打算塗れのやさしいクズは英雄の夢を見る

@tokoroten7140

第1話 この都市はやさしさに支配されている

 この世界にとってやさしさこそが貨幣であり、力であり、信用である。

 これは何の比喩でも隠喩でもない。

 この完全平和都市も例外ではない。やさしさによってこの都市は支配されている。


              

 ※※※※



 地下であるはずの空には爛々とした疑似太陽が輝き、雲一つない気持ちの良い青空が広がっている。はずだった。

 大きな通りに立ち並ぶ数多の白いテントには様々な商品が所狭しと並べられている。

 とても大きな商店街だ。

 普段なら息苦しくなるほどの人が行きかい、叫ばないと話せない程の賑わいを見せている。


 しかし、通りに人影は殆どない。

 慌てて荷物をまとめている店の人間だけ。 


 疑似太陽の光は、どこからともなく発生した身を凍てつかせる程の冷たい霧に阻まれていく。明らかに異常事態。嵐の前の静けさの中、三人の冒険者の足音が鳴りひびく。


「よし、予測エンカウント地点はここだな」

「今回は異常です。ここだけじゃない、様々な地点で同時にエンカウント警報が鳴っています。当然、ミストも発生しています。その影響でしょう。応援は見込めませんし、こちらは三人だけです。警戒は怠らないでください」

「そんなに気を張らせるなって。今回はB級なりたての坊主もいるんだぜ。それに俺様の筋肉があればすべて解決よ!」

「はぁ。これだから筋肉馬鹿は……。こんな大人にはならないでくださいね。ハームレス君」

 

 筋骨隆々の巨漢と細身の黒いローブを着た男がこの異常事態にも冗談を言えるほどには慣れた様子で話していた。

 対して、ローブの男に話しかけられた少年の動きは二人に比べてぎこちないもので話しかけられても返事ができない程度には緊張が見られた。


「ハームレス君?」

「は、はいぃぃ!」


 素っ頓狂な声を出した少年、ハームレスは肩をたたかれてやっと話しかけられていることに気づいたようだった。


「おいおい。最年少でB級に上がった期待の新人様がそんな様子じゃあ、先が思いやられぜ」

「すいません……。それに僕は最年少ではないですし、期待されるほどの実力ではありません」

「謙遜もいいですが、行き過ぎれば嫌味になります。長年B級をしていましたが、君程幼い少年がB級に上がったのは初めて見ました。それにこんな異常事態だ。臆病すぎるくらいがちょうどいいのかもしれません」


 童顔で低身長。この都市ではあまり見られない独特の黒目黒髪。

 冒険者協会では期待の新人と噂されている。

 そんな新人B級冒険者ハームレスは怯えた様子でありながらも、しっかりと周囲を見渡してこの異常事態を観察していた。


「なかなか、エンカウント現象起きませんね」

「確かに妙だな」

「おいおい、けどこれがただの霧だなんていうのは絶対ありえねぇだろ。これは絶対エンカウントミストだ」


 エンカウント現象。

 都市内に突如として凍てつく霧が蔓延するのがその前兆と言われている。

 ちょうど今のこの状況のように。

 普通ならこの霧が凝縮して、魔物の形を成す。

 もちろん形だけではない。魔物は人を襲う。そのための冒険者だ。

 しかし、いつもならとっくに魔物の肉体が形成されているはずがその気配が全くない。


「おいおいおい。あれ、なんだよ?」


 巨漢の冒険者が指さした。

 疑似太陽と思っていた赤い球体に霧が吸い込まれていく。

 この商店街のものだけではない。別の地点に発生した霧さえも吸収する。膨大な量の霧が赤い球体を核に形を成す。

 それは獰猛な牙と爪を備え、筋骨隆々の巨漢を丸のみにできるような大きな口を持った巨大な狼タイプの魔物だった。


「B級のワーウルフ……? なななな何ですかぁ? あの巨体! 普通じゃないですよ」


 うろたえるハームレスを他所に、事態は進行する。

 空中で形成されたワーウルフは三人の目の前に落下した。まるで冷凍庫に保存でもされていたかのようにその巨体は白く凍っている。


「普通じゃなかろうが関係ねぇ! 先手必勝。うなれ俺の『身体強化』!」


 エンカウントしたての魔物は硬直がある。その硬直を見逃さずに先手を打つ。基本戦術だ。しかし、今回は異常事態すぎた。

 

「熱っ!」


 ワーウルフの全身から炎が溢れ出す。

 炎は体の内側、おそらくあの赤い核から発生しているのだろう。体毛の一本一本が燃え盛り、その瞳すら炎と化す。全身が炎上しているというよりは、全身が炎に置き換わっているように見えた。

 

 巨漢の冒険者はその熱気にたまらず距離を取った。


「これは私たちの手に負える魔物じゃありません……」


 ハームレスはポーチで震える板状の鏡を取り出す。鏡には『EX級ワー※ルフπΩ§』と文字化けして表示されていた。

 

「嘘だろっ。ワーウルフはB級じゃねぇのかよ! それがAもSも超えてEX? 冗談じゃねぇ。こんなの英雄様案件だぜ!」


 冒険者のランクと魔物の脅威度を表すランクは対応している。B級の冒険者はA級以上の魔物に対応はできない。そう協会に判断されているのだ。


「逃げますよ!」


 黒ローブの冒険者も逃げる判断を下した。当然だ。むやみに立ち向かったところで死体が増えるだけなのだから。二人の判断は速く、ワーウルフが動き出す前に撤退を開始した。

 だが、ハームレスは逃げなかった。

 突然変異種のワーウルフを前に小太刀を抜いていた。


「おいっ。坊主! 何してるんだ!」

「お二人は逃げてください! ここは僕が食い止めます!」


 生まれたての小鹿のように足が震えている。その手に持つ小太刀は巨大なワーウルフの前では小枝にも等しい。


「行きますよ! もう手遅れです!」


 ハームレスは黒ローブと巨漢の冒険者が去っていくのを横目でちらりと確認した後、正面に目を向ける。


「恐ろしいよ。けど、まだ人がいる。ここで逃げたら、僕は一生後悔する!」


 エンカウント警報はまだ鳴って間もない。

 ここは都市でも有数の商店街。商人たちが自分たちの利益を優先し、まだ隠れて残っていたのだろう。


「ひっ」


 まだ荷物をまとめ切れておらず、逃げ遅れた商人たちだ。欲をかいてまだ荷物をまとめ切れていなかったのだろう。このワーウルフを見て今更ながらに思い知ったのだ。

 欲をかいている場合ではないということを。

 逃げようとしたが、ワーウルフの威容に腰を抜かして動けないでいる。

 そんな商人たちは少なくないらしく、まだ逃げていない人々がそれなりにいた。

 となると、ハームレスも逃げるわけにはいかなくなった。ここに人がいる時点で、その選択肢はなくなってしまったのだから。


「GAAAAAAAAA」


 ワーウルフが吠えるだけで、周囲に熱波が広がる。石畳は赤熱し、テントは燃えて逃げ回る人々。阿鼻叫喚の事態だ。

 まさしく規格外と称されるにふさわしい。

 その規格外の存在の炎爪がハームレスに振るわれた。

 巨体にしては素早い。だが、避けられる。


「くっ」


 溶けてマグマのようになった石畳がハームレスの頬をかすめる。加えて、全身軽いやけどもしているのだろう。ヒリヒリと肌が痛む。


「近づきすぎてもダメか。けど、これなら……!」


 そこからは耐久戦だった。

 ただひたすらにハームレスはワーウルフの攻撃を避け続ける。

 三段階も格上の相手の猛攻をしのいでいた。もちろん、消耗はする。熱波による軽傷は防げない。じりじりと削られていく。

 その小さな体で何倍もある巨大な敵に立ち向かう姿は、その場にいる人々にとっては間違いなく英雄だった。

 

 しかし。


「まじかよっ!」


 間合いは完全に把握していたはずだった。パーティにおけるハームレスの役割は回避型のタンクである。要は敵の攻撃を引き付ける役割だ。故にワーウルフの特性については理解していた。

 それでも、ワーウルフの炎爪が突然拡張するなど誰が予想できるものだろうか。

 

「足にポイントを追加!」


 咄嗟の下半身強化で直撃は避ける。目の前で炎爪が石畳をえぐる。その衝撃までは避けられなかった。

 ハームレスは石畳をゴロゴロと転がり、屋台にぶつかって止まる。

 服は焼け溶け、全身打撲と火傷でもう動けない。

 どすん、どすんとワーウルフが向かってくる。

 その大きな顎がハームレスを飲み込まんと迫ってきた。


「この賭けは、僕の勝ちだ……!」


 絶体絶命の状況に反して、ハームレスは不敵な笑みを浮かべて目を閉じた。

 普通なら致命的な隙ではあるが、もはや大勢は決した。


 ハームレスが目を見開くと灼熱の世界だったはずが、氷の世界へと変貌していた。

 火災で燃えていたテント、地面、そしてワーウルフ。そのすべてが凍っていたのだ。


「よくがんばりましたね。あなたのおかげで多くの人々が助かりました。ゆっくり休んでいてください。あとはこの私が引き受けます」


 ハームレスを守るように一人の英雄が立っていた。

 氷の世界に舞い降りた天使のごとく、その姿は美しかった。中性的で男とも女とも取れる姿。青い長髪を後ろでくくっている。眼鏡の奥にある青い瞳はやさしくハームレスを見つめていた。

 この容姿で女ではないことが驚きだ。


「共感の英雄様だ!」

「完全平和都市の守護者様!」

「ホオズキ・アルメリア様!」


 火災を凍らせたこと、何よりこの都市唯一の英雄が到着したことで商人たちは希望の喝采をあげる。


「GAAAAAAA」


 もちろん、ワーウルフも黙ってはいない。

 雄たけびと共に、自身を包んでいた氷を炎の勢いで弾き飛ばした。


「まだ完全ではありませんね。力を奪いに来たわけですか。ですが搾りカス。憑く相手を間違えましたね」

「わっ」


 地震が起きたかのような揺れにハームレスは驚く。

 しかし、それはただ英雄が移動のために地面を蹴っただけで起きたものだ。

 あまりの速さに目が追いつかない。一瞬のうちに、ワーウルフも英雄も姿を消した。次の瞬間には上空に打ち上げられたワーウルフと氷に包まれた左手をワーウルフにかざす英雄がいた。

 英雄の輝く足に血がついている。おそらくワーウルフを蹴り上げたのだろう。


「氷獄乙女(アイスメイデン)」


 氷の左手から冷気が溢れ出し、乙女を作り出す。もちろん人間ではない。無機質にして残酷。アイアンメイデンという女性の形を模した拷問器具があるという。

 作り出された氷の乙女はアイアンメイデンに酷似していた。

 氷獄乙女の胴体部が開き、中から氷の鎖が飛び出してワーウルフを拘束される。

 ワーウルフが暴れ狂うが振りほどくことはできない。そのまま氷獄乙女の中に取り込まれ、ぐしゃという音がする。

 氷獄乙女の瞳から、溢れ出した青い血液がまるで涙のように流れ落ちた。


「すごい……!」


 圧倒的な力を前に、ハームレスはまるで純粋な少年のごとく目を輝かせ羨んでいた。


「仕留めきれなかったか」


 氷獄乙女が溶け落ち、中からは赤い球体が出てきた。おそらく先ほどのワーウルフの核となったものだろう。

 核は揺らぎ、まるで蜃気楼のようにその場から消え去ってしまった。

 英雄は口惜しそうに顔を歪めるが、それに反して助かった人々は喝采をあげる。

 口々に英雄を褒め称える言葉が飛び交う中、英雄が否定する。


「今、この場で称えられるべき存在は私ではありません。ここまで被害を抑えられたのは都市の守りに協力してくれた多くの冒険者と自身より強大な敵に立ち向かい、命を懸けて戦い抜いた彼にこそ与えられるべきだ」


 英雄がハームレスに近づき、触れる。暖かい光が全身を包み、体の傷がすべて癒された。

 あの戦闘力に加えて治癒能力。英雄にして、この都市唯一のS級冒険者。底が知れない。


「立てますか?」

「ありがとうございます」


 ハームレスは立ち上がった。


「今まで、この都市には私しか英雄がいなかった。だが、ただ一人、強大な敵に立ち向かった彼もまた英雄足りえる存在だ。彼こそが、私に次ぐ二人目のS級になるだろうと確信しています」


 静寂が商店街を支配する。

 なぜなら、これはハームレスが英雄の後継者だと言わんばかりの発言だからだ。

 あまりにも突然すぎて、ハームレス自身頭が真っ白になった。


「え? あの、なんで?」

「ハームレス・ラフィングに盛大な拍手を」


 そして割れんばかりの歓声と拍手が響く。


「新たな英雄様の誕生だ!」「小さな英雄!」「かっこよかったぞ!」「助けてくれてありがとう!」


 こうしてハームレスは否定する間もなく、英雄の後継者として祭り上げられてしまったのである。

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