母ふたり子ひとり

@d-van69

母ふたり子ひとり

 ヨシキと二人、部屋でゲームをしていると、母がお菓子を差し入れてくれた。ごゆっくりと言い残してドアが閉じられるとすかさず友人が口を開く。

「やっぱお前の母ちゃん、すげえ美人だよな」

「そうか?」

「うん。めっちゃ綺麗だぞ。お前はぜんぜん似てないけど」

「ほっとけ」

「ってことは、お前は父ちゃん似だな。美女と野獣だ。そうだろ?」

 そう問われても僕には答えようがない。そのことについてはヨシキも知っているはずだが失念していたのだろう。その証拠に彼はテレビ画面に目を向けたまま、気まずそうな表情で短く言った。

「あ……ごめん」

 そう。僕には父の記憶がない。物心がついたときにはすでに家にはいなかった。離婚したのか、亡くなったのか、詳しい事情は全くわからない。母に尋ねてもはぐらかすばかりでちゃんと教えてくれないし、父の痕跡を見つけるために家捜ししたこともあったが、写真一枚すら見つからなかった。

「いいよ。気にするな」

 口ではそう応じるものの、頭の中では常々抱いている疑問が渦巻く。

 なぜそれほどまでに母は父の存在を消そうとしているのか。いやな思い出でもあるのか、それとも僕に明かせない何がしかの理由があるのだろうか。まさか僕の出生に秘密でもあるんじゃないだろうな?例えば、僕が私生児であるとか、母と僕は本当の親子じゃないとか……。

「うわっ。しまった!」

 ヨシキの声で我に返る。テレビ画面にゲームオーバーの文字が躍っていた。



 ある日、学校から家に帰ってくると、ちょうど玄関から見知らぬ誰かが出てくるところだった。母と同年代くらいの女性だ。彼女はこちらに気づかぬまま、僕とは反対方向へと進路をとり、そのまま去っていった。

 しばらくその後姿を眺めてから家に入る。

 ダイニングに母がいたのでただいまと言ってから、

「今の、誰?」

「会ったの?」

 血相を変えた母が僕に詰め寄った。それは今まで見たことのない表情だった。

「ううん。出て行くのを見ただけ」

「しゃべってないのね?」

「うん」

 一瞬安堵の表情を見せた母は、取り繕うような笑顔を浮かべると、

「あの人ね、お母さんの古い友だちよ。近くまで来たから寄ってくれたの」

 嘘だ。咄嗟にそう思った。母のその焦りよう。それに、テーブルにもキッチンのシンクにもお茶を出した痕跡がない。旧友がたずねて来たというのになんのおもてなしもしないなんてことがあるだろうか。きっと招かれざる客だったに違いない。

 脳裏にまたぞろ抱いていた疑問が沸き起こる。

 でも、それを口に出すことなく、

「そうなんだ」

 笑って見せてから自室へと向かった。



 週末にヨシキとショッピングモールをぶらぶらしていると、雑貨屋の店頭で見覚えのある姿を見かけた。

 あの日から、動揺する母を目にしてから、僕はそのことばかりを考えていた。母が旧友だと偽った女性はいったい何者なのか。

 今がそれを確かめる絶好のチャンスだ。

 しばらくそのまま歩き、家電売り場に足を踏み入れたところで、

「悪い。ちょっと腹が痛くなってきた。トイレ行くからこの辺で時間つぶしといて」

「おお。わかった」

 友人をそこに残して来た道を戻る。幸いまだ目当ての女性は雑貨屋の前にいた。

 マグカップを物色しているその背後から声をかけた。

「あの、すみません」

 振り向いた彼女は目を丸めた。明らかに僕のことを知っているような反応だ。

「この前、うちに来てましたよね?」

 躊躇いの表情を見せた彼女はきょろきょろと辺りを見渡すと、

「一人?」

「うん。友だちも一緒だけど今は電器屋にいる」

「そう。こんなところで話すのもなんだから、座れる場所に移動しない?」

 異論はない。僕を知るこの女性は何者なのか。ゆっくり話を聞こうじゃないか。

 僕の想像が当たっていないことを祈りながら、歩き出す女性のあとに続いた。



 フードコートの一番端、人気のない席で僕らは向かい合った。

 改めてその顔をちゃんと見るうち、嫌な予感が胸を掠めた。どことなく僕と似ているような気がするからだ。

 彼女も僕のことをじろじろと見ると、深々とため息をついた。

「こんなに大きくなって……」

 今にも泣き出しそうな顔だ。

「僕のこと、知ってるんですか?」

 彼女はしばらく逡巡していたが、観念したように口を開く。

「そっか。私のことはなにも聞いてないのね。そりゃそうよね。あの人からは、あなたに近づくなってきつく言われていたんだもの。あなたが混乱するからって。でも、あなたのほうから来ちゃったんだからしょうがないわよね」

 最後は自分に言い訳するような口ぶりだった。

「もちろん、あなたのことはよく知ってるわ。だって、私はあなたの母親だもの」

 予想していたとはいえ、いきなり突きつけられた現実に心臓は早鐘のように高鳴った。

「母親?本当の、ってことですか?」

「そうよ。私が本当のお母さん。お腹を痛めてあなたを産んだのは、この私なの」

 やはりそうだったか。以前から抱いていた母の言動に対する疑問が、まさかこんなかたちで氷解するとは思いもよらなかった。いや、今まで母だと思っていたあの人は赤の他人なのだが……。

 それにしたってなぜ母は、本当の母はなぜ今頃になって姿を見せたのか。今までどこでなにをしていたのか。どうして僕を捨てたのか。そして、僕の父はどこの誰で健在なのか。

 矢継ぎ早に質問を口にすると、母は慌てたように首を振った。

「捨てるだなんて、そんなつもりはなかったのよ。ただ耐えられなかったの。あの人が、女である私よりも綺麗になっていくことが。だから私は家を出た。あの日あの家に行ったのは、どうしてもあの人の署名が必要な書類があったからよ。あなたがいない間にと思っていたんだけど、見られちゃったみたいね」

「ちょ、ちょっと待って。女である私よりあの人が綺麗になる、ってどういうこと?あの人って、育ての親のことですよね?」

「なによその言い方。あの人だって本当の親でしょ」

「いや、本当の親はあなたですよね?」

「私は母親。あの人は父親よ。私と別れてからは母親になる決心をしたみたいだけど」

 頭はパニックになるがこれだけは言える。

 僕には父の記憶がない、ことはない。

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