ロゼ・アルページュ

「……というわけで、先にも伝えたが来週は秋の恒例行事でもある芸術鑑賞会が行われる。


今回は初の試みで、この聖フローラ学園だけでは無く姉妹校の生徒も招待される予定だ。それに伴い例年通りの体育館ではなく、今年はより広い大ホールでの開催となる。今から配るプリントに各クラスの席の位置が記されているので各自確認しておくように」


放課後前のホームルームで担任教師が説明し終えるや否や、生徒達はワイワイと楽しそうに会話をし始める。芸術鑑賞会という校内の一大イベントを前にして、誰もが浮き足立っていたのだ。


「他の学校からも人が来るなんて……すごい大規模だね」


シトラスが隣の席に座るキルシェに話しかけると、彼女は興奮気味に答えた。


「そりゃそうでしょ~!何てったって今年の芸術鑑賞会はあのロゼ様がステージで演奏するんだから!!」


「ロゼ様?」


シトラスが聞き返すと、キルシェはえ、と驚きの表情を浮かべる。


「シトラスもしかしてロゼ様を知らないの!?うちの高等部の三年生で生徒会長のロゼ・アルページュさんだよ!結構有名人だと思ってたんだけどなぁ~」


「えっと、名前ぐらいは聞いたことあるけど……」


ロゼ・アルページュ。この聖フローラ学園高等部の生徒会長にして、美しくも威厳のある雰囲気から多くの生徒に慕われている学園のアイドル。



そんな印象ぐらいしか、シトラスには心当たりがなかった。


「『ロゼ様』っていうのは本人が呼ばせてるんじゃなくて、ファンの人たちが勝手に呼んでるだけなんだけどね~。ほら、なんか高貴な雰囲気があるじゃん?だから自然とそういう感じになっちゃったんだって!」


確かに言われてみれば、彼女は気品があって高潔な雰囲気を漂わせている。何度か全校集会で挨拶をしている姿を見かけた程度のシトラスも、「様」付けで呼びたくなるのも分かるな、と思った。


「でも、本当に生い立ちとか聞いたら『あぁ~確かにこれは"様"だな』って思うよ」


「そうなの?」


「んもぅ~しょうがないなぁ!このキルシェちゃんが懇切丁寧に教えたげる!」


そう言ってキルシェはシトラスに向けて、自身の知るロゼ・アルページュの知識を一つ一つ─時にはスマートフォンでインターネットの記事を見せながら─詳しく紹介し始めた。



ロゼはこの聖フローラ学園を含め様々な教育施設を運営する、ミネルヴァ財団の理事長の一人娘として生まれた。


彼女の母親は世界的に活躍するプロのバイオリニスト。その影響でロゼ自身も幼い頃からバイオリンの英才教育を受け、一時は海外留学も経験。現地で修行を重ねて着実に評判を上げていき、有名オーケストラの公演にも参加した。


その功績から、現在の彼女は様々なコンサートに引っ張りだこだという。初めてリリースしたCDはヒットチャートの記録を更新。国内の音楽雑誌で表紙を飾るほどの人気を博している。


 

その影響は凄まじく、彼女の公演は毎回プラチナチケットと化し、非常に競争率が高いのだそうだ。


(す、すごい人なんだなぁ……)


聞けば聞くほど自分とは住む世界が違うと感じる。同じ学校に通っているとはいえ、とても遠い存在のようだ。


「そんな雲の上みたいな人が、うちの学校にいたなんて……」


「改めて考えると本当にすごいことだよね~!そんなプラチナチケット化してる超人気バイオリニストの演奏を、あたしたち聖フローラ学園の生徒はタダで聴けるんだよ!はぁ~~この学園の生徒でよかった!楽しみだなぁ!!」


よほど嬉しかったのだろう、キルシェは思わずガッツポーズをしていた。そんな彼女の様子を見たシトラスは苦笑しつつ声をかける。


「それにしてもキルシェ、すごく詳しいんだね」


「そりゃあたし……ファンクラブ入ってますから」


スッ、とどこからか取り出した会員証のカードには、ファンクラブ名らしき『Rosen walzer(ローゼン・ヴァルツァー)~薔薇のワルツ~』の文字がオシャレな書体で刻まれており、下には『会員番号004 キルシェ・シュトロイゼル』と印字されている。


(が、ガチ勢だ……!しかも会員番号が若い……!!)


「といってもコレ、フローラ学園の生徒たちが有志で作った非公式のものなんだけどね~」



「あ、そうなんだ……」


それにしては会員証のカードは硬質でしっかりとした造りをしており、デザインも含めてクオリティがやたらと高い気がしてならない。彼女の人気ぶりを考えると、ファンもまた熱心な者が多いということなのだろう。


「キルシェ、クラシック音楽とか好きだっけ?」


普段キルシェからそんな話題を聞いたことのなかったシトラスが不思議そうに尋ねると、彼女は胸を張って答えた。


 


「ううん、ぶっちゃけよくわからない!」


 


ズコーッ!と思わずずっこけそうになるシトラスだったがなんとか持ちこたえる。


「わからないのにファンクラブに入っちゃったの……!?」


「甘いなぁシトラス……ロゼ様のジャンルは何も、クラシックだけじゃないんだよ?」


そう言って、キルシェはスマートフォンを操作して動画サイトのアプリを開くとシトラスに見せる。「ロゼ・アルページュ 演奏」で検索をした結果が表示されている画面には、動画のサムネイルがズラリと並んだ。


その隣に表示されている楽曲名はクラシックの名作から映画の主題歌、流行りのポップスなど多岐に渡り、ロゼが幅広いジャンルの音楽に精通していることを物語っている。


「すごい……有名な曲ばっかり……!」


流行りに疎い方だと自負しているシトラスですら、テレビや動画サイトで耳にしたことがある著名な曲名がずらりと並んでいる。


「若い人たちにもバイオリンに興味を持ってもらいたいから、って色んなジャンルの曲に挑戦してるんだって!あたしもたまたまおすすめ欄に出てきたやつを見始めたらハマっちゃってさ~気付いたら沼だったよね!」


「沼って……でも、すごいね。忙しそうな人なのにこんなことまで……」


一体いつ自分の時間を作っているのだろうかと疑問に思うほど、ロゼは精力的に活動しているようだった。そんな人が生徒会長まで務めているというのだから、人の上に立つ者としての資質も兼ね備えているのだろう。


キルシェがスマホを操作して更に動画を再生しようとしたところで、チャイムの音が鳴り響く。


下校時間を知らせるそれは、同時に部活の開始時間を告げる合図でもあった。それに気付いたキルシェはハッと顔を上げ、ガタンと音を立てて席から立ちあがる。


「やばっ!今日バスケ部の子が一人休んでて助っ人頼まれてるんだった!シトラス、また明日ね!」


「あ、うん!がんばってね!」


スマホとカバンを引っ掴んで慌ただしく去っていくキルシェを見送ってから、シトラスも自分の帰り支度をして教室を出た。


(帰宅部なのにキルシェは忙しそうポメ)


シトラスのカバンの中に隠れているポメポメが、カバンの内側からシトラスにしか聞こえない声で呟いた。


(キルシェはスポーツが得意だから、運動部のレギュラーの子が休んだりケガをしたりした時によく助っ人として呼ばれてるんだよ)


(なるほどポメ……あの運動神経の良さなら納得ポメ)


ポメポメは先日の水族館での出来事を思い返しながら納得したように頷く。


校外学習で訪れた水族館を魔獣に襲撃され、その最中でキルシェもシトラスに続いて魔法少女として覚醒した。


魔法少女として覚醒して間もないにも拘らずキルシェはすぐに自分のすべきことを理解したようで、軽い身のこなしで魔槍を振り回して魔獣と渡り合っていた。キルシェの元来持っていた身体能力の高さが、魔法少女としての戦闘スキルと丁度良く噛み合っていたのだろう。


(シトラスは部活に入らないポメ?)


(私は……運動はちょっと苦手かな)


そんなことを話していると、ふとどこから美しい音色が聞こえてきた。


「あれ?この音……」


(ポメ?何か聞こえてくるポメ)


ポメポメにも同じように聞こえたようだ。耳を澄ますと確かに、どこか懐かしいような不思議な音色が聞こえてくる。


(音楽室の方からかな……?)


心の中でつぶやきながら、足が自然とその方向へと動いていった。


廊下を歩く足取りも、その音色に導かれるように軽くなる。そして、音楽室のドアの前へと辿り着いたシトラスはそっとガラス窓越しに中を覗き見る。



 

(っ!この人、)




そこで演奏していたのは、紫色の長い髪をハーフアップにした可憐な少女だった。立ち姿そのものも気品に溢れていて、バイオリンに弓を滑らせる仕草すら優雅に見える。彼女が奏でる旋律に耳を傾けていると、まるで心が洗われるような心地になる。


(なんて綺麗なんだろう……)


思わず聞き惚れてしまうほどに、その演奏は素晴らしいものだった。それはまさに天才と呼ぶに相応しい技術であり、彼女自身の美しさも相まって非常に魅力的なものに感じられた。


 


この人が、ロゼ・アルページュ─


 


聖フローラ学園高等部の生徒会長にして、学園を運営しているミネルヴァ財団の理事長令嬢。今練習しているのは、芸術鑑賞会で演奏する楽曲なのだろうか。


 


その調べを耳にしただけで心が安らいでいくような、とても心地よい気分にさせられる。


 


(ポメ~………)


 


ポメポメもバイオリンの音に惹きつけられたのか、学校であることを忘れてシトラスのカバンから顔を出している。


二人が聞き入っているうちに、最後の音色が余韻を残して消えていく。しん、と静まり返る廊下に立ちすくんだまま動けずにいると、ロゼはバイオリンを下ろし、こちらを向いた。



 


かちり、と二人─と一匹─の視線が合う。


 


 


(わーーーっ!!覗いてるのバレちゃった!?)


(ポメーーーっ!?)


(……ってポメポメ!?どうして顔出してるの?!)


(聞き入ってるうちにうっかり出しちゃったポメーーーっ!!)


ポメポメを隠そうにも、ロゼにはもう完全に見られてしまったようだ。慌てふためいた一人と一匹が立ち去ろうとする暇もなく、ロゼは扉まで歩み寄ると引き戸を開けた。


「っ……、あの……、」


間を隔てるものがなくなったことで更に緊張が増してしまう。

謝った方がいいだろうか?それとも……

シトラスが何を言ったらいいか分からずにいると、ロゼはシトラスに向かって口を開いた。


 


 


「こんにちは、聴きに来てくださったの?」


「……え?」


そう言って微笑んだロゼの表情からは、怒りや不快感のようなものは一切感じられない。むしろ歓迎してくれているようにさえ思える。


「あなたもこんにちは」


「ポメっ……」


ロゼは少し身を屈めてシトラスのカバンから顔を出しているポメポメに挨拶をすると、そっと手を伸ばしてその頭を優しく撫で始める。



「ふふ、かわいい。あなたのお家の子?」


「は……はい……」


突然の行動に戸惑いながらも、素直に返事をすることにした。



しかし、ロゼは生徒会長だ。ペット(ではないのだが)を学校に連れ込んでいることは当然ながら校則違反だろう。叱られたり咎められたりするのではないかとシトラスは身構えたが、ロゼはその様子を感じ取ったのか、にこやかな表情を崩さないままシトラスに話しかけた。


「大丈夫よ、この子のことを誰かに言ったりはしないわ。その代わりと言ってはなんだけど……」


彼女はドアを開けたまま一歩退き、シトラスを室内へと促す。


「えっと………」


「さっきの曲で練習を終わろうと考えていたのだけど……気分が変わったわ。良かったら、もう一曲だけ聴いていってくださらない?」


 


 


シトラスはポメポメと顔を見合わせた後、静かに頷いて音楽室に入った。

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