「転記ミス」
などという、考えられないようなミスがあり、それが、2007年に発覚し、
「何と、数千万件という年金記録が、誰のものか分からない」
ということになり、結果、
「もらえるはずの年金がもらえない」
ということになり、完全に政府は、国民の信頼を失った。
そのことがきっかけになり、結局2年後の選挙で、それまでずっと与党だった政党が、
「野に下る」
ということになった。
そこで出てきた政党だったが、結局、ここもうまく政治を営んでいけず、次の総選挙では逆転されてしまう。
公約では恰好のいいことを言っていたが、結局何もできず、しかも、大震災が起こった時には、その対応ができないばかりか、問題発言を繰り返し、被災者から、相当な恨みを買ったことで、完全に、政権を維持するなどできるわけもなかったのだ。
といって、元に戻った与党政党だったが、今度は、疑惑にまみれた男がソーリになった。前にもソーリ経験があった男だが、
「都合が悪くなると、病気と称して病院に逃げ込み、ソーリの座を放棄した」
という過去があった。
結果、他に誰もいないという理由だけで、またしても、成果らしい成果もあげられないくせに、
「歴代在位期間最長」
などという、不名誉に塗りつぶされた、汚名に満ちたといってもいい記録を打ち立てたのだが、またしても、お約束ともいうべき、
「「病院に逃げ込んで政権を放棄する」
ということをしたのだった。
「世界的なパンデミック」
をどうすることもできなかった。
というのが理由だが、それもそうだろう。
世界的な伝染病であるにも関わらず、すでに世界では鎖国状態のところが多い中、
「伝染病発症の国家元首を国賓として招く」
などという、寝ぼけたことを言っていたのだ。
鎖国どことではない、当然、水際対策など、ほとんどできておらず、気付けば国内でも患者が増えてきて。
「緊急事態宣言発令」
の憂き目を見たのだ。
確かに、水際対策の失敗が、招いたことではないかも知れない。相手が見えないことだからである。しかし、見えないのだから、余計に可能性だけでの話になる。そうなると、水際対策ができていなかったことでの蔓延というものが一番の問題だという世論の話に、
「それは違う」
と言ったとしても、すべては言い訳にしかならない。
立証責任がもしあるとすれば、それは政府にであろう。
そうでなければ、責任の所在も分からず、ただ行動制限を強いられているのであれば、不満はその政策を取った政府に向けられる。
それを思うと、
「国家はいうだけで、何もしてくれない」
ということになる。
しかもやったとしても、
「マスクを一家庭、二枚配布する」
という、いかにも原始的な政策だった。
その政策には、裏があった。
マスクを配布するといってもそれは、国の税金からである。
もっとも、そんな風になったのは、マスク不足というものが大きく、今は国産マスクよりも、海外からの輸入に頼っていたこともあり、入手に制限があった。
さらに、
「転売屋」
と言われる連中のせいで、マスクの値段がネットなどで、100倍に跳ね上がっていたりしたのだ。
そんなバカなことが実際に起こったのだが、その政策として、政府が打ち出した政策がこれだったのだ。
当然国民からは、批判が集中する。
「一家庭二枚って、他の家族はどうなるんだ?」
ということだ。
家族とはいえ、他人がつけたマスクをつけられるわけもない。完全に国民をバカにしているといってもいいだろう。
マスクと言っても、かなり小さなサイズのもので、実際の実用性もないに等しかったのである。
さらに、国民の怒りを爆発させたのが、そのマスクの製造メーカーだった。
国内での、衛星商品を作っている大手企業化と思いきや、田舎の聞いたこともない企業であった。
「よく政府がそんな企業を知っていたな」
と思っていると、そのあたりを、マスゴミが、すっぱ抜いていた。
「今回の配布マスクであるが、このまったく無名の聞いたこともないような企業は、どうやらソーリと関係があるらしい」
ということであった。
つまりは、
「ソーリがうまくそこの発注することで、その分の金が、ソーリにも流れ込んでくる」
という仕掛けだったわけだ。
「そのお金の出どころは?」
ということになると、
「税金、つまりは、国民が皆働いて稼いだ金の一部」
ということになる。
つまり、そんな血税が、最終的に、このソーリのふところに転がり込んでくるというわけである。
昔から、役に立たない政治家や、自治体の公務員などを、
「税金泥棒」
と揶揄していたが、今回のこの事件でのソーリのことはなんといえばいいのだろう。
「泥棒だけでなく、詐欺もやっている大悪党」
ということであろうか。
そういえば、そもそも、疑惑にまみれたソーリではなかったか。
複数の、
「何とか学園問題」
さらには、
「何とかを見る会問題」
など、疑惑塗れのソーリなのだから、これくらいの、
「泥棒と、詐欺」
と言われても、もう国民は誰も驚かない。
「どうせ、こいつならやっているだろう」
ということになり、
「いい死に方はしないだろう」
といっていると、最終的に、
「暗殺者の凶弾に倒れる」
ということになるのだった。
しかも、それを今の、さらに輪をかけた無能なソーリが、そんな犯罪にまみれたような元ソーリを、
「国葬にする」
などと言い、さらに、暗殺者の告白から、ある霊感商法宗教団体と政治家の癒着が問題となり、その対応のまずさから、
「支持率の急降下」
を招いたのだった。
ただ、このソーリに関しては、組閣時点から、
「ダメだ。こりゃあ」
と言われていた。
そんな最悪のソーリだったのだ。
そのソーリもそうなのだがあ、最近話題になっているのは、
「世襲議員」
という言葉であった。
つまりは、昔の親から受け継いできた地盤を、息子が受け継ぐというもので、いわゆる、
「二世議員」
というものだった。
世襲が、いい悪いという問題は大きいのだが、この問題は、
「地元の商店街」
というものにも大きく影響している。
こちらは、政治家と違って、
「確実に、世襲がなければ、問題だ」
ということである。
せっかく、店を開いても、息子がいなかったり、いたとしても、
「田舎のこんな商店街の店主で終わりたくない」
といって、都会に出てしまうというようなことが、昭和にも問題となったものだった。
商店街もそうだが、もっと大きなのは、
「田舎の農家」
などは特にそうだったかも知れない。
田舎から労働者がいなくなり、過疎化が進む。それこそ、
「田舎には、年寄りと女子供しかいない」
などと言われ、農家の存続の問題になったりしたのだ。
確かに、昭和三十年代、四十年代というと、
「集団就職」
というものもあり、
「出稼ぎ」
という言葉が流行った。
しかし、実際の出稼ぎというものは、
「農家だけでは生計を立てられない」
ということで、若い労働者が、都会で働いて、家族に仕送りをするというのが、当たり前の時代だったのだ。
しかし、それが、時代が進むにつれ、
「田舎なんかでくすぶっていたくない。高校を出ると、東京にいくんだ」
という人が増えた。
「東京で牛を飼う」
などと言ったコミックソングが流行ったのは、そういう文化があったからではないだろうか?
実際に、東京や大阪に出てくればどうだろう?
ほとんどの人が、1年くらいで、
「夢破れて」
戻ってくる。
中には、騙された人もいるだろう?
「結局、都会は、田舎者を受け入れてくれるところではない」
と思っているだろうが、そうではない。逆に都会というのは、もうすでに昔から、都会へのあこがれがあり。どんどん進出してきているのだ。いまさら二番煎じでもない出がらしで東京に出たとしても、何とかなるわけがないのだ。
要するに、
「都会と言っても、結局は、田舎者の集まり」
と言ってもいいだろう。
それを知らずに東京に憧れて出ていくと、海千山千の連中に騙されたり、都会の罠に嵌ってしまったりするのがオチだといえるだろう。
都会から帰ってきて、田舎を継ぐという人はまだいいが、それすらできずに、鳴かず飛ばずの状態で、田舎の中小企業で働きながら、平凡に生きていく人もいる。どうしても、田舎の過疎化を防ぐことはなかなかできず、結局、
「嫁取り企画」
などといって、都会から、嫁を貰うという作戦に出る企画もあった。
都会から戻ってきた人が多い田舎で、果たして身についた、
「都会コンプレックス」
を解消できるのだろうか?
そんな状態において、馴染みの喫茶店は、何とか生き残った。
というのも、本当はマスターは、
「もう、店を継ぐ人がいないので、私もある程度の年齢がくれば、店を手放そうと思っているんですよ」
と言っていた。
この店は、名前を、
「喫茶「キャッスル」」
という。
マスターの名前が城田さんということなので、名前をキャッスルにしたという。ただ、それだけではなく、城田さんは、城廻りも好きだったようで、店の中には、城の写真がいっぱい飾ってある。
天守の最上階というと、梁の部分によく、日本の有名城郭の写真を貼ってあるということを聞いたことがあったので、それを模したものだと思っていたが、いつか、マスターが同じことを言っていたので、
「想像通りだ」
と思わずほくそえんだのを、映像は思い出したのだった。
当時の平蔵は、まだ30歳くらいであった。マスターは、まだ50代後半の60歳手前くらいで、一般の会社であれば、定年手前と言ったところであろうか。
当時はまだ定年が55歳だったこともあって、60歳というと、会社が延長雇用をするのも、終わりだった頃であった。
マスターには、息子がいるということだったが、
「当時としては、遅くできた子供だったので」
ということで、まだ、大学を出てすぐくらいだということだった。
なるほど、30歳過ぎにできた子供だということであるが、今では珍しくもないが、当時としては、少し遅かったのかも知れない。
その息子というのは、
「私が城好きなのに、輪を掛けて、息子は城が好きなんですよ。ほら、ここの店に飾ってある城は天守が現存していたり、復元されたりしたところのすべての天守を店には飾っているのですが、そのうちの半分は、息子が撮ってきたものなんですよね」
というのだった。
「ご自分でいったのかと思っていました」
と、平蔵がいうと、
「そうですね。確かに私が撮ったものも多かったんですが、本当に古くて使えないものや、実際にまだ、天守が再建される前で撮っていなかったりしたものも多かったからですね」
とマスターがいう。
「じゃあ、息子さんは、マスターが撮った写真の城もすべてカメラに収めてきたというわけですか?」
と聞くと、
「ええ、そういうことになります」
と答えたのだ。
「そんなに、お城が好きなんですね?」
と聞くと、
「ええ、そうなんですよ。息子は私と違うところで好きなようなんですけどね」
というので、
「それはどういうことですか?」
「私の場合は、どちらかというと、写真を撮るのが好きなことと、旅行が好きだったので、元々は城を撮るというよりも、名所旧跡を撮っている中で、お城も入っているという感じだったんですよね。でも、その中で撮ってきた写真を眺めているうちに、天守の壮大さと魅力に魅了されたといえばいいのか、すっかり取りつかれたというところです。つまり、「美の象徴」としての城を見ていたんですよ」
とマスターはいった。
「なるほど」
というと、
「息子の場合は少し違いまして、元々は歴史が好きだったんですよ。歴史を勉強していくうちに、戦国時代から、織豊時代、さらに江戸初期と、ちょうど、城全盛期の時代を勉強するようになって城を研究するようになったんです。だから、私とは入り方が違うので、城への見方も違います。私は、「美の象徴」という意味合いが強いのですが、息子の場合は、「美の象徴」というよりも、戦略的価値というのか、軍事基地として城を見ているので、私のような、天守ばかりに注目していたわけではないんですよ」
というのだった。
なるほど、そのあたりは二人共の言い分は分からなくもなかった。
平蔵も学生時代から、歴史が好きで、城というものに、興味を持った時代があったので、その時、自分の中で、
「城というのは、天守だけではない」
と思っていた。
それだけに、マスターの話を聴いていると、その理屈が分かるような気がして、この時の話は、マスターとの会話の中でも、
「結婚真剣に聞いた話だったな」
と記憶の中にずっと残ることになったのだ。
時代は流れて、気が付けば、マスターも髪がすっかり白くなり、いかにも、
「老人」
という雰囲気を醸し出していた。
店での存在感は少し薄れてきて、この店の常連になってから、そろそろ十年という月日が経っていたが、以前話していたマスターの話を思い出し、
「そろそろ、ヤバいんじゃないかな?」
と感じていたのであった。
時代としては、ちょうど世紀末、20世紀とはおさらばと言った時期であった。
「マスターも、潮時と思っているんじゃないかな?」
と平蔵も覚悟を決めていた。
だが、急転直下で、店は存続するとマスターが言い出したのには、ビックリもさせられたが、
「常連の店がなくなるわけではない」
と知った時、喜びがこみあげてきたのも事実だった。
「息子が会社を辞めて、後を継いでくれるということになったものでね」
と、見た目は複雑そうな表情だったが、喜んでいることに間違いはないと思ったので、平蔵も素直にうれしかったのだった。
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