「大切なもの」

(ロゼ先輩、素敵な人だったなぁ……)


シトラスが学校を出ると、もう辺りは日が落ちて薄暗くなっていた。部活動をしている生徒はまだ校内に残っているようだが、それ以外の生徒の姿はもうほとんど見当たらない。


「シトラスになでなでされるのも好きポメけど、ロゼもなかなかだったポメ……」


ポメポメもまた、ロゼのことを気に入っていたようだ。シトラスのカバンから顔を覗かせながら、うっとりとした表情を浮かべている。


「ポメポメ、今度は人に見られないように気を付けないとダメだよ?たまたまロゼ先輩が優しい人だったから良かったけど、生活指導の先生とか風紀委員の人に見つかったら大変なんだから」


「わ、わかってるポメ……反省してるポメ~」


少し叱るような口調でシトラスに言われてしまったポメポメは、しゅんと項垂れる。


他の人に見られないようにするという約束で、ポメポメはシトラスの行く先に同行している。


体のサイズを自在に変化させることが出来るポメポメは、手のひらに乗るぬいぐるみのようなサイズに身体を縮めてシトラスのカバンの中に隠れているのだが、幸い今日まで他の生徒に見つかることは一度もなかった。


「だけど、ロゼからは何か不思議な感じがしたポメ」


「ロゼ先輩から?どんな風に?」


「何といえばいいポメか……普通の人間とはどこか違うオーラを感じるポメ。あと、あの執事の人も……」


「あの人も?」


最後にロゼを呼びに来た執事もまた、普通の人とは違う雰囲気だとポメポメは言うのだ。しかし、その雰囲気の正体が何なのかまではわからないようで、ポメポメは思考を巡らせる。


「どこかで見たような……嫌な感じはしなかったから敵ではないと思うポメけど……」


そこまで話をして角を曲がろうとした時、不意にシトラスの頭上に影が落ちる。反射的に顔を上げ、それが人の影だと気付いた時にはもう遅かった。


「きゃっ……!」


鈍い音と共に相手にぶつかったシトラスは、その衝撃で後ろに倒れそうになる。が、それよりも早く腰に手を回され支えられたことで転倒は免れることができた。


「大丈夫ですか?」


低く、穏やかな声が頭上から降ってくる。顔を上げるとそこには一人の男性がいた。年齢は二十代半ばくらいだろうか。長身で引き締まった体格をしており、端正な顔立ちをしている。髪は燃えるような赤毛で、瞳は琥珀のような金色だった。


(あれ……?この人………)


魔法少女になってから、何度もシトラスのピンチに現れ救ってくれた青年の姿が脳裏に蘇る。しかし目の前の人物は、記憶の中の彼とは少し違っていた。


まず服装が違う。以前会った時は中世が舞台のファンタジーに出てくる軍服によく似た服装で、マントも着ていた。だけど今目の前に現れた男性は暗い色合いのジャケットにスラックスという組み合わせで、全体的にシンプルな印象を受けた。


目に鮮やかだった赤い髪は共通しているが後ろでポニーテールに結われており、長さも前に会った時よりも少し短く見える。極めつけに、淵のないリムレスの眼鏡を掛けていた。


それでも面影は確かにあるし、声も似ている気がする。


そんなことを考えている間にも、青年は心配そうな表情でこちらを覗き込んでいる。


「立てますか?」


「あ、はい!ありがとうございます……」


我に返って立ち直そうとしたその時、カシャン、と乾いた音が足元に響いた。何だろうと思って視線を落とし、そして固まる。

スカートのポケットに入れていたはずの変身ブローチが、地面に転がり落ちてしまっていた。


(落としちゃった――――――っ!!!!!)


(ポメ――――――――――――っ!!!!!)


シトラスとポメポメは、心の中で絶叫する。


幸いブローチ自体は壊れてはいないようだが、この状況は非常にまずいものだった。魔法少女に変身するための大切なアイテムを、迂闊に一般人の目に晒すわけにはいかない。


(ど、どうしよう……自然に、自然に拾えば……)


そう考えてゆっくりと手を伸ばすシトラスだったが、それよりも先に男性が拾い上げてしまったためそれは叶わなかった。


(拾われちゃった―――――っ!!)


(まずいポメ――――――っ!!)


どうしたものかと内心パニック状態に陥るシトラスとポメポメだったが、男性はそんな二人の心情はよそに、拾い上げたブローチをしばし見つめて、シトラスの方へと向き直った。


「これは、貴方のものですか?」


「……え?……あっ……そ、そうです!」


慌てながらも質問の意図を察したシトラスは頷いて答えた。


「素敵なブローチですね。ポケットに入れていたようですけど……身に着けないのですか?」


「あ……学校でアクセサリーとか着けちゃダメで……」


嘘は言っていない。実際に、校則で勉学に関係のない華美な服装や装飾品を身に着けることは禁止されている。シトラスの返答を聞いた男性はそうですか、と相槌を打つと再び視線を落とし、しばらく考え込んだ後にこう言った。


「それでもこうして持ち歩いているということは、とても大切なものなのですね」


「え……?」


思わず聞き返すように声を漏らすシトラスだったが、男性はそれには答えず。代わりにシトラスの手を優しく取り、その手のひらにブローチを握らせた。


「では、無くさないように気を付けて。自分ではどれだけ大切にしているつもりでも、手をすり抜けて取りこぼしていってしまうこともあるのです。……気付けた貴方なら問題ないとは思いますが」


ブローチを乗せたシトラスの手を上から包むようにして優しく握りながらそう告げる男性の表情は穏やかだが、どこか陰りがあるようにも見える。その表情の意味するところまでは分からなかったけれど、何故か胸が締め付けられるような思いがした。


それは男性の声音のせいなのか、あるいはもっと別の何かがあったのか……。そこまで考えたところで、優しく握られた男性の手が緩むのを感じて反射的に顔を上げた。


「あの、」


このまま手を離されると男性がどこかに行ってしまいそうな気がして、シトラスは無意識のうちに声をかけていた。男性は少し驚いた表情でシトラスを見たが、やがて穏やかに目を細めて言葉の続きを促した。手はまだ、シトラスの手に触れたままだ。


「前に、どこかで会いませんでしたか?」


思い切って尋ねると、男性はわずかに目を見開き、それからゆっくりと首を横に振った。


「……いいえ、きっと人違いでしょう」


その答えを聞いた瞬間、何故だか少しがっかりしてしまった自分に戸惑いを覚えた。どうしてこんな気持ちになってしまうんだろう……?自分でもよく分からないまま黙り込んでいると、男性は再び口を開き、静かな声で言った。


「人生は出会いと別れの繰り返しです。もし前に会っていたとしても、今は別の状況、別の出会いですから」


「そういうもの、なんでしょうか……」


男性の言葉を完全に肯定し切れず、シトラスは心の中に小さな石が投げ込まれたような感じがした。その波紋は彼女の内側を静かに広がり、はっきりとした答えが欲しいと願ってしまう。


本当に、私を助けてくれた人じゃないの?あの時、私が魔法少女だと知ってるって言っていたけれど、どういうことなの?


声にできない問いは、言葉にされぬまま心に積もっていく。


男性は戸惑った表情を浮かべるシトラスに笑いかけると、今度こそゆっくりとその手を引いた。名残惜しそうに離れていく指先を目で追うシトラスを見て、男性はまた目を細める。


「そんな顔をしないでください。またいつでも会えます。……貴方がそう望んでくださるのであれば」


そう言って優しく微笑む男性の姿に、シトラスの胸が小さく音を立てるのを感じた。まるで心臓を直接掴まれたかのような感覚に戸惑いながらも、不思議と嫌な感じはしなかった。


そんな自分の感情の変化に戸惑っているうちに男性は踵を返し、気づけばその姿は遠くなっていた。


「……行っちゃった」


ぽつりと呟くと同時に、切ない気持ちが込み上げてくる。

もっと話を聞いてみたかった。あの時助けてくれた人なのか、もう少しだけ粘って聞いてみれば良かったかもしれない。


そもそも、何の保証があってまたいつでも会えるだなんて言うのだろう。

シトラスはまだ─男性の名前すら知らないというのに。


「あやしさがすごいポメ………!!」


「わっ!?ポメポメ?」


シトラスと男性が話している間、大人しくシトラスのカバンに隠れていたポメポメが突然勢いよく飛び出す。


「勝手に出てきちゃダメってさっきも言ったでしょ!それに、大きな声出したら誰かに見られちゃうよ!」


「ちゃんと人がいないことを確かめてから出てきてるポメ!それよりあの優男!!絶対絶対気を付けた方がいいポメ!!」


いつになく真剣な表情で忠告してくるポメポメに、シトラスは戸惑う。

今まで魔獣との戦いで少し良くない立ち回りをしてしまった時でさえ、ポメポメはシトラスを厳しく咎めたりはしなかった。


「え?……どうして?」


そう問いかけると、ポメポメはジト目でこちらを見上げながら言う。


「あいつ、シトラスが落としたブローチに興味あるみたいだったポメ。拾ってから返すまでがやけにゆっくりだったし、何より視線がいやらしかったポメ……!」


「視線がいやらしいって……そんな感じしたかなぁ……?」


「したポメ――――――――――っ!!!」


突然大声を出したポメポメに、シトラスは肩をビクッと震わせる。


ポメポメがここまで彼に嫌疑的なのには、一応理由がある。


シトラスを戦闘中に助けた赤い髪の男性のことは、ポメポメも知っていた。

何せ、その助ける一部始終を見ていたのだから。


シトラス本人はあの男性が気絶してしまった自分を介抱してくれただけだと思い込んでいるようだが、実際には違う。赤い髪の男性が自分のエナジーを分け与えたことで、シトラスは回復したのだ。ただ、エナジーを分け与える方法がポメポメにとってはなかなか刺激的な手段だったため、未だにシトラスには事の真相を話せていない。


赤い髪の男性は、シトラスに口移し─つまり、キスでエナジーを分け与えた。それを知っているのは、赤い髪の男性本人とポメポメだけだ。


(今の優男がアイツと同一人物かはわからないポメけど、似てるってだけでなんか腹立つポメ……!)


「ポメポメ……?どうしたの……?」


突然不機嫌そうな顔になり黙り込んでしまったポメポメに戸惑いつつ声をかけるシトラス。ポメポメはハッ、と我に帰ると慌てて取り繕った。


「何でもないポメ!とにかく、シトラスはお人好し過ぎるから気を付けるポメ!簡単に知らない人を信じたりしちゃダメポメ!」


そう言ってポメポメは、後ろ足で二足歩行の体制になると虚空に向かって前足でジャブを繰り出し始める。シャドウボクシングでもしているつもりなのだろうか。そんなポメポメの姿に思わず笑みをこぼしながら、シトラスは答えた。


「お人好しって……でも、わかった。気をつけるね」


「わかればいいポメ!」


ふんす、と前足を腰に当て偉そうに胸を張るポメポメにシトラスは思わず吹き出してしまう。


真剣に話しているつもりのポメポメはムッとしたが、シトラスに抱き上げられて撫でられるとすぐに機嫌を取り戻して大人しくされるがままになった。

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