第18話 【千脚のファンの集い】

 

 あれから2週間が経過した。


 結局キリエは俺の診療所の近くに部屋を借り、そこに住み着いて頻繁に診療所に顔を出すようになってしまった。


「じぃ~……」


 そのキリエが何をしているのかというと、ユツキに視線を向けて観察していたかと思えばおもむろに自分に胸をペタペタと触り……。


「くっ」


 何故か敗北感で打ちひしがれていた。


「お前は、そんなに大きいのが好きなのか!」


 そして理不尽に俺に怒鳴りつけて来る。


「まぁ、大きいの大好きですけど」


「ぐぬぬ……」


 結婚して子供を産んでも未だにパーフェクトな大きさと形を保つユツキのおっぱいが大好きだ。


 そんな感じに過ごしているキリエなのだが……。


「おばちゃ~ん! あそぼ~!」


「ぐふっ」


 カツキからおばちゃんと呼ばれる度にショックを受けて崩れ落ちていた。


 うん。どうもユツキが指導した結果、カツキはキリエとおばちゃんと呼ぶようになってしまったんだよね。


 ユツキさん、完全にキリエを敵性認定しているよね。


「そもそも副団長さんって、もう27歳ですよね? 十分おばちゃんと呼ばれてもおかしくない歳では?」


「くっ。お前だって実年齢は24か25だろうが」


「私は美容には気を付けていますから。ご近所では20歳くらいにしか見えないと評判なんですよ」


「ぐぬぬ……」


 まぁ、実際は賢者の石の効果で若く見えているのだが、これに関しては俺達一家の秘密なのでキリエにも内緒なのだ。


「私は療養中の身だぞ! もっと労われ!」


「……副団長さんって私より年上なのに子供みたいなこと言いますよね」


「ぐぬぬ……」


 最近のキリエは《ぐぬぬ……》が口癖になりつつある。


「ふん。駄肉の塊め。そんなもの戦場では邪魔になるだけだ」


「私は戦いませんし、愛する旦那様に護ってもらう立場ですから♪」


「ぐぬぬ……」


 いい加減、口喧嘩ではユツキに勝てないと悟ればいいのに、いつまでも突っかかるからぐぬぬ状態になるのだ。






 勿論、そんなことばかりではなく、治った身体や左目の調子を確かめるためにリハビリも行っているのだが……。


「どうしてウチの庭を使うんですか?」


「……ここが一番広いのだ」


 毎度、ウチの庭で行うのでユツキから苦情が出されていた。


 ちなみに弱体化は全く解消されておらず、本調子――というか全盛期の状態には程遠い。


 そんな状態でキリエがリハビリに精を出していると……。


「げっ。斬り姫」


 アルカティアとベルガがやって来てキリエを見てベルガが顔を顰める。


 初遭遇の時は誰か分からなかったようだが、キリエの名前は有名なので聞いただけで《斬り姫》の2つ名に辿り着いた。


 今のキリエに斬り姫と呼ばれていた時の強さはないが、それを否定する理由もないので黙認している状態だ。


 帝國では堕天エンゼルフォールとか呼ばれていたらしいが、それは完全に悪口の類だと教えてやったら愕然としていた。


「副団長さんって、あんまり頭は良くないんだね」


「管理職の仕事を俺に全部押し付けていた時点で察してくれ」


「なるほど」


 前から知っていたが、キリエは脳筋なのである。


 ちなみにベルガは相変わらずペダルを漕いで金を稼ぎに来ているのだが、それを見たキリエは何をしているのか聞いて来たので……。


「小遣い稼ぎ。お前も金欠ならやってみるか?」


「……やめておく」


 必死にペダルを漕ぐベルガを見て、キリエは参加を拒否した。


 あれって身体強化魔術があっても大変だし、特にベルガは新型が使えなくなって弱体化して苦労も一押しだ。


(どいつもこいつも弱体化だなぁ~)


 向上心はある筈なのに、どうして前進ではなく後退するのか。




 ◇◆◇




 その日、キリエは診療所の庭を借りてリハビリの最中だった。


 既に失明していた左目は治っているし、体中に感じていた不調も払拭されているのだが、だからこそキリエは思う。


(私は、こんなにも不調だったのだな)


 今までの自分がどれだけ不自由な身体だったのかということと、それをこんなにも容易く治してしまうクルシェの異常さを。


(確かに私が攻めの気概を失くしてしまったのは私の不甲斐なさが原因ではあるが、これについてはあいつにも大いに原因がある)


 責任転嫁と思いつつも、キリエにだって言い分はあるのだ。


 なにより、こんなに凄腕の治療師がいつも傍に居て、完全に治療をしてくれていたのだから。


 それが急になくなって対応しろという方が無理な話だ。


 今まで当たり前だった環境がどれだけ恵まれていたのかと言われても、そんなの失くしてみなければ分かる訳がない。


 だから自分が弱体化してしまったのはキリエだけの責任ではない、というのがキリエ自身の言い分である。


「おばちゃ~ん!」


「む」


 刀を正眼に構えて集中力を高めていたキリエに幼い声が掛けられる。


 まぁ、キリエをおばちゃんと呼ぶ者など1人しかいないが。


「カツキか。私に何か用か?」


「きゅ~!」


「は?」


 残念ながらキリエに幼いカツキの言いたいことを理解することは出来なかった。


「きゅ~がみたい! きゅ~!」


「……きゅ~?」


 繰り返されるカツキの言葉に困惑することしか出来ないキリエ。


「多分、九頭●閃を見せて欲しいって言っているんですよ」


 その通訳としてユツキが現れる。


「くず●ゅーせん?」


 だが翻訳として力不足だったのかキリエは益々困惑するしかない。


「あれ? あれですよ、あれ。9つの斬撃を高速で打ち込む奴」


「ひょっとして九星剣のことか?」


 クルシェが前世での漫画からヒントを得て開発された技は九星剣と命名されていた。


「それなら主人のは九星脚なのかな?」


「……そうだ」


 クルシェのことを主人と言い切るユツキに複雑そうな顔で応えるキリエ。


「ともかく、カツキはその九星剣が見たいんですよ。前に主人が披露してくれた時も大喜びでしたし、お願い出来ませんか?」


「別に構わないが……実用性のない技だぞ」


「最初の1撃か、もしくは2~3撃で敵を倒してしまうから単体の敵に使うにはオーバーキルなんでしたっけ?」


「……そうだ」


 実際、技が完成した時はクルシェもキリエも大興奮だったのだが、実際に使ってみると実用性のなさにガッカリした苦い記憶だ。






 その後、物置から不用品を利用して庭に的が作られ、その的の前に刀を正眼に構えたキリエが立つ。


「……行くぞ」


 そして宣言と共に的に向かって突進し、的に向かって真上から振り下ろす唐竹が叩き込まれ、続いて袈裟、逆袈裟と連続で斬撃が叩き込まれていき……。


「ふっ!」


 最後に的のど真ん中に突きが放たれて的を粉々に粉砕した。


「しゅご~!」


 それを見ていたカツキは大喜びではしゃぎだし……。


「お見事です」


 ユツキも釣られて拍手を送る。


「ああ。久しぶりにやったが……案外身体が覚えているものだな」


 燕返しの時もそうだったが、キリエはクルシェと共に開発した技に関しては頭で考えるよりも身体が先に動くのだ。


「前から思っていましたけど、副団長さんってウチの主人のことが大好きですよね?」


「むぐ」


 ユツキの踏み込んだ問いにキリエは息が詰まる。


「でも私は一夫一妻主義なので主人には愛人も妾も許可しませんよ。諦めて近所のおばちゃんになってくださいね」


「ぐぬぬ……」


 それはユツキによる勝利宣言のようなものだ。


 実際、クルシェには既にユツキという妻がいてカツキという子供までいるのだ。


 その間に割って入ろうとするのならキリエが悪い。


 だからユツキの牽制は正当な権利と言っても良かった。


「べ、別に私はあいつのことなどなんとも思っていない!」


「はいはい。ツンデレ乙~」


「つ、つんでれ?」


 勿論、ユツキの発言の意味が地球からの転生者ではないキリエに通じる訳がないが、なんとなく馬鹿にされたことは分かるのか眉を吊り上げる。


「本当は好きなのに素直になれなくて暴言を吐いちゃって、後で後悔する子のことです」


 正確には違うが、面倒なので適当な説明をするユツキ。


「なっ! ち、ちがっ……! わ、私はそんなんじゃ……」


 そんな適当な説明でもキリエの図星を突いたのか、キリエは言動がしどろもどろになって、どう考えても《その通りです》と言っているようにしか見えなかった。


「どうでもいいです。私の旦那様なのですから絶対に渡しませんから」


「ぐぬぬ……」


 結局のところ、キリエは行動を起こすのが遅すぎたのだ。


 せめて傭兵団が解散した時にクルシェに告白するか、そうでなくとも同行していればチャンスくらいはあった筈なのだ。


 既に妻と子がいる状態の男に言い寄っても、普通に考えて手遅れである。




 ◇◇◇




「どうして九星剣なの?」


 その日、唐突にユツキが俺に聞いて来た。


「え? なにが?」


「九頭●閃。それがなんで九星剣になるのかなぁ~って思って」


「いや。まんまだと名前を聞いただけで噴き出しそうじゃね?」


 恐らくキリエにでも聞き出したのだろうが、俺ですら名前を忘れかけていた技の名前を出して来た。


「そうかな?」


「ワシを踏み台にしたじゃとぉっ」


「ぶふっ」


 困惑するユツキに前にやって来た先代の言葉を告げるとあっさりと噴き出した。


「た、確かにいきなり言われると噴き出しちゃうね」


「だろ?」


 元ネタを知っている身としては、そんなん言われたら笑うしかないわ。


「でも、どうせなら2人じゃなくて3人で来て欲しかったね」


「……流石に勘弁してくれ」


 そりゃ、ジェット●トリームアタックは3人で使う技だけどさ。


 弱体化していたと言っても、本来の実力は俺より上かもしれない奴が2人で襲って来て内心では焦っていたのだから。


 おまけにメンバー的に3人目は養父ということになるし、そうなると先代2人が弱体化しないので俺に勝ち目がなくなる。


「そうなの? すっごく余裕っぽく見えたよ」


「最初は反撃されないように我武者羅に攻撃をしていたからな。そうしたら、なんか手応えがないことに気付いて……弱体化していることに気付いた」


「実際、酷い有様だったよね、あの2人」


「そうだな」


 平然とした顔をしていたが、先代の2人は普通なら日常生活を送るのにも支障が出るレベルの損傷を抱えていた。


 よくもまぁ、俺を相手に戦えたものだと呆れた。


「影狼のメンバーって、やっぱり凄かったんだね」


「あんなのが平均だと思われても困るけどな」


 今は弱体化していると言っても先代2人もキリエも実力は世界最強クラスなのだから。


 まぁ、約1名、弱体化もせずに無双している団長がいるけど、あれは例外中の例外という奴だ。




 ◇◆◇




 その日、ベルガは珍しく1人で街の中を歩き回っていた。


 本来なら護衛対象であるアルカティアと離れて行動することなど2度とないと思っていたのだが、その護衛対象が世界で一番安全な場所にいるとなれば話は別なのだ。


 そういう訳でベルガはアルカティアを世界で一番安全な場所――クルシェの診療所へと預けて1人で買い出しに出ていた。


 正確に言うなら買い物をしてこいと仕事を押し付けられた。


(くそっ。あいつ、人を便利にパシリに使いやがって)


 勿論、言いつけたのはクルシェであり、借りが多過ぎて逆らえなかったのがベルガだ。


 現在のベルガはクルシェに対して多額の借金をしている状態だし、稼ぐ当てがある雇用主でもある。


 上下関係から考えても逆らえる相手ではない。






 そうして買い物を終えたベルガは休憩に適当な食堂に入って昼食を取っていた。


 クルシェに扱き使われてはいるが奴隷のような扱いは受けていないので食事くらいは自由に出来るのだ。


 そうして久しぶりに優雅に食事を終えて食後のお茶を楽しんでいたベルガの耳に……。


「あぁ? この俺様に金を払えってのか!」


 そんな怒声が聞こえて来る。


 ベルガが視線を向けると複数のチンピラが店員を恐喝している最中だった。


 この街、この世界では珍しくもない光景だ。


 チンピラの中に真っ白な装束を身に着けた男がいるということ以外は。


(まさか、血盟十字団ブルートクロイツのメンバーなのか?)


 その白い装束の背中にはキッチリと赤い十字架がプリントされており……。


(なんか……違くね?)


 以前に見たクルシェの装束の背中に付いていた赤い十字架とは大分デザインが違うので困惑した。


 クルシェの背中に付いていたのは洗練されたデザインの十字架だったのに対し、そいつの背中にあったのは雑に書かれた十字マークだったのだ。


(あれじゃ十字架というよりペンキで十字を描いただけに見える)


 班長と班員で、そんなにデザインに差が出るものなのかと困惑するベルガに対して決定的な言葉が届く。


「俺は傭兵団《影狼》の千脚様だぞ!」


「…………」


 その台詞を聞いて、そいつが血盟十字団ブルートクロイツのメンバーなんかじゃないことを悟った瞬間……。


「ふざ……けるなよ」


 ベルガは自分でもビックリするくらい激昂した。


 どうしてベルガがこんなに怒っているのか?


 自分のことを適当に扱うクルシェのことはずっと気に入らなかったし、なにより祖国の仇だ。


 それなのに、どうしても嫌いにはなれなかったし、憎むことも出来なかった。


 それはあの戦いを――先代2人とクルシェの戦いを見てしまったから。


 なにより、あの姿を――白い装束を纏い、赤い十字架を背負って立つ後ろ姿を見てしまったから。


 あの背中を見た時、ベルガは心の何処かで思ってしまったのだ。


(俺も……ああなりたい)


 と。


 そのくらい、あの時のクルシェは――格好良かったのだ。


 その姿にベルガは、どうしようもないくらいに憧れた。


 だから、どうしても許せなかった。


 こんなチンピラが血盟十字団ブルートクロイツを雑に真似ていることが。


 なにより憧れの千脚を名乗っていることが!


 自分の理想を穢された気がして、ベルガは激昂せずにはいられなかったのだ。


 ベルガは下手をすれば護衛対象であるアルカティアを攫われて拷問された姿を見た時よりも激昂した。


 そのくらい、ベルガにとって千脚という憧れを穢されることは許されざる行為だったのだ。


「どりゃぁっ!」


「げはぁっ!」


 気付けばベルガは千脚の偽物に対して全力の飛び蹴りをお見舞いしていた。


 本来、ベルガは剣を使う剣士なのだが、激昂したベルガは無意識に蹴り技でこいつを倒すと決めていた。


 だが、そのチンピラはベルガの蹴りで吹っ飛んで床に倒れてビクビクと痙攣して立ち上がる気配も見せない。


 その弱さが益々ベルガを激昂させる。


「お前みたいな雑魚が千脚名乗ってんじゃねぇよ!」


 ベルガにとって超強い千脚を名乗るというなら最低限のレベルというものがあって、そのレベルに達していない雑魚が千脚を名乗っていたのかと思うと益々怒りが湧いてくるのだ。


「ひっ。な、なんだ、お前!」


「いきなりなにしやがる!」


「うるせぇっ!」


 ガタガタ騒ぐ残りのチンピラ対してベルガは一喝して黙らせ――そのまま千脚の代理人として全てのチンピラを蹴りだけで一掃したのだった。




 ◇◇◇




「キリエといい、お前といい……どんだけ俺のことが好きなんだよ」


「…………」


 街で暴れて補導されたベルガを何故か俺が迎えに行くことになり、その暴れた理由を聞かされて呆れてしまった。


「実を言うと、前からあなたを見る目が怪しいと思っていました」


「だぅ~」


 勿論、道中はユツキとカツキも同行しているのだが、そんなホモホモしい話は聞きたくなかった。


「昔からベルガは強い方に憧れる傾向が高かったですから。今までで一番強かったクルシェ様の偽物をどうしても許せなかったのでしょう」


 そして勿論、預かっていたアルカティアも同行している。


「ふん」


 そしてキリエは勝手に付いて来た。


 誰かに診療所で留守番していて欲しかったというのは高望みなのだろうか?


「というか俺の偽物って珍しいな」


「そうなの?」


「影狼のファンなら大抵は目立つ団長殿かキリエの真似をしたがるからな。三席で裏方の俺はあんまり人気なかったし」


「「そんなことはない!」」


 同時に俺に反論してきたのは当のキリエとベルガだった。


「貴様はもっと自分の価値を理解するべきだ!」


「そうだそうだ!」


「…………」


 こいつら、いつの間にか俺のファンになってね?



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