花ひらく想い


「う……あれ……?」


シトラスはうっすらと目をひらき、ぼんやりとした頭で状況を把握しようと試みた。

確か、カフェに来ていたはずだ。だけど魔獣が現れて─


そうだ、とシトラスは思い出す。


エリックに連れられてカフェの店内から逃げようとしていたら、突然地震のように建物全体が揺れた。そして天井が崩れ落ちてきて─そこから先の記憶がない。


「気が付きましたか?」


頭上で声が聞こえて、反射的に見上げる。エリックだ。


「エリックさん……私たち、」


「生きています。ここは崩れてきた瓦礫の下です。……と言っても、運良く隙間が出来て命拾いしましたが」


そう言われて初めて、自分達は大きな瓦礫の山の中にいると気付く。エリックは倒れたシトラスの上に覆い被さるようにして、彼女を守っていたらしい。


シトラスが意識を取り戻したのを確認すると、エリックはゆっくりと彼女の上から身体を退かした。閉じ込められた隙間はそう広くない。立ち上がるのは無理なので、シトラスは上半身だけを起こして辺りを見回した。


隙間から外光が入り込んでいるお陰で、薄暗いながらも周囲の様子が分かる。かつてはカフェの建物の一部だったであろう瓦礫が絶妙なバランスで積み重なっていて、少しでも動いたら崩れてしまいそうなほどに不安定だ。


今でも時折パラパラと小さな破片が落ちて来ているし、いつこの空間ごと押し潰されるか分からない。


「怪我や、痛む場所はないですか?」


「大丈夫です!エリックさんは、」


大丈夫ですか、と言いかけたシトラスは─彼の姿を見て息を飲んだ。


グレーのジャケットを纏った左腕から、真っ赤な血が滴り落ちていた。出血量のせいなのか、元々色白な顔が更に青ざめて白くなっているように見える。

見ると、先ほどまで自分を庇って倒れていた場所にも血の跡があり、まだ流血が続いているらしい。


「大したことありませんよ、このぐらい」


「嘘つかないでください!血が出てるじゃないですか!何とかしないと……」


どうしよう、何か傷口を塞げるものがあればいいんだけど……と考えたところでふと思い出し、制服のポケットに手を入れる。


取り出したのは、白地に黄色い花のプリントが施されたハンカチだった。


最近下ろしたばかりで気に入っていたものだったが、シトラスは躊躇いもなくそれを細長く折り畳んでいく。


「シトラスさん、本当に大したことは……」


「いいからじっとしててください!」


エリックの言葉を遮って、シトラスは彼の腕にハンカチを巻き付けた。止血のために強めに縛ると、白い布地はすぐに赤く染まっていく。


「止血するために少しきつめに巻いています。痛いかもしれないですけど、我慢してくださいね」


きゅっ、とハンカチを結び終え、シトラスは安堵の溜息をつく。ただの応急処置に過ぎないけれど、何もしないよりはマシだろう。


「……すみません、ハンカチを汚してしまって」


「そんな事いいんです!エリックさんの方が大事ですから……」


申し訳なさそうに言う彼に、首を振りつつ答える。が、


(……って、待って。私いま、何て……)


少しの間の後に自分の口にした言葉を反芻し、シトラスの頬はじわじわと赤く染めていった。


この言い回しではまるで……


「あっいや!その、変な意味ではなくてですね!!えっと、今は緊急事態ですし、命が最優先だからそういう感じのつもりで……!!」


慌てて弁解するシトラスに、エリックは小さく笑う。


「大丈夫、わかっていますよ。ありがとうございます、シトラスさん」


エリックの笑顔を直視できず、シトラスは思わず目を伏せた。心音が外に聞こえてしまうのではないかというぐらいに、高鳴っている。

おかしなことを言って、恥ずかしいからではない。彼の態度に、ドキドキしているのだ。


胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚がして苦しいのに、不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ心地良いとさえ思えるくらいだ。


この気持ちは、一体何なんだろう。


(……って、違う!こんなこと考えてる場合じゃない!)


シトラスは小さく頭を振って、心の中を支配した甘い感覚を振り払う。

そうだ、今はここから出ることを第一に考えなければ──。


ちら、とエリックの方を見やると、彼もこちらを見ていたようで視線が合った。


「あ、あの……エリックさん」


「どうかしましたか?」


首を傾げる彼に、シトラスは一呼吸置いてから告げる。


「お願いなんですが……、私がいいと言うまで、目を瞑っていてもらえませんか……?」


言いながら制服のスカートのポケットに手を入れて、その中にある変身ブローチを握りしめる。

この状況を抜け出すにはやはり、魔法を使うしかないだろう。だけど、一般人であるエリックに変身するところを見られてしまうわけには行かない。


「ごめんなさい、急におかしなことを言って……!でも、どうしても私には必要なことなんです……!」


エリックは神妙な面持ちでシトラスの言葉を聞いていたが、やがて小さく頷いてみせた。


「これでいいですか?」


エリックはシトラスに言われた通りに目を閉じる。


「ありがとうございます。少しだけ、そのままでいてください」


シトラスはほっと胸を撫で下ろすと深呼吸をし、ゆっくりと息を整えてから意識を集中する。


大丈夫、きっとうまくいくはず───自分に言い聞かせるように心の中で呟きつつ、静かに呪文を唱えた。


「『シトラス、変身(コンベルシオン)』」


瞬間、シトラスの身体がまばゆい光に包まれた。




着ていた聖フローラ学園の制服が、光の粒子に分解されて消えていく。変身の過程でどうしても、魔装を構築するために変身前に着ていたものは消えてしまうのだが、シトラスは今ほどそれが心許ないと思えたことはなかった。


エリックはシトラスの言うことを聞いて目を瞑っている。だからきっと、今の無防備なシトラスの姿は見えていないはず。


そうはわかっていても、年頃の少女にとって人前で素肌を晒すというのは非常な勇気がいることだった。


(うぅ……早く、早く終わって!)


ぎゅっ、と目を瞑りながらシトラスは祈るように両手を組み合わせる。やがてブローチからオレンジ色の光のリボンが溢れ出して、その身を包み込み始めた。シトラスの身体に巻きついたリボンは、オレンジ色の愛らしいワンピースドレスに変わっていく。


衣服を身に付けている感覚がしてようやく、シトラスは目を開くことが出来た。まだグローブやブーツが生成されている最中だが、そっと視線をエリックの方に向ける。


これだけ眩い光が狭い空間に溢れているにも関わらず、エリックは律儀に目を瞑ったまま待ってくれているようだ。そのことに安心しているうちに、シトラスの身に起きるべき変化は全て完了したらしい。


淡いオレンジ色の光が止むと─先ほどまで制服に身を包んでいた気弱な女子高生はもうどこにもいなかった。

代わりにいるのは、オレンジ色を基調とした可愛らしい衣装に身を包んだ─魔法少女シトラス。



「エリックさん、もう大丈夫です。目を開けてください」


変身を終えたシトラスは、エリックに向かって声をかける。すると彼はゆっくりと目を開けた。その瞳に魔法少女となったシトラスの姿が映るか映らないかという刹那の間に、


「『眠って(ソメイル)』」


「っ、─!?」


シトラスはエリックの手に触れ、間髪を入れずに催眠魔法の呪文を口にする。突然の出来事に対応できなかったのか、彼の身体はいとも簡単に崩れ落ちた。


その身体を支えるようにして抱き留めると、シトラスは安堵の溜息を漏らす。


「ごめんなさい、エリックさん」


謝罪の言葉を口にしながら、眠りについた彼を見つめる。罪悪感はあるが、今はこうするしかない。ここを出て、彼を安全な場所へ連れていく。そして、魔獣と決着を付けるのだ。


「……よし!」


気合を入れ直し、シトラスは魔具であるハンマーの魔槌オレンジ・スプラッシュを呼び出して手にする。片方の手でエリックを抱き抱えながら、もう片方の手でオレンジ・スプラッシュの柄を握りしめた。


「『浮かべ(フロテ)』!」


詠唱と共に、シトラスとエリックを閉じ込めていた瓦礫がふわりと浮き上がった。暗かった視界に次々と外からの光が差し込み、視界がクリアになっていく。

瓦礫が消えて立ち上がれるようになったシトラスは、エリックを肩に担いで歩き出した。


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