第一章 その枷を解く

第10話 少しはしたなかったですね

 早朝、城の裏手に数台の荷馬車がやってくる。


 城の兵士が荷馬車の騎手から提出された書状を確認し積み荷がフェルム領主クロイゲンからの物である事を確認した。


 先代国王が亡くなって以降、女王の気を引くためなのかクロイゲンからの献上品はしょっちゅうで、兵士達も手慣れた様子で手続きを進めていく。


 三台の馬車に積まれているのは大な木樽が合わせて二十数個、その内の一つを兵士が開けて見せるように指示を出し、騎手は馬車から降りると言われたとおり荷物の一つを開封して見せ、中に入っているのが葡萄酒だと説明した。


 フェルム領は酒造業が盛んであり、こうして葡萄酒が献上品として送られることはよくあることだった。


 中身を確認し問題なしと判断した兵士は城の裏口を開けて騎手と馬車を城の中へと向かい入れると、受け入れの手続きをして荷物を城の保管庫へ搬入する。


 全ての手続きと搬入を終えて城の兵士達が去り静まりかえる保管庫の中で、突如葡萄酒が入っているはずの木樽の蓋が内側から開け放たれれた。


「っくあぁー! 息が詰まるかと思ったぜ」

「あいつら雑に運びやがって、もう少し丁寧に扱えねぇのか」


 口々に文句をたれながら、男達が木樽の中から這い出してくる、その数はざっと十一。


 薄汚れ荒んだ服を身に着けた男達は皆、布を顔に巻き人相がばれないようにしていたがその粗暴な言動までは隠しきることはできていない。


「にしても、まさかこうもあっさり侵入できちまうなんてなぁ」


「まったくだ。やっぱり領主様のお墨付きがあると違うねぇ」


 下卑た口調であざ笑う男共、しかしその会話を可愛らしい声が遮った


「騒いでんじゃないわよ、ざぁこ」


 可愛らしくも挑発的なその一言に、ざわざわと騒いでいた男達がしんと静まりかえる。


「まだ城の中に入っただけでしょ、浮かれるのはやることやった後にしてくんない?」


 その人物は周りの男達と同じように顔を布で隠していたが、その体躯は細身で小さく、むくつけき男達の中で彼女だけが異質だった。


 しかしそんな彼女の言葉に周りの男共は多少不服そうにしていても、大人しく言うことを聞き逆らおうとする物はいない。


「まっていなさい、いま会いに言って上げるから。お・ひ・め・さぁーま」


 布で隠された口元にニヤリと凶悪な笑みが浮かんでいた。


           ✣


「さぁ守護竜様、朝食のご用意が整いましたよ」


 姫様が元気にそう言って給仕係のセリスと一緒に厨房から食堂に戻ってきた。


 今日こそは守護竜様に美味しいと言わせて見せます! と張り切って厨房に入っていったのがだいたい一時間前のこと。


 お姫様は今、いつものドレスに上半身部分がハート形になった白いフリフリエプロンとまた妙ちきりんの恰好をしているが、聞いたらこれも代々伝わる調理着だとかなんだとか。


 俺より前にこっちに来た連中はほんと、あることないことこっちの世界の奴らに吹き込んでいるらしい。


 そう思うと、そんな義理もないのになんだか少しだけ申し訳ないような気分にならないでもない。


「申し訳ありません本来は衣服を脱いで地肌に身に着けるのが守護竜様の世界での正装だと存じ上げているのですが、……やっぱり少し恥ずかしくて」


 いやほんと、マジで申し訳ない。


 いったいどこのどいつだ、あっちの世界の恥部をこっちの世界で広めた奴は! 目の前にいたら張り倒してるやるところだ、てか少しは疑うことを覚えろ異世界人!


「あの……やっぱり今からでも、服を脱いだ方がよろしいのでしょうか?」


「いい! 脱がんでいい! いいか、絶対脱ぐんじゃねぇぞ!」


 一瞬想像しかけたお姫様の裸エプロン姿を慌てて頭から追っ払う。

 

 いかん、いかん俺としたことがなんて軟派な想像を……。


 本当なら今すぐにでもこの間違った知識を訂正してやるべきだなんだろうが、今まで信じていたであろう伝承が実は変態野郎の嘘っぱちだと懇切丁寧に説明するのもそれはそれで言いにくいというかなんというか。


 とりあえず訂正することはいったん棚に上げ、今は間違っても正装スタイルになるんじゃないぞとお姫様に言い聞かせることにして茶を濁す。


 そんなこんながあって、ようやく今日の朝食に取り掛かる。


 セリスが俺の前に並べた朝食の献立は、目玉焼きにサラダと野菜スープ、そして籠に入れられたパン。


 ……こう言っちゃなんだが、想像していた物よりもずっと普通というか地味というか。


 仮にも王族が食べるものなのだから、もっと豪華で派手な物が出てくると思っていたが、この城で出てくる食事は毎回こんな感じだった。


 まあ無駄に豪勢なもの出されるよりは、こうしてなじみのあるものが出てきた方が俺としては助かると言えば助かるわけだが。


「さぁ守護竜様、召し上がれ」


 にこにこと微笑みながら促されて、俺はこの前と同じように魔導を使ってナイフとフォークを浮かべて朝食を食べようとするが、ジッとこっちを見つめる、お姫様の瞳と目が合った。


「……見てねぇで、あんたも食ったらどうだ?」


 ワクワクと期待に満ちた目で見つめられて食べにくいったらありゃしない。


 しかしお姫様は気にした様子もなく。


「ダメです♪ 食事の時最初の一口は守護竜様に食べてもらうのがきまりなのですから」


「ほんとかよ」


 なんだか疑わしい気もしたが勘ぐったところで仕方がない、俺はいったんお姫様の事は忘れて朝食の目玉焼きを切り分けて口に運んだ。


 なんの卵かは知らないが目玉焼きは味も見た目も向こうの世界とほぼ変わらなかった。黄身もいい具合に半熟で悪くない。


「美味しいですか? 守護竜様」


 朝食を食べる俺を見つめながらお姫様が聞いてくる。


 いったい何がそんなに嬉しいってのか、その顔は幸せそうな笑みを浮かべている。


「……別に、普通じゃねぇの」


 鬱陶しいんで、そっけなくそう言ってやるとお姫様は唇を尖らせて。


「もう、また美味しいとはいって下さらないのですね」


 そう言ってすねたような呆れたような顔をするお姫様だったが相変わらず切り換えは早く、ぽんと小さく手を合わせて。


「そうだ、守護竜様! 今日は公務も立て込んでおりませんし、朝食を食べ終えましたら城下町へ散歩に行きませんか? 守護竜様にぜひ見てもらいたいものがあるんです!」


 やる気に満ち満ちながら話すお姫様は鬱陶しかったが、その提案自体は俺にとっても都合が良いものだった。


 俺がこの世界に転生したあの日からすでに一週間が経った。


 相変わらずお姫様は俺から離れようとしないが、この城での生活にも少しずつ慣れ始めてきていた頃合いで、いい加減城の外へと出てみたいと思っていた頃だった。


 俺がここに残ったのこの世界の事について知るため、なら外の世界を見て回ることのできるこの機会はチャンスだ。


「わーった、付き合ってやるよ」

「本当ですか? では早速準備の方を進めましょう」


 そう言うとお姫様は直ぐにせリスの名前を呼び彼女は会釈を一つした後、何も言われずとも勝手知ったる様子で答えてみせる。


「朝食がお済み次第出立できるよう馬車の準備させます」


「ありがとう。お願いしますね」


「はい、それとご報告になるのですが、今朝方クロイゲン様からの荷物が城に届いたとのことです」


「クロイゲン様から? 分かりました後ほどお礼の書状を用意いたしましょう」


「承知致しました。それでは私はお出かけの手続きをしてまいりますので。一度失礼致します」


 そんな必要最小限なやり取りだけをして、セリスが食堂を後にしていく様子をなんとなく眺めていたら。


「あら? 守護竜様」


 不意にお姫様何かに気が付いた様な顔をして俺の方へと手を伸びてきた。


 急になんだと身構えると、お姫様の人差し指が俺の頬を撫でていった。


「お口に黄身が着いておられましたよ」


「かっ、勝手なことすんじゃねえよ。クソがっ」


「あらあら、もうしわけありません」


 謝りながらなぜか嬉しそうに笑うお姫様だったが、たった今俺の頬を拭って黄身の付いた自身の指をふと眺めた。


 どうしようかと少し逡巡した様子を見せるお姫様だったが次の瞬間「えいっ」と、その指を自分の口に咥えこむ。


 黄身を舐めとった指先を抜き出すし、唾液で僅かに濡れたその人差し指をそっと桜色の唇に添えて。


「ふふ、少しはしたなかったですね。城の物には内緒ですよ」


 ちょっと照れくさそうにお姫様はそう言ってはにかんだ。


 別になんて事のない動作のはずなのに、なんだか見てはいけないものような気がして俺はそれとなくお姫様から目を逸らして自分の食事に集中することにした。


「ふふっ、一緒にお出かけとっても楽しみでございますね」


 朝食を食べる俺を見ながらお姫様はそう言ってまた幸せそうに笑った。




 朝食を食べ終え、俺達は数人のメイドを引き連れながら城の正門へと向う。


 今頃正門の外にはセリスがいつでも出発できるよう、用意した馬車と一緒に俺達のこと待ち構えている筈だ。


 いつもの様にお姫様に抱えられながら、ここ一週間でようやく見慣れてきた城の中を歩いてく。


 ――その時だった。


「止まれッ!」


 ふと、何か違和感を感じ俺はお姫様にそう叫んだ。

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