猫好き40 OVER

国樹田 樹

第1話 聞こえた『声』は誰のもの?

 ―――人には誰しも、何かしらの『特技』がある。


 それは他者から公式に評価されるような素晴らしいものであったり、ほんの些細な―――ただ毎日花に水やりをするというような小さなものまでと様々だ。


 『自分には取り柄がない、やりたい事も、出来ることも何も無い』という人間を多く見かける。

 けれどそう言う人ほど、何か隠されたものを秘めている―――


 そう、私は思っている。


 ―――そして。


 この私自身にも、ある『特技』があった。



「おい谷村!! 谷村明日香(たにむらあすか)! てめぇ聞いてんのかコラっ。明後日の足立物産に出すサンプル、もう出来てるんだろうな!?」


「うあああああすいません梶原部長無理ですまだ依頼元から届いてないんです~~~っ!!」


 朝から怒号や溜息、FAX音から電話からもう職場のありとあらゆるものが鳴り響くこの現場で、私はすでにパニックを起こしていた。


 現在八時四十二分。

 始業約十分にして、絶望と焦りが私を襲う。


 時節は年末繁忙期真っ只中。師走と書くだけあってどこもかしこも忙しい。

 そんな中、自分の抱えている仕事にアクシデントなんぞ起ころうものなら、すぐさま胃に穴が空いてもおかしくない。


「小此木(おこのぎ)の野郎……っ! アイツ今度会ったらコロス……っ!」


 バタバタと忙しなく働く同僚達の中、膨大なメールと書類チェックをこなしつつ、内心物騒なセリフを吐いていた。


 ―――どうすんのよサンプルっ! 間に合わないかもしれないなんて―――っ!


 今年最後のレセプション。これが終われば、やっと年末年始の休みに憂う事なく突入出来る。


 その筈だったのに。


 そこで使われる筈の商品サンプルが、担当者である私の手元に届いていないのだ。

 明日の午後には飛行機で取引先へと向かう予定だというのに―――未だに。


 それというのも、同期入社で同部署である小此木祐二(おこのぎゆうじ)が、サンプルを依頼元に取りに行くといったまま帰ってこないからだった。


 「営業先の帰り道だから、俺にまかせとけ!」って言ったのに。

 事故にでも遭ったのかと心配して連絡してみれば、まさかのまさか。


 『んあ~? 谷村ぁ?……ぅうげすまん俺二日酔い……っ。』


 宿泊先のホテルで、あろうことか飲んだくれて寝ていやがった。


 小此木曰く、最近関係が微妙になっていたらしい幼馴染の彼女へと宿泊先から連絡したところ、繋がらずメールで一通「別れましょう」の一言が送られてきたらしい。


 ショックなのはわかる。ショックなのはわかるが。


 仕事に私事を持ち込むな! と怒鳴りたくなったこっちの心境も考えて欲しい。


 こんな事なら、他の仕事ほっぽり出してでも自分で取りに行けばよかった。そう思うけれど後の祭りで。

 抱えていたいくつかの案件が期日に迫っていたせいもあって、渋々小此木に頼んだと言うのに。

 奴はお調子者ではあるけれど、悪い人間ではない。


 タイミングが悪かったとは思うけど、でも―――っ。


 飲んだくれるなら帰ってきてから(サンプルを私に渡してから)にしろっつーのっ!


 仕事は仕事。私事で何があろうが、約束したのだからそればっかりは守ってもらわないと大変困る。というか実際問題めちゃくちゃ困っている。


 サンプル自体は、現在ホテルでブッ倒れている小此木の手にあるのだけれど、今日の便を二日酔いでキャンセルしたため(ありえない……)年末のこの時期埋まりまくった飛行機の便が空く筈もなく、最短で帰社できても明日の夕方くらいになるだろう。


 そして私が取引先の足立物産へ向かうのが、同じく明日の夕方で。


 ―――間に合うか。


 ―――間に合わないか。


 非常に焦る状況である。

 ちなみに間に合わなかった場合の事は、正直考えたくもなかった。


「谷村! 三番に電話だ。お前出ろ!」


「はいっ!」


 そんな感じで焦りとパニックと怒りでどうするかと考えていると、部署のボスである梶原部長から声がかかった。


 はいはい電話ですねわかりましたよでますよってかどうすんだよサンプル!


 自身の思考内での口調が悪くなっているのに気付きつつも、三番の回線ボタンを押して言葉を放つ。

 ったく誰よこんな時に電話してくる人は!


 若干の苛立ち紛れに「はい、変わりました谷村ですっ」と言った矢先。

(あああ私本当に余裕が無いわ。)



「総務の黛(まゆずみ)だ。梶原からサンプルがまだ届いていないと聞いた。小此木の宿泊先を教えてくれ。今から取りに行く」


「―――へ?」


 素っ頓狂な声が出た。

 思いもよらなかった怒涛の開口一番に、パニクっていた頭がついていかない。


 ―――今、誰って言った?


 まゆずみ。

 となんだかやたら古風な苗字が頭に浮かんで思い出す。


 黛? ってあの総務の黛部長?


 渋くて強面の―――前世はヤ○ザか任侠映画の俳優みたいな顔をした―――あの黛部長!?


「え、あの」


 混乱に混乱が重なり言葉に詰まっていると。


「……休暇で、小此木と同県に居る。サンプルは俺が持っていくから、どこに滞在しているか教えてくれ。急ぎなんだろう?」


 淡々と、まるで数値か何かを読み上げる様な平坦な声に、私の頭が我に返った。


 ああそうだ。パニクっている場合じゃない。なんて有り難い申し出なんだろう。

 渡りに船とはこの事だ!


「ありがとうございます! 助かります! 小此木が止まってるのは真城町にあるハイラムというビジネスホテルです! 良ければメールで地図情報お送りします!」


「了解した。社用のパソコンは持ってきているから送っておいてくれ。受け取り次第そちらに向かう」


「お待ちしてますっ!」


 受話器を置いてから、私はさっそく社用アドレス一覧から黛部長へと小此木の滞在先情報を送信した。

 黛部長がどこにいるのかは聞かなかったけれど、同県内なら今からなら十分間に合うだろう。


 サンプルが手元に届くまで気は抜けないが、それでも先ほどまでの絶望的な気分は消え、私はほっと胸を撫で下ろしたのだった―――



◇◆◇


 現在夜の八時半。


 出張帰りなのか、大きなスーツケースを手にしたビジネスマンや、一見して外国人だとわかる人、どこか旅行にでも行ってきたのであろう思しき人々が、まばらに行き交う空港内。

 待合のロビーでは、次の便を待つ人などの話し声が響いていた。


 その中で、私はある人を探していた。


 ―――そろそろ出てくる筈なんだけど。


「あ、いた」


 中くらいの黒いスーツケースと、白い紙袋を手に真っ直ぐこちらへ歩いてくる一人の男性がいた。


 名前は黛慶次(まゆずみけいじ)。

 百八十は有に超えるであろう長身と服越しにもわかる胸板の厚いがっしりとした体躯は、今年四十歳になるとは到底思えない。

 撫で付けられた黒髪は隙が無く、年齢より引き締まった顔つきにのるキツイ三白眼はまるで、怒気を孕んでいるかのように恐ろしい。


 今日はオフであった筈の彼の姿は、よくあるデニムとジャケット姿だった。だと言うのに、それがさながら任侠映画の極道スーツに見えてしまうのは、彼の特徴一つ一つが一般人とはかけ離れているためだろう。


 というか……ほんとにカタギの方ですか……?

 あまりの空気感に、声を掛けるのを躊躇った。


 しかし真っ直ぐ私の所まで来た黛部長は、表情そのままにこちらを見下ろし、手にしていた紙袋を差し出した。


「待たせたな」


 男性らしい低い声が、ややぶっきらぼうに耳に届いた。


 若干恐怖に慄きながらも、私は差し出された紙袋を受け取り、そのままこれでもかと言うくらいに頭を下げた。


「とんでもありませんっ! 本当に助かりましたっ。あと、休日なのにお手間をかけてしまって申し訳ありませんでしたっ!」


 見た目恐かろうが何だろうが、黛部長はまさに私の救世主だ。


 ほぼ九割諦めていたというのに、彼のおかげで首の皮一枚繋げる事が出来た。一歩間違えば、これまでの信用も、営業マン達の努力も、全て無に帰してしまうところだった。


 感謝してもし足りない。


「いや、気にするな。たまたま近くにいただけだ」


 黛部長は再びぶっきらぼうにそう答え、紙袋の中身を確認する様私に促した。


 うん。問題ない。


 小此木の宿泊ホテル情報と一緒に、サンプルについてのデータも送っておいた。

 (万が一中身が違うなんて事の無いように)なので黛部長も現地で確認してくれている。


「ありがとうございます。これで明日無事レセプションに望めます」


 サンプルを手にできたことにホッとして、つい笑みが溢れる。追加で口にした感謝の言葉は、本当に本心からのものだった。


 しかし。


 「ああ」と短い返事をした黛部長の声と一緒に、あるもう一つの『声』が重なった。


 その『声』に、私の全身が硬直する。



【役に立てて、良かった】



「―――え?」


 突然響いた脳内の声に、思わず目を見開いた。


 久方ぶりに感じる感覚に、胸の鼓動が大きくなって、視界がふっと宙を舞う。


「っ……」


 ぐらり、と身体が揺らいだ。


 流れ込んできた『誰かの感情』と自分の思考が綯交ぜになって、車酔いしたみたいな感覚になっていく。

 思わず足を踏ん張るけれど、長いブランクの為か咄嗟には力が入らなかった。


 ちょっと待って―――なんで今、この感覚が―――まさか―――。


 目の前の人物に視線をやった。いや、凝視したと言ったほうが正しいかも知れない。


 恐い顔をした大柄な男性が、驚きに目を見張りながらこちらを見つめていた。


【谷村……っ!】


 その心の中で、私の名を呼びながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る