波乱の幕開け

芸術鑑賞会当日。学園のあるラコルト市の中央エリアは晴天に恵まれ、爽やかで心地よい風が吹いていた。


会場となっている校内ホールの観客席にはすでに多くの学生が座っている。


入り口では実行委員会の生徒が受付をしており、他校からの入場者のチェックを行っている。─余談だが、ロゼ・アルページュが演奏するとどこからか聞きつけ、明らかに学生ではない一般人が何名か校内に侵入しようとしたが、一人残らずホールに入る前に校外へと追い返されていたという。


シトラス達のクラスもホールへの移動を済ませており、今は各々が自分の席について開演を待っていた。


「えっ?それじゃシトラス、ロゼ様の練習を生で見学させてもらえたの!?」


シトラスからロゼとの邂逅の話を聞いたキルシェは、驚いて思わず声を上げる。


「う、うん……本当にたまたま通りかかって……」


「いいなぁ~~~羨ましいー!ロゼ様とどんなこと話したの?ていうか、オフのロゼ様どんな感じ?」


興奮した様子で質問攻めにするキルシェの勢いに押され気味になりながらも、シトラスは何とか答える。


「すごくお淑やかで優しい人だったよ。練習邪魔しちゃったかなって思ってたんだけど……聞いてくれている人のことを意識した方がもっと素敵な音が出せるからって、練習している曲も聞かせてくれて」


「やば!神対応じゃん!!やっぱり一流の人は一味違うんだねぇ……容姿も演奏も完璧な上に人柄まで素敵だなんて、こんなのますます推さざるを得ないじゃん……!」


目を輝かせながらキルシェは、己の推しへの熱意を再確認したようだ。


「今日の芸術鑑賞会、メインは市の楽団の弦楽器演奏だけど、ロゼ様はその前座で演奏するんだって!楽しみだなぁ~」


あんなに素晴らしい演奏をするのに前座なのか、とシトラスは目を丸くする。

世界的に活躍して実績も残しているのだから、彼女がメインであっても誰もが納得しそうなものなのに。


「ロゼ先輩の演奏がメインじゃないんだね」


「んー、そこは大人の事情なのかなぁ。そもそも学園の生徒が芸術鑑賞会で演奏すること自体が史上初の試みらしいし、今まではラコルトで活躍する楽団や劇団を呼ぶのが恒例だったからね。でも、これが大成功したらきっと新しい伝統になるかも!!」


二人がそんな会話をしていると、観客席の照明が暗転した。いよいよ始まるようだ。


会場内に開演を知らせるアナウンスが流れると同時に緞帳が上がり、スポットライトが舞台上を照らし出した。その中央に、美しく着飾ったロゼ・アルページュが佇んでいる。


(ロゼ先輩……)


舞台上のロゼは以前シトラスが会った時とは違い、華やかなワインレッドのドレスに身を包み、髪は綺麗に編み込まれて後ろでまとめられていた。軽くメイクもしているのか、いつも以上に大人びた雰囲気を纏っている。


ステージに上がる時はいつもこうなのだろうか。まるで物語に出てくるお姫様のような出で立ちに、シトラスは目を奪われる。


彼女がバイオリンを構えた瞬間、会場内から全ての音が消える。そしてゆっくりと弓を引くと、そこから美しい旋律が流れ出す。その音色に誰もが魅了され、言葉を発することすら憚られるような緊張感に包まれていた。


(ここにいる人たちみんなが、ロゼ先輩を見てる……!)


シトラスは息を呑んでその様子を見守っていた。大勢の人間が自分に注目しているという重圧など全く感じていないかのようにロゼの演奏は伸びやかで、その場にいる全員を虜にしていく。


曲は中盤に差し掛かって徐々にテンポを上げていくと共に、情熱的なメロディーへと変化していった。それに伴って会場内の熱気も高まっていくのが分かる。


やがて壮大なクライマックスを迎えて曲が終わると、割れんばかりの拍手喝采が巻き起こった。


「すごかったね……!」


拍手をしながら隣に座るキルシェに話しかけると、彼女も興奮気味に頷いた。


「うん!本当に神ってる、特に最後の盛り上がりのとことかもう最高!テンション上がっちゃうね!!」


ステージ上のロゼに視線を戻すと、彼女は優雅に一礼して次の曲に備えてバイオリンを構えようとしているところだった。


(今度はどんな曲なんだろう……)


そう思って眺めていると、壇上のグランドピアノの側にひとりの男性が現れる。燕尾服に身を包んだ壮年に見える男性は、オーケストラのピアニストだろうか。どうやら次の曲はピアノとバイオリンの二重奏のようだ。男性が椅子に腰掛けて数拍ののち、すぐに演奏が始まった。


比較的アップテンポだった一曲目とは打って変わって、二曲目のオープニングは緩やかな旋律から始まる。ピアノが主旋律を、バイオリンが対旋律を代わるがわる奏でることで一体感が生まれ、美しいハーモニーを作りだしていた。


「綺麗な曲……」


「うん……なんか眠くなってきちゃった……」


「ちょっと、寝ちゃダメだよ!?」


今にも眠りこけそうなキルシェの肩を揺さぶり、何とか眠りの世界から引き戻そうとするシトラス。


(やれやれポメ……)


シトラスの制服のポケットに潜んでいたポメポメは、そんな様子を半ば呆れ気味に見守っていた。




そして、曲が終盤に差し掛かったその時─突如、会場内に異変が起こった。




突然、ピアノの音が不協和音に変わったかと思うと、激しく歪んだ音が会場内を満たし始める。


「何……?急に音が変に……」


「シトラス!みんなが……!」


キルシェに声をかけられて周りの座席を見渡すと、他の生徒たちが突然頭を抑えて苦しみ始めていた。ある生徒は耳を塞ぎ、ある生徒は頭を抱え、中には座席でぐったりと項垂れたり、脱出しようとして通路に出たもののそのまま倒れて動けなくなってしまった者の姿もある。


「魔獣ポメーっ!!」


「ポメポメ!」


シトラスの制服のポケットに潜んでいたポメポメが飛び出し、一瞬で子猫のサイズになってシトラスの肩に飛び乗った。


「魔獣って……もしかして、あのピアニスト?」


キルシェがそう言ってステージ上に目をやると、ピアニストの男性の周囲には禍々しい黒い光が漂っていた。ステージ上にいたロゼもピアニストの様子が急変していることに気付いたらしく、驚愕の表情を見せていた。


「ロゼ様をあいつから引き離さなきゃ……!」


「待って、キルシェ!」


座席から通路に出たキルシェはそのまま前方のステージに向かって走り出し、シトラスとポメポメもその後を追う。が、その時だった。


「っ!?」


突如、ピアニストの演奏する音色が歪み始め、同時に周囲から更に悲鳴のような声が上がる。この場で今無事なのはシトラスとポメポメ、キルシェ。そして─ステージの上に立つロゼだけ。依然としてピアノの旋律はなり続けているが、ロゼは他の生徒のように耳を塞ごうとする素振りもなく、顔色も普段と変わらないように見える。


「ロゼ先輩、あの音を聞いても平気なの……?」


「耐性があるのかも!あたし達が初めて魔獣に会った時も、普通に動けていた人がいたし!」


大半の人は魔獣にエナジーを奪われると意識を保っていることも難しくなり、倒れてしまう。しかし、魔獣に対する耐性は個人差があり、魔獣が現れてもしばらく身動きが取れる人間もまた存在するのだ。キルシェは恐らくロゼもその類の人間なのだろうと推測した。


「でも、このままここに居るのは危ないよ!早く避難してもらわなきゃ!」


「完全に同意!!ロゼ様ーっ!!」


キルシェは通路の段差を一気に駆け下り、ロゼの元に向かう。シトラスもポメポメを肩に乗せたまま、その後を追いかけた。


「ロゼ様!ここは危険です!早く避難してください!!」


「ロゼ先輩!大丈夫ですか!」


ロゼは突如ステージに駆け上がってきた二人の女生徒の声に弾かれたようにそちらを振り返り、そしてそのまま目を見開く。


「シトラスちゃん……に、ポメちゃん?それに、あなたは……」


「2年C組23番!キルシェ・シュトロイゼルです!!この度はお会いできて光栄……じゃなくて!危ないから早くここから離れてください!!このピアニストの人、めっちゃヤバくて……っ!?」


キルシェの言葉を遮るように、鍵盤を叩きつけるような乱暴な音色がホール内に響き渡る。


瞬間、それまで気力を失ったようにぐったりとしていた生徒たちに異変が起きた。まるでゾンビのようにゆらりと立ち上がり、生気のない虚ろな目でふらふらと歩き回り始めたのだ。


それから─何かに突き動かされたかのように周囲の他の生徒と取っ組み合いをしたり、ホールの座席や壁を破壊し始める生徒たちまで現れた。


その光景を見た三人は驚愕する。


「み、みんなどうしちゃったの!?」


「あのピアノの音のせいポメ!」


動揺するシトラスに答えるように、ポメポメが言う。


「おっけ!じゃあピアノの演奏を止めさせれば万事解決だね!!」


キルシェは演奏を止めさせようと、ピアノとピアニストの元へ全力で駆けて行く。が、


「ぶえっ!?」


「キルシェ?!」


あと少しでピアニストに触れられるという距離に来たところで、キルシェはまるで見えない壁にでもぶつかったかのように弾き返されてしまった。跳ね返されたキルシェがそのまま尻餅をついたのを見て、シトラスは慌てて彼女のそばに駆け寄った。


「大丈夫?」


「いったぁ……何これ!なんか見えないバリアみたいなのがあるんだけど!?」


シトラスに助け起こされたキルシェは、改めて自分が弾かれた場所に手のひらで触れる。側から見ると何もないように見えるのに、よく目を凝らすとピアニストの周りにガラスの壁のようなものがあったのだ。


「それは結界ポメ!この結界も多分演奏を止めさせるか、何とかして魔法を妨害しないと多分解除出来ないポメ!」


シトラスとキルシェだけに聞こえるように、ポメポメが言う。


「近付いたり触ったり出来ないのに演奏を止めないといけないの!?ムチャだよ~!!」


キルシェは頭を抱えるが、そうこうしているうちにも時間は過ぎ、生徒たちの精神はどんどん蝕まれていく。このままでは、怪我人が現れるかもしれない。


「いいえ、出来るかもしれないわ」


「え?」


ロゼはそう言うと、手に持っていたバイオリンを肩に乗せ、演奏する時のように構え始める。


「……!そっか、ピアノの音を聞いてみんながおかしくなっちゃったなら、音を掻き消しちゃえばいいんだ!!」


キルシェはロゼの意図を理解したらしく、目を見開く。


「二人にお願いがあるの」


ロゼはキルシェとシトラスの方を向き、言葉を続ける。


「舞台袖の階段を登ったところにある音響室で、スピーカーの音量を上げて。そうしたら、わたしの演奏が会場全体に響くはず」


ロゼは観客席に目線を向けたまま、キルシェとシトラスに向かって言う。


「でも、その間ロゼ先輩は……」


ピアニストの魔獣が今現在していることといえば怪しい音色を奏で続けているだけで、ロゼは音色の影響を受けてはいない。しかし、会場内には理性を失って備品を破壊したり周囲の人間を攻撃している人もいるし、そんな空間に一般人のロゼをひとり置いていくことに抵抗を覚える。


「心配しないで。自分の身は自分で守れるし、それに……」


「ロゼ様、後ろ!!」


ロゼの背後に、理性を失ったらしい生徒の一人が棒切れのようなものを振り回しながら迫ってくる。が、次の瞬間──


素早い勢いで現れた影がその生徒の腕に手刀を振り下ろし、持っていた棒切れを落とさせた。そしてそのまま、流れるように生徒を組み伏せてみせたのである。


「ロゼお嬢様、ご無事ですか?」


(この人、ロゼ先輩の……)


白銀色の髪に黒い燕尾服を着たその男性に、シトラスは見覚えがあった。音楽室でバイオリンの練習をしていたロゼを迎えに来た、執事のレオンだ。


「ありがとうレオン。─ね、大丈夫でしょ?」


ロゼがシトラスとキルシェの方を見て微笑み、ウインクしてみせる。どうやらレオンもまた、魔獣の音色の影響を受けていないらしい。何故、という疑問こそあるものの、今はそれよりもやるべきことがある。


「わかりました、やってみます!」


「ロゼ様、気をつけてくださいね!執事のおにーさんも!」


シトラスとキルシェは二人に声をかけつつ走り出す。その背中を見届けたロゼは魔獣の方に向き直り、じっと見据えた。




その瞳には強い意志が宿り、魔獣に対する恐れも不安もそこにはなかった。

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