第39話 胸の奥のさざ波

 午後になってルリルは一人で客間の清掃をまかされていた。セリスは別の仕事が立て込んでいて後から合流することになっている。


 セリスはルリルの教育係ではあるがメイド長としての立場上、四六時中側にいるという訳にもいかず最近は単純な作業に関してはこうして一人でやらされる事が多くなってきていた。


 ルリルとしては一人でいる方が煩わしくなくてやりやすいと思っているし、何より今は少し一人で考えていたい気分だった。


「ルリルと仲良くなりたいとか……意味が分かんない」


 首元のチョーカー、そこに付けられたリボン飾りを時折弄りながらぼんやりとしてしまう。


 さっきから胸の内のさざ波が収まらない。思考がフワフワとしていて頭の中で整理が出来ず考えがまとまらない。


「ああ、もう。なんなのよ!」


 そんな曖昧な状態に苛立ちが募り思わずそう口に出した時だった。


「よう、調子はどうだ?」


「ぎゃあ!」


 突然上下逆さまの状態で視界の外からにゅっと守護竜の顔が生えてきて、ルリルは思わず驚きの声を上げてその場から飛び退いた。


「うっせぇな。どっから声出してんだよ」


 空中で逆立ち状態だった体をくるりと戻しながら、守護竜はそのまま空中を浮遊しルリルの周りをゆっくりと周回し始める。こともなげにやっているがそれは誰にでも出来ることじゃない。


 重力を操りそれを利用して飛行しているのは分かる、だが魔導師が自身に魔導を掛けるというのは一見簡単そうに思えるが実際はそうじゃない、むしろ逆だ。


 目の前にある物を手に取って持ち上げる事は誰にでも出来るだろう、だが同じように自分自身を持ち上げてみろと言われて出来る者はいない。


 仮にそれが出来たとして、自身だけ重力を軽くし姿勢制御をしながら自由に飛び回るなんて、途方もないほど繊細な魔素マナ操作を必用とする。


 ルリル自身も重力操作の魔導を得意としてはいるが同じ事は絶対に出来ない。たとえるなら、逆立ちしながら両手で字を書いて脚でジャグリングする方がまだ簡単と言える程の離れ技なのだ。


 そんなことをこのよく分からない生き物が出来て当然のようにやっている事実が前から気に入らない、普段なら嫌味の一つや二つや言って煽っているところだが今のルリルはそんな気分じゃなかった。


「……なに? ルリル何か用なの?」


「いや別に、何か用があるって訳じゃねぇがよ」


 守護竜がこうしてルリルに声を掛けてきたのは今回が初めての事じゃない、ルリルがこの城で働き始めて以来、守護竜はよくこうして声を掛けてくる。


 妙な事をしていないか見張っているのか、それとも何か意図があるかのか見当はつかなかったが、なんにせよルリルにとっては良い迷惑だった。


 守護竜はしばらく周回を続けた後、換気のために開け放っていた窓の縁に着地した。


「……どうしたよ? 今日はキレがねぇじゃねえか」


 何所かいつもと様子の違うルリルを怪訝に思ったのか守護竜はルリルのことをジッと観察し、ふと気が付く。


「ん? 首のそれ」


 首の飾りに触れられてルリルは反射的に手でそれを隠そうとしてしまうが、今更そんなことをしてももう遅い。


「自分で買ったのか? なんだ? お前もオシャレとか気にすんだな。可愛いところもあるじゃねぇの」


 意地の悪い笑みを浮かべながらいったその言葉は、守護竜としてはそ挑発のつもりだったのだろう。何かしら言い返して噛みついてくるだろうと思って口にした言葉だったのだろうが。


「……別に、これはそんなんじゃない」


 それに対するルリルの反応は守護竜が期待していたものとは違うものだった。


「なんつうか、いよいよ様子がおかしいな、やっぱりなんかあったのか?」


 そう訪ねられても答える気になれず、ルリルはしばらくなにも言わないで無視をしていたが。守護竜はふいっと視線をルリルから外して。


「あーそら、あれだ。お互い悩みを話したり聞いたりって柄じゃねぇのは分かってるが、なんかあったってなら話してみねぇか?」


 不器用ながらもルリルのことを気遣うような言葉に、胸の内のさざ波がまた大きくゆらぐ。


「なにさ、さっきから。なんでルリルに構うの? 放っておけば良いでしょ、関係ないんだから」


「……なんだか、またどっかで聞いたような台詞だな」


 守護竜は自嘲するような小さいため息を一つついて。


「……なんもかんもどうでもいい」


 あえてルリルの方に視線は向けず、まるで独り言の様に守護竜が語りかける。


「周りの連中全部が自分のことを下に見てるような気がして、ムカつくからぶん殴って、それでも心は晴れなくて、仕舞いにゃ自分なんかどうなろうと知ったこっちゃねぇと自暴自棄、けっ馬鹿なみてぇな話しだな」


 苦笑しながら守護竜は吐き捨てる。まるで自分の今までを揶揄したようなその話にルリルは思わずカッと頭に血が上ったが、何か言葉を言うよりも早く守護竜はそれを制した。


「落ち着けよ。別にお前のことだなんて一っ言も言ってねえだろうが、自意識過剰なヤツめ。俺のよく知ってるヤツにそう言う馬鹿がいたってだけの話しだよ、深い意味はねぇ」


 その時、守護竜が逸らしていた視線をルリルへと向ける。何所か何かを懐かしんでいるような、そんな目だとルリルは感じた。


「でもまぁ、色々あってそいつは救われたんだ。端から見りゃ鼻で笑っちまうようなくだらないことでな――、あーだからだな」


 守護竜は窓の縁からふわりと浮かび上がると、ルリルの目の前、拭き掃除を行っていた長机の上に音もなく着地してその天板を眺めた。


「……綺麗なもんだな、埃一つねぇ」


「? 当たり前でしょう。今ルリルが掃除したんだから、馬鹿なの?」


「当たり前ねぇ、まぁそりゃそうなんだがな……最初、姫さんがお前を城に連れ帰るって言いだした時はなに考えてんだって思ったが、今は少しだけ分かるような気がするよ」


 守護竜はまたふわりと浮かび上がり。


「話せって言って素直に悩み話すとはハナから思っちゃいない。まっ、話したいことが出来たら話せ、ちったぁ楽になるかもしれねぇぞ」


 そう言うだけ言って、守護竜は窓から外へ出ていって、またルリルは一人取り残される。


「……べらべらと意味深なこと言って勝手に出てくとか、スカしちゃって、気持ち悪い」


 守護竜がなにを言いたかったのかは知らない、ただそれでもきっとルリルのことを気遣い慮ろうとしたことは分かってしまう。


 誹られ侮辱されることにはもう慣れた。嫌われることも暴力を振るわれることにも全部慣れてる。


 ダークエルフとして生まれて今までずっと、それが当たり前の毎日だったから、そんなことでもう動揺したりなんてしない、でも――だから――。


 ――誰かに優しくされることには慣れてなかった。


「なんななのよ、これ」


 胸の内のさざ波は未だ止むことはなく、より大きくなってルリルの心を揺らしていた。

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