第2話 現状確認からの風呂
豪奢でありながら気品を感じられるドレスを着て、綺麗な銀色の髪に宝石の様な青色の瞳という現実離れした容姿。
穏やかで品がありながら大人の艶やかさを感じるような、そんな女が朗らかで優しげな微笑を俺に向けて浮かべている。
「初めまして。わたくしはアンヌ・フィロール・ドラグニル。この南フィロール連合王国の王女であり、これからあなた様のお世話をさせて頂きます巫女にございます」
わけのわからない単語を並べ立てながら、自己紹介らしきものをしたお姫様がまるで俺のことを崇め奉る様に頭を垂れる。
何が何やらと思いながら自身の姿を見下ろしてギョッとする。
誰よりもよく知っているはずの自分の体が、自分のものでは無くなっていた。
手も足も腹に至るまで、体の全てが爬虫類を思わせる白い鱗に覆われた別の物に変わっていた、そして今更気が付く違和感。
具体的には背中とお尻の辺り、何か今まで無かった物があるような、そんな感覚があった。
「戸惑われておられるのですね。無理もありません、あなた様はまだこちらの世界に生まれたばかりなのですから」
微笑みを浮かべながらお姫間様が目配せをすると、どこから現れたのかいかにもメイドらしい恰好をした女が手鏡を差し出した。
そうして翳された鑑を見た瞬間、俺は自分の目を疑った。
そこに映し出されていたのは、体中を白い鱗に覆われ翼と尻尾をはやした生き物。
たとえるなら竜やドラゴンとしか言いようのない何かの姿。
唖然としたまま俺がなんとなく右手を上げてみると、鑑の中のそれも同じように右手を上げる。
それは確かに、間違いなく、鑑に映し出された今の俺自身。
「あなた様はこことは違う異世界より転生し生まれ変わられたのです。このフィロール王国の守護竜様として」
……な。
「なんじゃそりゃぁぁぁぁ！」
あまりにもファンタジーで突拍子もない展開に、俺は取りあえずその場で叫ぶ事しかできなかった。
異世界転生。
現代世界で死んだ主人公が異世界で生まれ変わって、美少女とキャキャうふふしながら冒険して、なんて今時のアニメや漫画じゃ珍しくもねぇ話し。
ハッキリ言ってその手のもんには興味はなかったし、なんだったらそんなご都合的な事が起きる分けねぇだろって馬鹿にしていた。
そんな俺が――。
「まさかこんな事になっちまうだなんてな」
ついさっき鑑に映っていた姿を思い出す。
あれは紛れもなく竜だった。
漫画とかラノベとかＲＰＧゲームとかでよく見る、体は鱗に覆われ背には翼を持つファンタジーではド定番のモンスター。
そんなもんに、どうやら俺はなってしまったらしい。
ただ――。
「どうかされたのですか？ 守護竜様」
声が振ってきて、上を見上げるとすぐ目の前にさっき俺の事を守護竜と呼んでいたお姫様の顔がある。
この距離でよく見ると右目の下に泣きぼくろがあることに気が付くが、んなことは今どうだっていい。
俺がどういう状況なのか教えてやろう。
現在俺は姫様に猫か何かみたいに抱き抱えられた状態で、何処かへ連れて行かれる真っ最中だ、はっきり言ってクソ恥ずかしい。
「いや、別になんでもねぇよ。てかいい加減降ろせよ、自分で歩く」
「ダメです、床に何か危ないものが落ちてたら大変ですから」
そう言ってお姫様がより腕に力を込めて俺を強く抱きしめる。
「うッ……」
そうされると胸元にある豊満で柔らかな膨らみが後頭部に押しつけられて……って、んなこと言ってる場合かっ！
「うるせぇんだよ、離せババァ」
「まぁ！ そんな乱暴な言葉遣いをしてはだめですよ、いけません、メッ！」
「なんだそのよく分からん三段活用！ だークソが面倒くせぇな！」
ダメだ話しにならない。
さっきまではもっと凜とした様子で、口調ももっとお堅い感じだったのに、人の目が無くなった途端にこれだ。
アンヌ・フロなんとかと、やたら長い名前を名乗っていたこのお姫様は、ムカつくことに、まるで俺のことを小さな子供か何かの様に扱ってきやがる。
そもそもドラゴンと言えばもっと恐竜みたいにでかくて凶暴で周りから恐れられたりするようなもんの筈だろう？ なのになんだこの扱いは？
もう一度鑑に映っていた自分の姿を思い浮かべてみる。
その姿は確かに竜だった。鱗に覆われた体、翼に尻尾、鋭い爪と牙。
しかしだ、しかしである、その全てが竜と言うにはあまりにも小さくて、細くて、何よりも可愛すぎたのだ。
体の大きさは精々が大きめの猫くらい、背中の翼も申し訳程度。
目も大きくクリッとしているしなんだったら鳥の雛みたいにふわふわした羽毛まで所々生えちゃったりして、はっきり言ってちっとも怖くも格好良くもなく、竜としての威厳なんてあったもんじゃない。
きっと今だって端から見れば、お姫様が可愛いペットをだっこして歩いている微笑ましい光景にしか見えないだろう。
向こうの世界じゃ周りの連中から恐れられていた俺が、こんなファンシーでプリチィな姿になっちまうなんていったい何の冗談だ。
もしこの姿をデザインした奴がいるのなら張り倒してやりたい所だが、しかしいつまでも嘆いた所でしょうがない。
色々と不満はあるが、こうなっちまった以上まずは現状把握をしなければ。
「なぁ、あんた。聞きてぇんだけど。今、俺たちはいったい何所へ向かってんだ？ 教えろ」
こうして抱き抱えられていったい何所へ連れていかれようとしているのか、俺はまだ聞いていなかった。
しかしお姫様はきゅっと眉根を寄せて、怒った顔をすると。
「またそんな言葉遣いして、いけません！」
だぁ！ やりにくいなもう！
まったく普段であれば女子供であろうと舐めた態度をとった奴にゃ、メンチの一つでもくれて泣かしてやるところだがここはグッと我慢だ。
目の前にいるコイツは現状この世界を知るための唯一の情報源、ビビられて会話が出来なくなったら元も子もない。
俺が喉まできていた苛立ちをグッと抑えていると、姫様が「もう、しょうがないんですから」と小さくため息をついた。
「神殿奥にある浴場です。守護竜様がお生まれになられたら、そこで身を清めて頂く事になっているのです」
浴場ってことは、これから風呂に入るってことだろうか？
改めて自分の体を見ると、所々に卵の殻のようなものが引っ付いて汚れている。
今更だが、最初暗闇の中で俺のことを包んでいたあれはどうやら卵の殻だったらしい。
と言うことは俺はついさっき卵から孵って、此の世に生まれ落ちたと言うことなのだろうか？ いまいち実感が無いというか、なんだか奇妙な気分だ。
まぁなんにせよ、体中にこびり付いた殻を洗い流せると言うのなら俺としてもありがたい。
「待ってて下さいね、すぐに綺麗にして差し上げますから」
「ああ、そりゃどうも……あ？」
一瞬聞き流しそうになったが、今なにやら聞き捨てならないことを言ってなかったか？
「まて、綺麗にして差し上げますってなんだ？ まさかあんたも一緒に入る気なのか？」
そう訪ねると、お姫様は不思議そうに首を傾げて。
「そうですよ？ 自身も同じ湯に浸かり守護竜様の身を清めるお手伝いをするのも儀式の一環であり、古くから王家に伝わる巫女としてのおつとめの一つですから」
「い、いや手伝いなんてしなくていい！ 風呂くらい自分で入れる！」
俺は拒否の意思表示をしながら、抱き抱えられた状態からの脱出を試みる。
「あらあら、暴れちゃダメですよ。お風呂入らない悪い子はばっちいままになっちゃうんですから」
「いや、別に風呂に入るのが嫌な訳じゃなくてだな！」
こんななりになっちまったとは言え俺は男だ、女と一緒に風呂に入るってのはなんというか……良くねぇ気がする！
がしかし思いのほか力が強いのか抱き方の問題か、俺はお姫様の腕をふりほどくことが出来なかった。
そりゃなりふり構わず噛みつくなり、爪で引っ搔くなりすれば脱出することは出来ただろうが、幾ら俺でも女相手にそこまでするのは気が引ける。
結局俺は大した抵抗をすることも出来ず、そのままお姫様の言っていた浴場へと連行されてしまった。
「姫様、守護竜様、お待ちしておりました。沐浴の準備はすでにすんでおります」
「ありがとうセリス、ご苦労様」
浴場に入るなりお姫様からセリスと呼ばれたメイドが恭しいお辞儀で俺たちを出迎えた。
最初お姫様の側に控え、手鏡を差し出していたあのメイドだ。
浴場は石造りになっていて、天井の一部に開いた穴から差し込んだ月光が湯船を照らしていた。
その様は風呂場というよりは、何やら神聖な儀式をするための聖域みたいだ。
月が出てるってことは今は夜なのか？
そんなどうでもいいことに気が付くが、ただ正直そんなことよりもずっと気になることが一つ俺にはあった。
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