第6話 うおっほん!

 見上げてみれば窘める様な目で俺のことを見つめながら小さく首を横に振るお姫様の顔がある。


 ……どうしてそんな顔をする?


 怒るなら分かる。


 勝手に口を挟み暴言を口にする俺に苛立って怒るのなら分かる。


 ただ俺を見下ろす顔はなぜだか酷く悲しげだった。失望しているのとは違うまるで俺の事を心配し憂うようなそんな顔。


 意味不明なお姫様のその表情に、俺は興を削がれてそれ以上何も言う気が無くなってしまった。


「クロイゲン。守護竜様はまだこの世界にお生まれになったばかりで混乱しておられます。話しはまた後日に、よろしいですね?」


「……かしこまりました。今宵はここで失礼させて頂きます。女王閣下、守護竜様またいずれ」


 ペラペラと喋っていたさっきまでとは対照的にクロイゲンは口数少なくそう言うと、つかつかと謁見室の出入り口へと向かって歩いて行く。


 興が乗ってきていた所に水を差されたのは気に食わないが、不服そうな様子で去って行くクロイゲンの後ろ姿を見るのは少しだけ気分がよかった。


「あーはっはっはっ!」


 クロイゲンが謁見室を出て、兵士がその扉を閉めたその時。笑いを堪えていたアナスタシアが大口を開けて豪快に笑い声を上げた。


「見ましたかクロイゲンのあの顔! まるでお預けを喰らって苛立った犬の様な顔だったではございませんか」

「もう、笑い事ではありませんよ。守護竜様もあんな乱暴な言葉遣い、後でお説教なんですからね」


「はんっ、知るかよ」


「はっはっは、今代の守護竜様はなかなか剛胆な方でいらっしゃられるようだ」


 アナスタシアは笑いすぎて目元にたまった涙を拭い改めて俺たちの前に跪いた。


「守護竜様、挨拶が遅くなり申し訳ございません。クルーゲル領、領首アナスタシア・クルーゲルであります。いや、先程の啖呵は早朝の朝日の様に爽快でございましたな」


 そう言ってアナスタシアは愉快だと言わんばかりにもう一笑いしてみせた。


 陰湿だったクロイゲンの後だからか、快闊なアナスタシアの言葉に俺は自然と好感を覚えるが、不意にスッとその表情が真面目なものに変わる。


「しかしお言葉ながら今後はあのような挑発はお控えになられた方が賢明かと存じます。クロイゲンは鴉の様に陰険ではありますがああ見えて領主としての権力と影響力だけはある男。女王様や守護竜様の立場と言うものがございますゆえ、悪戯に敵を増やすような言動は控えられるべきかと」


 ……立場ねぇ。


 そんな場所に立った覚えは無いが、アナスタシアのおべっかの無い堂々とした言動に免じて特に反論はしないでやることにする。


「女王様、遅ればせながら改めておめでとうございます。これで名実ともにフィロール王国の姫巫女。本当にご立派です、きっと兄上も誇らしいことでしょう」


「女王様だなんて、昔の様に義姉様あねさまと呼んでくれていいのですよ」


「幼い頃の話しでございます。それに今はお互い立場がある立場でごじいます故、なにとぞご容赦を」


「そうですか? でも先程は義姉様と言ってくれたじゃないですか」


「あれはカッとなってつい……からかわないでください、もう」


「ふふ、ごめんんさい。でも可愛いあなたとこうしてお話するのがうれしくって、つい」


 タジタジといった様子のアナスタシアと楽しそうに話すお姫様。


 その会話はずいぶんと距離が近い相手とするような空気で何か二人の間にある絆めいた物を感じさせる。


 そういやさっきアナスタシアは自分の妹みたいなもんだとか言っていたっけか。


「お前らいったいどういう関係なんだ?」


 そう聞くとお姫様とアナスタシアは何か昔を懐かしむように目を細めた。


「彼女のお父上が世話係として忙しいお母様の代わりに幼かった私の面倒を見てくれていたのです」


「女王様とクーゲル領で過ごした日々。実に懐かしゅうございます」


「ええ、本当に懐かしい。昔はよくあなたのおしめを」


「うおっほん!」


 なにやら口走りかけたお姫様の言葉を、わざとらしい咳払いが遮る。


「……あまりこういった場で、そのような話しはしないでいただきたいのですが」


「あら、ごめんなさいね。うふふ」


 アナスタシアが恥ずかしそうに頬を赤くし、お姫様が悪戯気に笑う。


 お姫様にただただ振り回されているその様になぜだかどことなく親近感を覚えないでもない。


 気を取り直すためか、アナスタシアはもう一度こほんと咳ばらいをし緩みかけていた表情を引き締めた。


「女王様、守護竜様。大変申し訳ないのですが、出立の時間が迫っておりますので、名残惜しくはありますが私もそろそろ失礼させて頂きます」


「あら、もう帰られしまうのですか? 夜も遅いですしもう少しくらい、ゆっくりされていってもいいのですよ」


 引き留めるお姫様に対して、アナスタシアは少し困ったような表情で。


「女王様のご厚意痛み入りますが、最近北の帝国に妙な動きがあるとの噂もございますゆえ、北方の領主である私がいつまでも領地を留守にしている訳にも参りません」


「そうですか……ならば仕方ありませんね」


 残念そうにするお姫様にアナスタシアは少し申し訳なさそうな顔をするが、直ぐにキリリと表情を引き締め直し。


「では、女王様、守護竜さまワタシはこれで失礼致します」


 そう言い残しアナスタシアが謁見室を後にするさい、一瞬彼女と目が合いその瞳が俺に語り掛ける。


『どうか義姉様をよろしくお願い致します』


 なんとなくそう言われた気がしたが、知ったこっちゃないと俺は目をそらして気が付かないフリをする。


 アナスタシアが去り謁見室には俺とお姫様だけが残される。


 ただでさえ広い謁見室はがらんとして、なんだか余計に広くなったような気がした。




「ねーんねーん♪ よい子だねんねーしなー♪」

「ねーんねーん♪ じゃねぇんだよ何してんだてめぇはよ!」


 なぜか耳元で子守唄を歌うお姫様から俺は全力で距離を取った。

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