3
前世の記憶が蘇ってから初めての夜。
あれからラーティアが寂しそうに屋敷に帰って行ったが、ワッツが願うのは彼女の無事だ。
ラーティアは、公爵の承諾なくワッツに会いに来ていた。それを何度も注意されていたが、それでも構わず今日も心配して顔を見せにきてくれたのだ。
聞けば、額に乗せられていた冷たいタオルは、ラーティアがわざわざ用意してくれたものだった。マリスの息がかかった侍従には任せられないという理由からだ。
事実、ワッツの世話はおざなりで、高熱でうなされていた時も放置していたらしい。それを知ったラーティアは、マリスの目を盗んで会いに来てくれていた。
それもとうとうマリスに見つかり、今頃公爵に告げ口をされて罰を受けているかもしれない。そのことを考えれば、本当に申し訳なく思う。
オルド公爵は、ラーティアのことを愛しているから、さすがに殺しはしないはずだが、マリスの説得により、キツイ罰が下されている可能性は十分にある。
「くそっ……今の俺じゃ何もできねえ……っ」
どれだけ声を嗄らしても、ワッツの声が、想いが、オルド公爵に届くわけがない。ここから出ようにも、今の自分の力ではどうしようもない。
この軟弱な子供なのが恨めしい。今も、少し身体を動かしただけで疲れてしまう。
(そうだ……落ち着け。原作通りなら、まだ母上は生きてるはずだ)
現在、原作を壊すような動きはしていない。そもそもこの状況でできるはずもない。
だからこそ、今後の展開が読める。
ラーティアは、マリスの計略によって、ワッツが十歳の誕生日に殺されてしまうのだ。
つまりあと四年は、ラーティアの無事は確定されているはず。だが、四年後に彼女の命が奪われるということも、このままでは間違いなく起こるイベントだ。
(なら俺ができること……まずは身体の調子を整え、鍛えて、その時になって母上を守れる力を持つことだ)
原作のワッツにとって、数少ない信頼できる人物であり、最後までワッツの身を案じてくれる存在だ。
そして、そんな存在を失ったからこそ、天涯孤独となったワッツは、心が蝕まれ闇に飲み込まれていくことになる。
孤独に苦しむ中、ラスボスに付け込まれ利用されてしまう。そのまま坂道を転がるように堕落し、悪逆非道を突き進む最低の悪役を形成していくことになる。
ただ、言い換えればラーティアを守ることにより、最悪の未来を覆すことができるのだ。
(今は無力だ。けど……この四年でできることはある!)
幸いにも、和村月弥には原作知識があり、どうすれば力を得られるのかも熟知している。
ならワッツのトゥルーエンドのためにも、今から備えるべきだ。
そう考えて、思わずなるほどと頷く。
(そうか、これがもしかしたらワッツの物語を作るってことなのかもな)
ゲームでは描かれていなかったストーリー。それを他ならぬ『霊剣伝説』ファンである自分ができることに興奮が抑えられない。
確かに失敗する危険もあるし、より最悪なルートに突入することだってあるかもしれない。それでも……。
(それでも俺は、ワッツの救済ルートを見たいんだ!)
断固たる決意を秘め、ワッツは早速自分を鍛えることにした。
(そのためにも、〝霊気〟を扱えるようにならねえとな)
霊気――それは、この世界において重要なエネルギーの名称。
簡単にいうと、気力や魔力といった、ファンタジー的な力のことである。
霊気といえば、陰陽師とか退魔士などが行使する霊能力のエネルギーかと思うが、この世界では少し違う。
この霊気を様々なものに干渉させ、強化や増幅することが可能で、圧縮・収束させて実体化させるなどといったこともできる。ただし、基本的には人それぞれによって出来ることは偏る。つまりは特化タイプが多いということだ。
霊気というのは誰もが持つ〝魂魄こんぱくの力〟なのだが、魂は精神、魄は肉体、それぞれから抽出して物質化することができる。
誰もが身に着けられる霊気ではあるが、質や量において圧倒的に貴族が優位に立ち、扱い方も上手い。逆に庶民は、霊気があっても微量過ぎたり質が悪く、扱えないといったパターンが多い。だからこそ、この世界では、貴族は選ばれた存在として扱われている。
そして、霊気を扱える者を『霊道士れいどうし』と呼ぶ。
「ま、平民でも強え奴は強えけど」
そもそも、霊気の質や量ですべては決まらない。霊気は道具と同じだ。つまり扱い方次第で強者にも弱者にも成り得るというわけである。ただ、確かに最初から優れた道具を持っている貴族の方が有利なのは否めないが。
「とりあえず、まず必要なのは霊気の自覚だったよな」
原作知識をなぞりながら、ワッツはテーブルの上を見る。
「これがあってちょうど良かったわ」
そこには水が入れられた洗面器が置かれている。これはラーティアが、ワッツの看病をするために用意したもので、あれからずっと放置されていた。
ワッツは洗面器を持ち上げ、少しよろけながら床にそっと置く。そして、その手前に両膝をついた。
チャポン――と、右手を突っ込み洗面器の底に触れる。
「よし、じゃあやるぞ――《
それがこれから行う儀式の名称。
右手をそのままに、目を閉じてこう――唱えた。
「――――〝
すると洗面器の水に揺らぎが生じ、次第に赤々と変色し、スライムのような軟らかな固形物へと変貌する。そして、そのまま〝木〟のようなものを模っていく。手の甲に根を張った〝木〟は、幾本もの枝を生み出し大きくなっていく。
「お、おお~!」
思わずその光景に唸る。何故なら、こんな現象、この世界でしかありえないから。
何の変哲もない水の中に手を入れて、文言を唱えただけなのに、不可思議な現象が起こっている。それに年甲斐もなく心が躍った。
しばらく感嘆しながら見つめていると、〝木〟の成長がピタリと動きを止めた。
「ここまで、かな。マジでゲーム画面で見た通りだな――《
それは《霊樹》と呼ばれ、霊気を操る才を確かめるための指標。
「まあ、他の連中と違って赤いけどな」
本来は霊気というのは蒼穹のような色をしている。だから、この《霊樹》も、美しい蒼を彩っているのだが、ワッツだけは特別だった。
見た目は、緋色に彩られた美しい珊瑚のようにも思えるが、大切なのは〝枝の数〟だ。
「一、二、三………………………………三十三? ……うん、三十三本だな」
何度も数えて、間違いなく三十三本の枝があることを確認した。
この枝の数が示すのは、自らの身体の中に巡っている〝
《霊象神経》とは、霊気を発現させるための媒介となる神経のこと。この神経の数の違いで、霊気量や質、覚えられる技術の種類などに差が生まれてくる。
「やっぱりワッツの《霊樹》は壮観だよなぁ。普通の奴はこんな大きくもないし枝も少ないしな」
貴族を例に挙げれば、《霊樹》の大きさは、平均でニ十センチメートルほどで、枝も十本あれば優秀の枠の中に入る。平民では、そのほとんどは一桁台が精々だ。
しかし、ワッツの《霊樹》の大きさは一メートルを超え、規格外ともいえる三十三本もの枝を備えていた。これは、ゲーム内でのキャラクターの中で最も多く、最強キャラとも呼び声高いワッツの特徴である。
「とにかくこれで、間違いなく俺が霊気を操れるってことを認識することができた」
この認識が一番大事。たとえ才があっても、認識できていなければ宝の持ち腐れになってしまうのだ。
故に、この《霊覚の儀式》は誰もが必ず通るもの。そうして、自分に〝力〟があるかどうかを調べるのである。
儀式を経て、力を認識し、同時に精神と肉体が覚醒する。それまで眠っていた《霊象神経》が活動期に入り、いつでも霊気を生み出すことが可能となるのだ。
だが、当然最初から未知なる力を使いこなせるわけではない。認識に至っても、扱い方を学ばなければ、それもまた無用の長物と化してしまう。
だからここで慌ててはいけない。ここからが大切なのだ。
「よし、次だ。自分の心臓から、三十三本の神経が全身に伸びてるってイメージするんだったな」
原作知識を追いつつ、目を閉じ意識を集中させる。
心臓から一本一本、神経が手や足の末端にまで伸びて、そこで息づいている感覚をイメージする。
すると、三十三本のうち、三本ほどの神経が熱を持ったように温かくなってきたのを感じた。同時に、手の甲から生えている《霊樹》の枝も三本だけが淡く輝いている。
「むぅ、初回は三本……か」
実は、いくら多くの神経数を持っていたとしても、そのすべてを扱うには絶え間ない努力が必要になる。
例としてあげれば、十本の神経数を持っているとして、修練不足で発揮できるのは二本の神経だけだとする。
仮に全体で100という霊気量があるとすると、十分の二――つまり20の霊気しか使えないということだ。それでは自分の力を十全に扱えているとは言えない。
ちなみに、この100という数量を――潜在霊気量と呼び、20という数量を――行使霊気量という。
ワッツの潜在霊気量が、最終的にどれほどのものになるかは分からないが、初期は三本。つまり三十三分の三程度の霊気しか今は扱えないということだ。
これも訓練などで扱える神経を増やすことはできるが、神経数そのものは生まれついてのものであり、増やすことはできないとされている。
実際、元々三本しか神経を持たない者でも、霊気の扱い方次第で強者にも弱者にもなる。要は強くなるには修練が不可欠だということだ。
「あとは、この三本の《霊象神経》から、霊気を抽出しなきゃならねえんだけど……」
そのためには、イメージが絶対的に必要らしい。
神経から霊気が溢れ出てくる感じをイメージするとのこと。
ワッツが《霊樹》から意識を外すと、すぐさま形が崩れて元の水に戻り、洗面器やその周囲に飛び散った。
「やべっ!? ……まあ、水だしそのうち乾くか」
ワッツは半分ほどの水量になった洗面器を持ち上げ、再びテーブルの上に戻した。そのあとに、ベッドに腰かける。
「う~ん……霊気の抽出か。なかなかイメージしにくいけど、長い管から湯気みたいなもんが溢れてくる感じ……かね?」
静かに瞼を閉じてイメージしてみる。
すると、徐々にだが、身体の中から何かが滲み出てくるような感覚が得られた。
ゆっくりと目を開けてみると、全身から僅かながら紅い靄のようなものが出ているのを発見する。
「お、おお! これだこれ! ゲームで見たまんま! これが霊気かぁ!?」
テンションMAX。これぞ男の子が、夢にまで見たオーラ的なやつ。
「えっとえっと、次は何だったっけ?」
最高潮に興奮しており、その表情は無邪気な子供のそれである。
次の工程は、冬に風呂から上がった時みたいに、身体から無造作に噴出している霊気を、自らの意思で操作できるようにすること。
まずは右手だけに集中して、そこから立ち昇っている霊気が、拡散したり集束するよう意識をした。
ズズ……ズズズズ………。
ほんの僅かながら、霊気が揺れ動くのが分かる。
「っ……よ、よし……っ!?」
直後、強烈な目眩が襲い掛かり、気づけばぐったりとしてベッドに倒れてしまっていた。
そこで初めて自分の身体が、大量の汗で塗れていることに気づく。
(うわ……これ全部俺の汗かよ……!?)
シーツを濡らすほどの量だ。それはまるでサウナにでも入ったあとのよう。どうやら集中し過ぎて、相当身体に負担がかかっていたことに気づいていなかったらしい。
「ぐっ……くそっ」
起き上がろうとするが、身体に力が入らない。下半身はベッドの外、身体はL字になっているので、このままだとズルズルと滑ってベッドから落ちてしまいかねない。
ワッツは、衰弱した身体を必死に細かく動かして、上半身をベッドの中央付近へと移させ、何とか仰向け状態で安定させることはできた。
「はあはあはあ……ふぅぅぅ……」
まさかちょっと霊気を出しただけで、ここまで疲弊するとは思わなかった。主人公も初めての霊気操作は苦労していたが、すぐにぶっ倒れるようなことはなかったから油断していた。
(そりゃ主人公が力に目覚めるのは十四歳だったもんな。それに本格的に学ぶのは十五歳。今の俺は六歳で、しかも栄養不足で虚弱化してる。こうなるのは当然だったな)
夢にまで見たファンタジーな能力が使えたことに嬉々とし過ぎて、ワッツの体調を考慮できていなかった。
霊気とは魂魄の力。当然使えば肉体も精神も疲労してしまう。限界を超えて行使すれば、廃人となった場合もある諸刃の剣でもある。
(……焦るな、俺。まだ時間はあるんだ。ゆっくりだ……ちょっとずつ修練していこう)
それからワッツは、毎日できるだけ体力を温存するために、ベッドから起き上がることはなかった。
そして、その状態のまま霊気操作を行う。そうすれば倒れることはないし、疲れればそのまま眠ることもできる。周りから見ても不審に思われないだろう。
すべては、力を身に着けるために――。
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