スクラップコント

@kei_mura

プロローグ

芸人という世界で生きていくために必要なものが何か知っているか?

 センスだとか、場の空気を察知する瞬発力だとか、もっともらしい言葉はいくらでも出てくるだろう。それか、業界のことをハンパに聞きかじったヤツは、世渡りだとかディレクターに逆らわないことだとか言うかもしれない。バイト先の売れ残りのパンが主食の生活をさらに何年か続けると、売れるか売れないかは運だとか言い始めるヤツもいる。

 俺が考える答えはそのどれでもない。正解は案外シンプルだ。俺たちの仕事が人を笑わせることである以上、笑いが全て。大きな笑いを起こすんだ。センスでも理屈でも技術でもない。ただ、笑わせたヤツが勝つ。もう少しでヤレそうな女に無理やり連れてこられたダルそうな兄ちゃんも、浅草の寄席と間違えて来たみたいな顔で口を開けている爺さんも。その横の空席ですら。全てを笑いの渦に巻き込む。そのための準備を俺たちはしてきた。俺の隣で出番を待つ雅之の顔は、別段いつもと変りない気がした。

 前のコンビのネタが終わったら、爆音と暗転の中、それぞれの立ち位置につく。その瞬間、俺たちは大学時代からこのどうしようもなくつまらない人生に同乗させてしまった主犯と被害者ではなくなる。十三年間を共にしてきたコンビ、うれたんずとして客を笑わせるためだけの存在になる。

 前のコンビのネタが終わったらしい。まばらな拍手とともに、うれたんずが現れるまでの一分間。暗転の中で俺と雅之はスタッフとともにソファーなどの小道具を配置しながら立ち位置についた。部屋で二人、ソファーで向かい合う大学生二人という地味な始まり。水色のパーカーを着て相談事がある、と切り出す役の雅之の姿はうれたんず結成三年目のあの日に似ていた。言いにくそうに俯き、組んだ両手を離さない。親指の先だけが、そこで米粒でも練り潰しているかのように延々回っていた。どれだけ時間がかかったか覚えていないが、あの日とうとう雅之は言った。

「芸人を辞めたい」

 あれから十年だ。正しかったのは、続けさせた俺なのか。それとも雅之の言う通り芸人を引退していれば、親族友人に後ろめたさを感じるような人生にはならなかったのか。

「雅之」

 会場の音楽が小さくなっていき、うれたんずの出番が近づいてくる。恐らく、十秒も残っていないだろう時間に俺は雅之に話しかけた。

「悪かったな」

 自分でも、何に対する謝罪なのか分からなかった。雅之は、人生が変わるかもしれない大舞台を前にした俺の世迷言をただ笑った。ふっ、と噴きだし、客席から顔が見えるだろうギリギリの時間まで声を噛み殺して笑っていた。驚いたことに、俺自身も笑っていた。舞台の上でなければ、床に転がって手を叩いて笑い出してしまいたかった。

 いけるかもしれない、そんな気がした。俺たちは十三年目にしてようやく初めて、舞台上で心の底から笑ったのだ。このホールに集まっている客や審査員を笑わせることなど、造作もないことのように思えた。

 音楽が止み、舞台上のうれたんずが客前に露わになる。

「あー、どうしようかなあ」

 最初のセリフを口にした雅之は、コントの中の悩める大学生になっていた。十三年間の中で最高のステージになる。俺はそう確信していた。

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